Super源さんの音楽ブログ

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「しあわせをありがとう/水越けいこ」 - 元「8時の空」の歌のお姉さん水越けいこのデビュー曲

今日は、水越けいこの「しあわせをありがとう」のご紹介です。

水越けいこ しあわせをありがとう ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家です。

水越けいこは、1977年に、TBネット系「8時の空」に、歌のお姉さんとしてレギュラー出演し、全国に認知されます。

そして、1978年に、「しあわせをありがとう」でデビューをします。

1979年には、 「ほほにキスして」が大ヒット。
 

「ほほにキスして/水越けいこ」 - オリコン33位を記録! 1979年に発売されたヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、水越けいこの「ほほにキスして」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。水越けいこ(みずこし けいこ、1954年2月4日 -)は、山梨県出身のシンガーソングライター、作曲家で


その後は、「Touch Me In The Memories (1979年12月10日)」、「Thank you SUMMER (1980年06月05日)」、「グッバイ・ダイアリー(1980年12月)」と、順次シングルを発売していきます。

さて、今日はそんな水越けいこの、1978年06月21日に発売されたデビュー曲である、「しあわせをありがとう」をどうぞ。
 
しあわせをありがとう/水越けいこ

この曲の歌詞はこちら

この曲はてっきり、水越けいこ本人の作詞作曲によるものとばかり思っていましたが、調べてみると作詞作曲ともに伊藤薫(いとう かおる)で、ちょっと意外な気がしました。

また、歌詞の一部や、歌唱の雰囲気に、後に発売される「Too far away(トゥー・ファー・アウェイ)」を思わせるものがありますね。
こちらも同じく、詩・曲ともに伊藤薫の作品です。

当時私は、中森明菜のデビュー曲を聴いたときに、これはスゴい新人歌手が出てきたなぁと思った記憶がありますが、水越けいこのこの曲を聴いたときにも、同様に感じたことを思い出します。

なお、水越けいこは、シンガーソングライターとして、他の歌手に以下の楽曲の提供も行なっています。

 ・伊藤つかさ「ピエロのオルゴール」「私の騎士(ナイト)はいつも突然」(作詞・作曲)
 ・クラッシュギャルズ「ALL FOR LOVE」「さよならのコンチェルト」(作詞・作曲)
 ・香坂みゆき「二十才のサヨナラ」「星のじゅうたん」(作詞・作曲)、「42nd st.」(作詞)
 ・十朱幸代「想い出のスィング」(作詞・作曲)
 ・原田知世「夢七曜」(作曲)
 ・マーク(堀内護)「ブラインドをあけると」(作詞)

水越恵子のオフィシャルブログはこちら。

水越けいこオフィシャルブログ
https://ameblo.jp/keiko-mizukoshi/

「挽歌(ばんか)/由紀さおり」 - オリコン15位を記録したヒット曲

今日は、由紀さおりの「挽歌(ばんか)」のご紹介です。

挽歌 由紀さおり ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -)は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーターです。
姉は、歌手の安田祥子(やすだ しょうこ)。姉とシンガー・ソング・コメディアン(正しくはシンギング・コメディエンヌ)を自称。

由紀 さおりは、少女時代から姉と共に本名の「安田章子」の名前で童謡歌手として活躍していましたが、1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」で歌手デビューをします。

が、ヒットに恵まれず、童謡歌手時代からの仕事であるCM曲や、テレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、また、キャバレーやナイトクラブへの出演を行ないながら、雌伏の時を過ごします。

1969年、東芝音楽工業(現・ユニバーサル ミュージック EMI Records Japanレーベル)から再デビュー作となった「夜明けのスキャット」を発売。

この曲は、もともとTBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のオープニングとして制作されたもので、当初はレコード化の予定はありませんでした
が、リスナーからの問い合わせが相次ぎ、シングルの発売が企画されます。
 

「夜明けのスキャット/由紀さおり」 - 150万枚のミリオンセラーを達成したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 -


発売後、この曲は大ヒットとなり、最終的には、150万枚のミリオンセラーを達成。
同年の暮れには、「第20回NHK紅白歌合戦」で、念願だったNHK紅白歌合戦初出場を果たします(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。

そして、翌年の1970年7月5日には、続けてシングル「手紙」を発売。
この曲も、6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、「第12回日本レコード大賞」の「歌唱賞」を受賞します。

今日は、そんな由紀さおりの、1974年09月01日に発売された、通算20枚目のシングルである「挽歌」をどうぞ。
 
挽歌/由紀さおり

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位15位を記録しています。

姉との歌手活動など

・1985年には、童謡アルバム『あの時、この歌』を発表し、1986年より姉・安田祥子と共に童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになります。
同年の暮れには、第28回日本レコード大賞企画賞を受賞し、童謡ブームの火つけ役となります。

・1987年には「第38回NHK紅白歌合戦」に出場。
NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年の「第52回NHK紅白歌合戦」まで紅白の常連として出演します。
1992年・第43回においては自身唯一の紅組トリを務め、2000年には、映画『ドラえもん のび太の太陽王伝説』の主題歌「この星のどこかで」を、安田と共に歌っています。

・実姉の安田とのレパートリーは、童謡・唱歌に留(とど)まらず、オリジナル楽曲、歌謡曲、クラシック、アニメ主題歌など多ジャンルに渡っています。
特に、スキャットで唄った「トルコ行進曲」は、1997年の「第48回NHK紅白歌合戦」で披露されたことで一躍全国に認知。
X JAPANのTOSHIも「由紀と言ったら、トルコ行進曲」と歌番組共演時にリクエストするなど、姉妹の代表曲として知られています。

・由紀さおりは、現在でも各地で精力的にコンサートを行なう一方、女優・タレントとしての活動も盛んに行なっています。

「セクシーストリート/安永 亜衣」 - 「if」で歌手デビュしたー安永亜衣の1988年に発売されたシングル

今日は、安永 亜衣の「セクシーストリート」のご紹介です。

セクシーストリート 安永 亜衣 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

安永 亜衣(やすなが あい、本名:末安 珠恵(すえやす たまえ)、1969年7月8日 - )は、東京都目黒区出身の元女優です。

安永 亜衣は、小学校1年から10年間、児童劇団に所属し、1987年10月から放送されたフジテレビ系の大映ドラマ『プロゴルファー祈子』(プロゴルファー れいこ)に主演して注目を集めます。

この時、主演女優はオーディションによって選ばれ、最後まで争ったのが、安永亜衣と土家里織(つちや さおり)でした。

そして、翌年の1988年2月に、「if(イフ)」で歌手デビューをします。

彼女当時、理想のタイプとして、身長180cm以上、価値観が一緒、尊敬できる人という3原則を挙げていました。

1990年代前半、報知新聞でタレントの桜金造との「ロマンス報道」があり、ワイドショーでも取り上げられました。

桜が2000年頃出演した『徹子の部屋』(テレビ朝日)でそのことを紹介され、照れくさそうにしていたという話もありますが、交際後、結婚には至らなかったようです(桜金造は、その後別の女性と結婚しています)。

また、写真週刊誌で特集された際、「プロゴルファー祈子」での神島役に基づくメイクと歌手・安永での清純派としてのギャップが取り上げられました。

今日は、そんな安永 亜衣の、1988年8月3日に発売された「セクシーストリート」をどうぞ。
 セクシーストリート/安永 亜衣

この曲の歌詞はこちら

安永亜衣は、「プロゴルファー祈子」終了後、テレビドラマ『スクール・ウォーズ2』『外科医有森冴子II』などに出演しています。