Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「僕たちは戦わない/AKB48」 - AKB48×大友啓史監督 アクション超大作MV

今日は、AKB48のシングル「僕たちは戦わない」のミュージックビデオ(MV)のご紹介です。

島崎 遥香
島崎 遥香
写真は、こちらからお借りしました。

このMVは、AKB48と大友啓史監督によるもので、ストーリーは、メンバーが正体不明の武装勢力に襲われ、髪を振り乱して戦う約12分間のアクション作品です。

ちょっと長いので、お時間のあるときにご覧下さい。


僕たちは戦わない/AKB48

これはカッコいいですねー。おぉ~っ!。w(゚゜)w
約12分と、けっこう長い作品ですが、思わず、息をとめて見入ってしまいます。
戦闘シーンといい、着ている服装といい、なかなかリアルで、さすが良くできていると思います。

もちろん、曲も素敵です。センターを務めるぱるること島崎 遥香が、いい表情をしていますね。(^^)

ただ…、「僕たちは戦わない」という、いわば平和への賛歌とも取れるビデオの中で、メンバーたちが戦っているというのは、何か最大の矛盾のような気も…。(^o^;

「燃える手/弘田三枝子」- 「ポップスの女王」と呼ばれた弘田三枝子の1970年のヒット曲

きょうは、弘田三枝子の「燃える手」のご紹介です。

燃える手

アレ?( ?_?)コレ、画像ガ違ウ ゾ。

オーイ!( ゚O゚)Super源さーーん。画像ガ 違ウ ヨー!

アッ!(゚o゚;ホント ダ!
少々 オ待チ ヲ。(^^;/
ε=ε=ε=ε=ε= ピュー!・・・。゜.☆ ダダダ!

燃える手 弘田三枝子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ! コチラガ 正しい 画像デス!(^O^)/
大変 失礼シマシ タ。(゚゚)(。。) ペコリン

弘田 三枝子(ひろた みえこ、本名:高木 三枝子、1947年2月5日 - 2020年7月21日)は、東京都世田谷区池尻出身の歌手です。
愛称はMICO(ミコ)、ミコちゃん。

弘田 三枝子は、1961年に「子供ぢゃないの」(ヘレン・シャピロのカバー)でデビューをします(14歳)。
翌年の1961年には、各社競作で出された「ヴァケィション」(コニー・フランシスのカバー)が大ヒットを記録。
1965年7月には、日本人歌手として初めて、アメリカの「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」に出場。
そして、カーメン・マクレエ、フランク・シナトラ、クインシー・ジョーンズ、カウント・ベイシーオーケストラ、スタン・ゲッツ、ジョン・コルトレーンなど、当時のトップクラスのジャズミュージシャンが勢ぞろいする中で、ビリー・テイラー・トリオをバックに歌い、3日目のトリという大役を務めます。

そして、1969年に「人形の家」で、第11回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。
また、京都にてR&Bの2回目のコンサートを行います。

1970年には、「ミコのカロリーBOOK」を出版。
当時は、まだこのようなダイエット本が珍しく、150万部を超える大ベストセラーになります。
ファッションやビューティーにも関心をもち、1970年度のベストドレッサー賞を受賞しています。
独特のヘアスタイル、衣装、メイクで当時のファッションリーダー的存在でありました。
更に同年、「できごと」で、東京国際歌謡音楽祭(後の世界歌謡祭)の歌唱賞を受賞しました。
尚、この「できごと」はm「喜劇 開運旅行」(松竹、1971年)の1シーンで、本人出演により歌われています。

さて、今日はそんな弘田 三枝子の、1970年4月25日に発売された「燃える手」をどうぞ。
 
燃える手/弘田三枝子

この曲の歌詞はこちら

弘田 三枝子は、歌唱力とパンチの効いた歌声が特徴の歌手で、「ポップスの女王」とも呼ばれ、当時、その歌唱力は「日本女性歌手史上最高の歌唱力」とも評されていました。
今聴いても、素敵な歌声に魅了されます。(^-')
やはり、いいものは時代を超えるのですね。

弘田三枝子の死因は?

2020年7月20日、弘田三枝子は千葉県内の自宅で倒れ、同県内の病院に搬送されましたが、翌21日午後10時31分、73歳で死去しました。
死因は、心不全でした。

葬儀は、親族のみで密葬として行ない、6日後の27日に訃報が発表されました。

同年はレコードデビュー60周年にあたり、記念曲の制作や記念コンサートの開催などを企画していましたが、新型コロナウイルス感染拡大で「来年に持ち越しね!」とスタッフと話し合っていたといういます。

同年6月15日に公開された、YouTubeでの日本歌手協会リレー歌謡祭第46弾での電話での自身の曲紹介(「人形の家」)が、公の場での最後の肉声となりました。

「kiss(キス)まで待てない/石野陽子」- 原曲を超えた? イタリアのユーロビート・シンガー ソフィーの「My World(マイ・ワールド)」のカバー曲

今日は、石野陽子の「kiss(キス)まで待てない」のご紹介です。

kissまで待てない 石野陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

石野 陽子(本名:石野 陽子(いしのようこ)、新芸名:いしのようこ、1968年2月20日 -)は、兵庫県芦屋市出身の女優・タレントです。
血液型はAB型。特技はフィギュアスケート。趣味は日曜大工。
姉は石野真子、妹は宝乃純(旧名;石野 敦子)。

石野 陽子は、1985年に「テディボーイ・ブルース」でアイドル歌手としてデビューをします。

その後、連続ドラマ「セーラー服通り」への主演や、「志村けんのだいじょうぶだぁ」でのコントで人気を博します。
また、「ミナミの帝王」シリーズに出演したため、Vシネマファンにもお馴染みの顔となっています。

茶色がかった髪の毛が特徴的ですが、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、この髪が「天然」であることを明かしています。

今日は、そんな石野陽子の、1989年06月25日に発売された、通算7枚目のシングルである「kissまで待てない」をどうぞ。
 
kissまで待てない/石野陽子

この曲の歌詞はこちら

キスまで待てない」は、イタリアのユーロビート・シンガー・Sophie(ソフィー)の「My World」(マイ・ワールド)のカバー曲です。
原曲も素敵ですが、私はこの石野陽子版の方が好きですね。(^^)
ソフィー版を以下に貼りつけておきますので、お時間があればお聴きになってみて下さい。
My World(マイ・ワールド)/Sophie(ソフィー)

ちなみに、石野 陽子の同期アイドルデビューには、中山美穂、南野陽子、斉藤由貴、井森美幸などがいます。

また、2019年7月29日に放送された「人生イロイロ超会議」において、一歳年下の男性と事実婚(じじつこん、=婚姻届けは出していないが、事実上婚姻関係にあること)であることを明かしました。