Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ハイティーン・ブギ/近藤 真彦」- オリコン1位を獲得したヒット曲!

今日は、近藤 真彦の「ハイティーン・ブギ」のご紹介です。

ハイティーン・ブギ 近藤 真彦 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 -)は、神奈川県横浜市瀬谷区出身の実業家、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバーです。ニックネームは、マッチ。

近藤 真彦は、1979年10月にTBSのテレビドラマ「3年B組金八先生」の生徒役でデビューをします。
そして、同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに、「たのきんトリオ」として活躍します。

その後、ソロ歌手としてデビューし、1980年代を代表する男性アイドルとして、「ザ・ベストテン」や「ザ・トップテン」などの歌番組を中心に活躍します。

また、1981年、1983年のブロマイド年間売上成績では第1位を獲得し、1987年の「第29回日本レコード大賞」では、「愚か者」で大賞を受賞します。

今日は、そんな近藤 真彦のヒット曲の中から、1982年6月30日に発売された通算7枚目のシングルである「ハイティーン・ブギ」をどうぞ。
 
ハイティーン・ブギ/近藤真彦

この曲の歌詞はこちら

この曲は、前作「ふられてBANZAI」の3ヶ月後に発売されたシングルで、1982年のオリコンシングルチャートにおいて1位を獲得しています。

また、東宝映画・『ハイティーン・ブギ』の主題歌で、 東山紀之がこの曲について、

「当時は合宿所のリビングで『若い子の意見も聞きたい』という事で俺たちもミーティングに一緒にいたりした。『ハイティーン・ブギ』の時は(作曲した)山下達郎さんが合宿所に来て、達郎さんがお酒が好きという事で、俺(東山)が水割り作って達郎さんに差し出した」

というエピソードを語っています。

(* ̄O)◇ゞ ゴクゴク。
(=^~^)o∀ウィーッ!
” ( '_') ゴキゲンダネ。(^・^ )ナニ ノンデル ノ?
クルボアジェ ナポレオン サ。( ^0^)// w(゚o゜)w ワォーッ!

なお、ハイティーン・ブギのコーラスには、山下達郎夫婦、つまり山下達郎と竹内まりやが参加しています。
豪華なコーラスですねー。(^O^)

近藤真彦と言えば、「ブルージンズ・メモリ-」も名曲ですね。(^^)
お時間が許せば、こちらもお聴きになってみて下さい。

ブルージーンズメモリー 近藤 真彦 ジャケットイメージ
※上の画像をクリックすると、曲ページにジャンプします。

そうそう、山下達郎といえば、なんと、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?(^^)
 

「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている?


「山下達郎」は夏と冬、「ユーミン」は冬、「サザン」は夏の季語として使えることをご存じですか?えっ! ウソ?と思えるような話ですが、これは本当です。句会・東京ヘップバーンが「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語に提案俳句の季語については、認定する特別の機関があるわけではなく、誰もが同じ季節を思い浮かべることができる言葉であれば問題ありません。「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語とす...


「え? そうワンか?」


はい、本当ですワン。(^^)

「アムール/サーカス」- 「Mr.サマータイム」で知られるサーカスの4枚目のシングル

今日は、サーカスの「アムール」のご紹介です。

アムール サーカス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。

メンバーは、叶正子、叶高、叶ありさ、吉村勇一。

サーカスは、1977年に「月夜の晩には」で仮デビューをします。
この時のメンバーは、すが健、茂村泰彦、叶正子、卯月節子です。

そして、1978年に、バンド活動を志向していた男性2名がメジャーデビュー直前に脱退。
急きょ叶正子の弟の高(たかし)と央介(おうすけ)を加えて再結成されました。

1978年に、シングル「Mr.サマータイム」(ミシェル・フュガン(Michel Fugainの)カバー曲) で本格的にデビュー。
この曲は、同年8月中に100万枚を突破する大ヒットとなります。
他のヒット曲としては、1979年に発売された「アメリカン・フィーリング」、1988年発売の「Woman in Love(ウーマン・イン・ラブ)」などもあります。
 

「アメリカンフィーリング/サーカス」- 日本航空グループの旅行会社「旅行開発」(現ジャルパック)の「come to america '79」キャンペーンソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、サーカスの「アメリカンフィーリング」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。サーカスは、1978年にデビューした男女2人ずつからなる4人組のコーラスグループです。メンバー


サーカスは、それまでどのグループにもなかった男女2人ずつ、しかも三人姉弟と従姉というユニークな編成のヴォーカルグループとして誕生したのが特徴です。

1984年に、卯月節子が結婚、叶央介はソロ活動のため二人はグループから離れ、原順子と嶋田徹の二人が新メンバーとして加入。

1988年には、嶋田徹がグループを離れ、叶央介が復帰。

1991年に、叶央介と原順子が結婚し、メンバー4人が「親族」となります。

今日は、そんなサーカスの、1978年11月25日に発売された、通算4枚目のシングルである「アムール」をどうぞ。
 
アムール/サーカス

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位60位を記録しました。

サーカスの近況

2013年に、叶央介と原順子が2人のライブユニット「J&O」(→「2VOICE」)の活動に専念するためグループを離れ、叶ありさと吉村勇一が新メンバーとして加入します。

2013年4月24日に、メンバーチェンジ後、初となるアルバム「We Love Harmony!」を発表。

2013年5月29日に、アルバム「THE REBORN SONGS~80'sハーモニー~」を発表しています。

「想い出のピアノ/森田公一とトップギャラン」 - オリコン27位を記録したヒット曲!

今日は、森田公一とトップギャランの「想い出のピアノ」のご紹介です。

想い出のピアノ 森田公一とトップギャラン ジャッケトイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成された森田公一と5名のコーラスによる音楽グループです。

メンバーは、森田公一(ボーカル、キーボード、リーダー)、渡部玲子(ボーカル)、原田正美(ギター、元マグマックス・ファイブ、元ポニーズ)、岩田康男(ギター、元スケルトンズ、元レモンルーツ)、小原重彦(ベース、元マグマックス・ファイブ)、北村勝彦(ドラムス)。

森田公一とトップギャランは、エキスプレス/東芝音工(現・ユニバーサルミュージック)よりデビューをします。
その後、CBSソニーレコードに移籍。「青春時代」「人間はひとりの方がいい」「過ぎてしまえば」「惜春の唄」などのヒットを放ちます。
 

「過ぎてしまえば/森田公一とトップギャラン」 - オリコン54位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、森田公一とトップギャランの「過ぎてしまえば」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成され


そして、1977年の第28回NHK紅白歌合戦に出場。1981年に解散します。

その後、1990年に、森田公一自身の作曲家30周年を記念して、「森田公一とトップギャラン2」として再結成。
元Sugarのミキこと笠松美樹が、キーボード担当として一時期加わっていました(Sugarは87年に解散しています)。

今日は、そんな森田公一とトップギャランの、1977年2月に発売されたシングルである「想い出のピアノ」をどうぞ。
 
想い出のピアノ/森田公一とトップギャラン

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
この曲は、当時オリコン27位を記録するヒット曲となりました。

「♪ガラスを~ いろどる~ 雪模様~♪」
フクロウ 写真
写真は、こちらからお借りしました。

人物

森田公一は、1970年代の歌謡界のヒットメーカーです。
作曲家としては、作詞家阿久悠、編曲家馬飼野俊一と組むことが多く、一時代を築きました。
歌手としては、「青春時代」「青雲」が、現在でもCMなどで使用されています。