Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「スカイレストラン/Hi Fi・Set(ハイ・ファイ・セット)」- 歌詞はもともとユーミンが「あの日にかえりたい」用に書いたもの

今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「スカイレストラン」のご紹介です。

スカイレストラン ハイ・ファイ・セット ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコーラスグループです。

ハイ・ファイ・セットは、フォークグループ「赤い鳥」が1974年9月に解散後、同グループのメンバーだった山本潤子(旧姓、新居潤子。1973年4月メンバーの山本俊彦と結婚)、山本俊彦、大川茂の3人によって、同年の10月に結成されました。

そして、1975年に、「卒業写真」と、同名のアルバムの同時発売でレコード・デビューをします。

以降、「冷たい雨」「朝陽の中で微笑んで」など、荒井由美(現;松任谷由実)の曲を数多くヒットさせ、後に荒井由美自身がセルフ・カバーしたことでいっそう人気が高まります。

1977年に、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバート(英語版)の「愛のフィーリング(原題はFeelings)」になかにし礼が歌詞をつけたカバー曲「フィーリング」が大ヒット。
 

「フィーリング/ハイ・ファイ・セット」 - オリコンで週間2位&1977年度年間10位を獲得したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ハイ・ファイ・セット(Hi-Fi Set))の「フィーリング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。ハイ・ファイ・セットは、1974年に結成され、1994年に解散したコー


以降、ハイ・ファイ・セットは、山本潤子のソプラノと山本俊彦のテナー、そして大川茂のバス・ボイスによる抜群のコーラスワークと、都会的で洗練されたアレンジで、ニューミュージック全盛の時代に高い人気を誇ります。

今日は、そんなハイ・ファイ・セットの、1975年11月5日に発売された通算4枚目のシングルである「スカイレストラン」をどうぞ。
 
スカイレストラン/Hi Fi・Set(ハイ・ファイ・セット)

この曲の歌詞はこちら

もともと、この曲の歌詞は、ユーミンの「あの日にかえりたい」の歌詞として書かれたもので、ユーミンはその後、「あの日にかえりたい」を書き直し、この「スカイレストラン」に使ったということです。
なので、この2曲の詞は、相互に入れ替えても違和感なく聴くことができます。

「スカイレストランまで、跳びたい気分だニャー!」
ジャンプする猫 jumping cat
写真は、こちらからお借りしました。

ハイ・ファイ・セットは、1980年にいったん活動停止しますが、1年後に活動を再開。
4ビートジャズを日本語の歌詞で歌うなど新境地を開拓します。

1984年には、「素直になりたい」がシチズンのCMソングに使われてヒット。
そして、1992年10月の活動休止まで、シングル曲26枚、アルバム19枚を残し、1994年9月に解散します。

解散後、山本潤子はソロシンガーとして活動しています。

「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして/岡田 有希子」 - オリコン7位を記録! 売れっ子アイドルとしての地位を確実にした名曲!

今日は、 岡田 有希子(おかだ ゆきこ)の「 恋・はじめまして」のご紹介です。

恋、はじめまして ドリーミングガール 恋、初めまして 岡田有希子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

岡田 有希子(おかだ ゆきこ、本名:佐藤 佳代(さとう かよ) 1967年 - 1986年)は、愛知県一宮市出身のアイドル歌手、女優です。
愛称は「ユッコ」。

岡田 有希子は、名古屋市立向陽高等学校から堀越高等学校へ編入、卒業。
サンミュージックに所属していた。1980年代中期に活動したアイドル歌手のひとりであり、「ポスト松田聖子」としても期待されていました。

今日は、そんな岡田 有希子の、1984年9月21日に発売された通算3枚目のシングルである「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」をどうぞ。
 
-Dreaming Girl- 恋、はじめまして(ドリーミング ガール こい、はじめまして)/岡田 有希子(おかだ ゆきこ)

この曲の歌詞はこちら

この曲は、竹内まりやが岡田有希子のために作詞作曲を手掛けた“学園三部作”の最終作となるもので、デビュー曲の1作目「ファースト・デイト」で同級生との思いがけない馴れ初めを、次作「リトル プリンセス」で遊園地での親密なデートを、そしてこの3作目では、なかなか会えない恋人を想いながら"素敵なレディ”への成長を夢見る少女のときめきを歌い、あたかもファンの男子と次第に愛を深め合っているかのような三部作構成になっています。
 

「ファースト・デイト/岡田有希子」 - 「グリコ・カフェゼリー」のCMソング この後「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」で売れっ子アイドルとなる岡田有希子のデビュー曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、岡田有希子の「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」をご紹介しました。 「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして/岡田 有希子」 - オリコン7位を記録! 売


この曲は、1984年10月8日のオリコンチャートで7位に入り、岡田有希子にとって、デビュー半年目にして初のトップ10入りとなりました。

そして、『ザ・ベストテン』にも初のランクインを果たし、岡田有希子はこの曲で、売れっ子アイドルとしての地位を確かなものとしました。

併せて、「第15回日本歌謡大賞」優秀放送音楽新人賞、「第26回日本レコード大賞」最優秀新人賞、「第13回FNS歌謡祭」最優秀新人賞等をも、この楽曲で受賞しました。

岡田有希子、可愛かったですねー。(^o^)
ちょっぴり気が強そうな彼女のスマイルも、私は好きでした。(#^.^#)

岡田有希子 ピンナップ
岡田有希子 ピンナップ
写真は、こちらからお借りしました。

が、人気絶頂だった1986年(昭和61年)に、突然の飛び降り自殺
そして、この報道の後に起こった若者の相次ぐ自殺は、大きな社会問題となりました。
当時のこの現象は、「ユッコ・シンドローム」と呼ばれることもあります。

岡田有希子の天皇謎かけ

「えー、ここで謎かけをひとつ行くニャン。岡田有希子とかけて、天皇と解く。 その心は、どちらも笑顔が素敵」
猫、ダジャレを言う - Japan
写真はこちらからお借りしました。

なお、この曲の約4ヶ月後に発売された「二人だけのセレモニー」も名曲です。
機会があったらご紹介したいと思います。

「WON'T BE LONG(ウォント ビー ロング)/バブルガム・ブラザーズ」 - ミリオンセラーを突破した大ヒット曲!

今日は、バブルガム・ブラザーズの「WON'T BE LONG(ウォント ビー ロング)」のご紹介です。

ウォント ビー ロング バブルガム・ブラザーズ ジャケットイメ-ジ
写真は、こちらからお借りしました。

バブルガム・ブラザーズは、1983年にブラザー・トム(Bro.TOM)とブラザー・コーン(Bro.KORN)のコンビで結成されたデュオです。略称はBGB。
彼らは、もともとは漫才師でした。

バブルガム・ブラザーズは、1985年に「忘れじのエヴリナイト」を発売して、ミュージシャンとしてデビューをします。

そして、シングル『Beautiful People』あたりから、グループ名の英語表記で、定冠詞「THE」(ザ)を黒人英語の「DA」(ダ)に変えて、コーンの綴りも2008年ごろ「KORN」から「KONE」に変えます。

1991年には、前年の1990年に発売したシングル「WON'T BE LONG」が大ヒットし、『第42回NHK紅白歌合戦』に出場。
この年の紅白は、当初は「HOUND DOG」が出場を予定していましたが、NHKとの選曲のもつれから彼らの出場はキャンセルとなり、代役として白羽の矢が立ったのが、「バブルガム・ブラザーズ」です。
そして、当日歌い終わった後、「THANKS TO HOUND DOG」と絶叫します。

それでは、今日はその「WON'T BE LONG」をどうぞ。
 
WON'T BE LONG(ウォント ビー ロング)/バブルガム・ブラザーズ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、東京都杉並区高円寺出身のBro.KORN(以下KORN)が東京高円寺阿波おどりをモチーフに作ったもので、プロモーション・ビデオの撮影は高円寺阿波おどりの会場で行なわれました。

KORN曰く、「今まで虐げられてきたけど、お前のために全て頑張ってきたよ」という内容の歌詞で、「お茶の間ファンクやお茶の間ソウル」という親しみやすいメロディが特徴の曲です。
歌っているのはKORNのみで、Bro.TOM(以下TOM)はレコーディングの段階から一切関わっていず、音楽番組などで歌う際も、TOMは当て振りしか行わいませんでした。
のちに、「レコーディング中、TOMはパチンコに行っていた」とKORNが明かしています。

この曲は1990年8月のbayfmのパワープレイに採用され、『ヒットスタジオR&N』(フジテレビ)のエンディングでも流されました。

発売後、しばらくは反響がありませんでしたが、1991年3月30日に放送された『オールナイトフジ』最終回スペシャル(フジテレビ)にKORNがゲスト出演した際に、この曲を気に入っていたとんねるずが生放送中に2度かけたところ、フジテレビに曲名を尋ねる質問電話400本が殺到。
これをきっかけにこの曲は大ヒットとなり、1992年1月にはミリオンセラーを突破(累計販売枚数は170万枚)しました。

バブルガム・ブラザーズのその後

バブルガム・ブラザーズは、1996年以降になるとソロ活動が多くなり、活動休止状態(2004年6月にライブを行ったことがある)となります。

しかしながら、2008年12月3日に発売したシングル「Daddy's Party Night~懲りないオヤジの応援歌~」で、本格的に活動を再開。音楽番組にも出演します。

その際、活動を休止した理由は、不仲によるものであったと語っています。
また、再始動のきっかけは、偶然、2人が町でバッタリ会ったときに会話が弾み、

『お互い病気を乗り越えた(トムは心筋梗塞、コーンは腎疾患)記念に、もう一度やろうか。』

というやり取りがあったことだと語っています。