Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「線香花火/NSP」 - 「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットしたNSPの1976年のヒット曲

今日は、NSPの「線香花火」のご紹介です。

線香花火 NSP ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

NSP(エヌエスピー)は、1972年に結成された、岩手県出身の男性3人による歌手グループです。

メンバーは、天野滋(ヴォーカル・ギター)、中村貴之(ヴォーカル・ギター)、平賀和人(ヴォーカル・ベース)の3人です。

NSPは、高専在学中の1973年に、第5回ヤマハポピュラーソングコンテストにおいて楽曲「あせ」でニッポン放送賞を受賞し、同年6月「さようなら」でデビューをします。

翌年の1974年に、「夕暮れ時はさびしそう」を発売しますが、この曲がオリコン11位となる大ヒット。
同年発売のアルバム「N.S.Pひとやすみ」も、オリコン4位のヒットを記録します。

その後も、1976年に「赤い糸の伝説」がヒット。
NSPは、叙情派フォークを代表するグループとなります。

今日はそんなNSPの、1976年8月10日に発売された、通算9枚目のシングルである「線香花火」をどうぞ。
 
線香花火/NSP

この曲の歌詞はこちら

「線香花火」の歌詞の内容

「線香花火」は、はかない青春時代を線香花火にたとえた、切なくも素敵な曲です。
歌詞は、主人公が彼女のことが大好きだということが良く分かる内容になっています。
The song "Senko Hanabi" is a lovely, sad song that compares the fleeting days of youth to sparklers.
The lyrics make it clear that the main character loves his girlfriend.

彼が、風よけになって、向かい合わせで座り、2人で線香花火をしています。
彼女の機嫌が気になり、彼女の顔ばかり見ていると、線香花火が彼女の目に映(うつ)り、本物の線香花火を見るよりも彼女がよりきれいに見えることに気づきます。
彼女が捨てる燃えカスを拾うだけでも、彼女と一緒に線香花火をしていたいと思います、、、。
The main character is sitting across from her, sheltering her from the wind and they are playing sparklers together.
He is worried about her mood, so he keeps looking at her face, and notices that the sparklers reflect in her eyes, making her look more beautiful than if she were looking at real sparklers.
He wishes he could be there with her, even if it's just to pick up the embers she throws away....

伴奏は、線香花火の音写となっており、まさに「天野ワールド」全開の曲です。
The accompaniment is a sound copy of a sparkler, which is truly the "Amano World" in full swing that created this song.

「NSP」のバンド名の由来

「NSP」というバンド名は、彼らがアマチュア時代に活動していたときのバンド名「ニュー・サディスティック・ピンク(New Sadistic Pink)」の頭文字をとったものです。
詳しくは、「夕暮れ時はさびしそう/N.S.P」 - オリコン11位を記録したヒット曲! バンド名の由来は?」の「「NSP」のバンド名の由来」をお読みください。
 

「夕暮れ時はさびしそう/NSP」 - オリコン11位を記録したヒット曲&代表曲! バンド名の由来は?|Super源さんの音楽ブログ


今日は、NSPの「夕暮れ時はさびしそう」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。NSP(エヌエスピー)は、1972年に結成された、岩手県出身の男性3人による歌手グループです。メ


NSPのその後

2002年にオリジナルメンバーで再結成し、1月26日に日本青年館大ホールで復活後初コンサート。チケットは、1時間で完売。

2005年2月に、19年ぶりの新曲シングル「水のせいだったんです」、アルバム『Radio Days』を発売。
しかしながら、同年7月1日午後7時8分に、リーダーの天野滋が療養中の病院にて脳内出血で死去。
天野滋は、大腸癌で闘病中でありながらも、精力的に全国ツアーや諸活動を続けていました。

2019年3月20日から、彼らの代表曲どぁる「夕暮れ時はさびしそう」が、東北新幹線の一ノ関駅の発車メロディーに使用されています。

中村貴之は、ソロ活動を始め、2008年6月にミニアルバムを発売しています。

「チャコの海岸物語/サザンオールスターズ」 - オリコン週間2位を記録したヒット曲! また、名曲ベスト10は?

今日は、サザエさん、じゃなかったサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」(チャコのかいがんものがたり)のご紹介です。
この記事ではまた、サザンオールスターズの名曲ベスト10もご紹介します。


写真はこちらからお借りしました。

サザンオールスターズは、日本のロックバンドです。
メンバーは、桑田佳祐(ボーカル・ギター)、関口和之(ベース)松田弘(ドラムス)、原由子(キーボード・ボーカル)、野沢秀行(パーカッション)の5人です。

青山学院大学の学生らで結成されタバンドで、1974年から断続的に活動が始まり、1978年に「勝手にシンドバッド」でデビューをします。

そして、1979年に「いとしのエリー」が大ヒット。

1980年代には、 「チャコの海岸物語」「Ya Ya (あの時代を忘れない)」「ミス・ブランニュー・デイ」「Bye Bye My Love (U are the one)」などがヒットします。

1990年代になると、「涙のキッス」「エロティカ・セブン」「あなただけを ~Summer Heartbreak~」「愛の言霊 ~Spiritual Message~」の4作がミリオンセラーを記録し、2000年代には「TSUNAMI」がダブルミリオンを記録します。

また、「HOTEL PACIFIC」や「涙の海で抱かれたい ~SEA OF LOVE~」「I AM YOUR SINGER」などもヒットし、2010年代には「ピースとハイライト」がオリコンチャートで1位を獲得しました。

このことによって、サザエさん、じゃなかったサザンオールスターズは、1980年代から2010年代まで4つの年代でチャート1位という記録を持ち、幅広い世代に支持されているロックバンドとなっています。

キョウハ、マチガイガ オオイヨ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

なお、彼らの曲の大半は、バンドリーダーである桑田佳祐が作詞・作曲・歌唱を担当しています。

さて今日は、そんなサザンオールスターズの、1982年1月21日に発売された通算4枚目のシングルである「チャコの海岸物語」(チャコのかいがんものがたり)をどうぞ。
 
チャコの海岸物語/サザンオールスターズ

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^o^)
「チャコの海岸物語」は、前作「栞のテーマ」(しおりのテーマ)から4ヶ月ぶりに発売された曲で、年末にはアーティストとして全日本有線放送大賞最多リクエスト歌手賞を受賞。サザンオールスターズはこの曲で、1979年以来3年ぶりに、同年大晦日(おおみそか)に行なわれた『NHK紅白歌合戦』に出場しました。

「チャコの海岸物語」のオリコンチャートでの最高順位は、週間2位、1982年3月度月間4位、1982年4月度月間3位、1982年度年間8位で、サザンオールスターズとしては、1979年発売の「いとしのエリー」以来のヒットとなった作品でもあります。

桑田佳祐は、この「チャコの海岸物語」では田原俊彦を意識した歌い方をしていました。
またこの曲は、1988年6月25日にCD化され、1998年2月11日にも8cmCDとして、2005年6月25日には12cmCDで再発され、計3回再発売されています。

「チャコ」「ミーコ」って、一体誰のこと?

タイトルになっている“チャコ”というのは、元歌手で、発売当時ビクター音楽産業のディレクターとして在籍していた、現エイベックス・エンタテインメント取締役・飯田久彦の愛称です。
愛称や名前をタイトルにした楽曲は、サザンオールスターズの曲中で、他にも数多く見られます。

同じく、歌詞に登場する“ミーコ”というのは『弘田三枝子(ひろた みえこ)』のことで、また“ピーナッツ”は『ザ・ピーナッツ』から取られているようです。

サザンオールスターズの名曲ベスト10は?

さて、お待たせしました。
サザンオールスターズの名曲ベスト10は、以下の通りです。(^o^)/ ジャジャーン!

1.勝手にシンドバッド
2.いとしのエリー
3.匂艶(にじいろ)THE NIGHT CLUB
4.みんなのうた
5.真夏の果実
6.マンピーのG★SPOT
7.LOVE AFFAIR~秘密のデート
8.TSUNAMI
8.東京VICTORY
10.壮年JUMP

1位の「勝手にシンドバッド」ですが、これはご存じサザンオールスターズののデビュー曲ですね。
今思えば、サザンオールスターズは、いきなり強烈(きょうれつ)で個性的な曲を引っさげて登場したバンドでした。(--)トオイ メ

何といっても、

「今何時?」「そうね、だいたいね」

ここが、特にインパクト大ですね。
これ、歌の歌詞だからいいですが、もしも実際の会話で、時間を尋(たず)ねてこんな返事をもらったら、

「おい! 一体何時なんだよ!」(;`O´)o

と、イラッときますよね。(^^;

「Don't Stop The Dance(ドント・ストップ・ザ・ダンス)/Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)」 - 名曲のご紹介

今日は、ブライアン・フェリーの「Don't Stop The Dance(ドント・ストップ・ザ・ダンス)」のご紹介です。

Don't Stop The Dance ドント・ストップ・ザ・ダンス Bryan Ferry ブライアン・フェリー ジェケットイメージ image
写真はこちらからお借りしました。

ブライアン・フェリー(Bryan Ferry、CBE、1945年9月26日 -)は、イギリスのロック・ミュージシャン、シンガー、作曲家で、ロキシー・ミュージックやソロ活動で有名です。

ブライアン・フェリーは、1963年にアマチュア・ソウル・バンドのバンシーズでシンガーとして活動。
苦学しつつ、ニューカッスル大学に入学し、ポップアートの先駆的存在とされるリチャード・ハミルトンのもとで美術を学びます。

その後、ロンドンに引っ越し、陶芸やピアノの教師として、働きながら曲を書く生活を送ります。

そして、1971年にロキシー・ミュージックを結成し、翌年の1972年に『ロキシー・ミュージック』でデビュー。

1973年には、バンド活動と並行してソロ活動も開始し、全曲カバーのソロ・デビュー作『愚かなり、我が恋』を発表します。

1974年末には、ロキシー・ミュージックの活動の合間を縫って、初のソロ・コンサートを行ないます。

1975年には、ロキシーとしての「恋はドラッグ」がアメリカでもヒット。
76年から77年にかけての「レッツ・スティック・トゥゲザー」(R&B歌手ウィルバート・ハリソン「レッツ・ワーク・トゥゲザー」のカヴァー)、「トーキョー・ジョー」は、彼の代表作です。

1975年にロキシー・ミュージックが解散した後は、ソロ活動に専念。
1979年から1983年にかけて、再結成したロキシー・ミュージックで活動しますが、その後はソロ活動を再開し、1985年にはアルバム『ボーイズ・アンド・ガールズ』がヒットを記録します。

そして、このアルバムからのシングル「Don't Stop the Dance」も、アメリカでヒットします。

今日はその「Don't Stop the Dance」をどうぞ。
Don't Stop The Dance(ドント・ストップ・ザ・ダンス)/Bryan Ferry(ブライアン・フェリー)

この曲の歌詞はこちら

ブライアン・フェリーの曲は、1997年に『イン・ユア・マインド(あなたの心に)』(1977年)収録曲「Tokyo Joe」がフジテレビの「水曜劇場」で使用され、日本のオリコン洋楽シングルチャートで1位を記録するなど、日本でも大ヒットします。

このとき、フェリー本人も、同ドラマにカメオ出演しています。

カメオ出演(カメオしゅつえん、cameo appearance / cameo role)というのは、俳優や歌手、漫画や小説などの原作者、時には政治家やスポーツ選手などが、ゲストとして、ほんの少しの時間、ドラマ、アニメ、舞台などに出演することですね。(^^)

ブライアン・フェリーといえば、「Jealous Guy(ジェラス・ガイ)」も名曲です。
機会がありましたら、こちらもご紹介したいと思います。