Super源さんの音楽ブログ

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「い・に・し・え/日暮し」|木曜10時枠連続ドラマ「恋歌」挿入歌&面白い裏話も紹介!

今日は、日暮しの「い・に・し・え」のご紹介です。
「い・に・し・え」は、1977年11月25日に発売された、日暮しの通算6枚目のシングルです。この曲は、よみうりテレビ制作の木曜10時枠連続ドラマ「恋歌」挿入歌に使われ、オリコン週間最高14位を記録し、売上げ枚数累計21.9万枚を記録した日暮し最大のヒット曲です。
この記事では、フォーククループ「日暮し」の紹介、「い・に・し・え」の楽曲紹介、そしてメンバーたちの意外な繋がりなど、この曲に関するあまり知られていない面白い裏話(エピソード)を厳選してご紹介します!

いにしえ 日暮し ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

「似暮らし」ってどんなグループ?

「日暮し(ひぐらし)」は、1973年に杉村尚美(すぎむら なおみ)がフォークコンサートで知り合った武田清一(たけだ せいいち)、中村幸雄(なかむら ゆきお)と結成したフォークグループです。

日暮らしのメンバー
・榊原尚美 (ヴォーカル、キーボード、1954年2月5日 - )東京都出身
・武田清一(ギター、ヴォーカル、1950年1月31日 - )岩手県出身
・中村幸雄(ギター、ヴォーカル、1950年3月2日 - )東京都出身
・野間義男(ギター、1950年生まれ)東京都出身 1974年のみ在籍

日暮しは、地味だったためにあまり売れず、コロンビアに4年在籍のちビクターへ移籍し、1979年の暮れに解散しました。

しかしながら、活動中に発表された計5枚のアルバムは、いずれも彼らの高い感性と豊かな音楽性に支えられた珠玉の名盤だと私は思います。

「い・に・し・え」名曲紹介

さて、今日はそんな彼らの、1977年11月25日に発売された、通算6枚目のシングルである「い・に・し・え」をどうぞ。

この曲の歌詞はこちら

「い・に・し・え」は、よみうりテレビ制作の木曜10時枠連続ドラマ「恋歌」挿入歌に使われました。
オリコンチャート上では、週間最高14位を記録し、翌1978年にかけてロングセラーとなり、売上げ枚数累計21.9万枚を記録。
この曲は、フォークグループ・日暮しとしては最大のヒット曲となり、この曲のヒットにより、ひぐらしはフジテレビ系列の音楽生番組「夜のヒットスタジオ」へ初出演を果たしました。

「い・に・し・え」の面白い裏話(エピソード)

1977年に発売され、今もなお「隠れた名曲」として愛され続けている日暮しの**『い・に・し・え』**。 この曲の背景には、当時のフォーク/ニューミュージック界の熱気や、メンバーたちの意外な繋がりなど、興味深いエピソードがいくつかあります。

1. なんと、RCサクセションの前身バンドのリーダーが作った曲!

「い・に・し・え」を作詞・作曲した武田清一は、実はRCサクセションの前身バンド「The Remainders of The Clover」のリーダーだった人物です。
日暮し自体は叙情派フォーク・トリオとしてスタートしたのに、ビクター移籍後にプロデューサーの星勝(井上陽水・小椋佳などで有名なアレンジャー)が入り、急に洗練されたポップス路線になったという経緯があります。
「フォークの人たちが突然シティ寄りのサウンドになった」→という当時の違和感が、今となっては、逆に「隠れシティポップ」扱いされる要因にもなっています。

2. 異例のロングヒットと「深夜放送」

「い・に・し・え」は、発売後すぐに爆発的にヒットしたわけではありません。 当時の深夜ラジオ(『オールナイトニッポン』など)のリスナーの間で、「あの切ない曲は何?」と口コミでじわじわと広がり、結果として、チャートを逆走するようにヒットしました。
「古(いにしえ)」という言葉の響きと、都会的なアコースティック・サウンドのギャップが、当時の若者の孤独感に刺さったと言われています。

3. ボーカル・榊原尚美の「透明感」の秘密

メインボーカルの榊原尚美(現・杉村尚美)の歌声は、「クリスタル・ボイス」と称されました。面白いのは、彼女はもともとプロ志向が強かったわけではなく、大学のサークル仲間として自然に活動を始めたことです。その**「飾らない、無垢な透明感」**が、かえって楽曲の持つノスタルジーを際立たせたのです。
彼女は、後にソロとして『サンセット・メモリー』を大ヒットさせますが、その原点は間違いなくこの『い・に・し・え』にあります。

4. 編曲の妙:星勝の手腕

この曲の完成度を支えているのが、編曲を担当した星勝(ほしかつ)です。 星勝(ほしかつ)は井上陽水の『氷の世界』などを手掛けたレジェンドですが、彼は『い・に・し・え』に、フォークソングにストリングスと洗練されたコーラスワークを大胆に取り入れました。
これが、単なる「古い歌」ではなく、いつまでも古びない「普遍的なポップス」へと昇華させた要因です。
豆知識: 歌詞に出てくる「光の中を歩きだす」というフレーズ。実はこれ、別れの曲でありながら、過去(いにしえ)を肯定して前を向くという、非常にポジティブな構造を持っています。
この曲を聴くと、当時の風景が目に浮かぶような不思議な感覚になりますね。

「ロビンソン/スピッツ」 - オリコンTOP10入りを果たしたロビンソンのブレイク曲! 制作秘話も紹介

今日は、スピッツの「ロビンソン」のご紹介です。

ロビンソン スピッツ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

スピッツ(SPITZ)は、進学のために上京した4人が集まって、1987年に結成した日本のロックバンドです。
スピッツは、新宿ロフト、新宿JAM、渋谷ラ・ママなどの都内のライブハウスを中心に活動し、1991年にポリドールからメジャーデビューを果たします。

そして、1995年に発売したシングル「ロビンソン」が初のオリコンチャートTOP10入りし、しかも通算30週以上ランクインするという快挙を成し遂げ、これが彼らの名前を世間に知らしめることとなりました。

それでは早速、彼らのブレイク曲となった、その「ロビンソン」をどうぞ。


この曲のオリコンチャートにおける最高順位は、以下の通りです。

・週間4位
・1995年5月度月間5位
・1995年6月度月間6位
・1995年7月度月間9位
・1995年8月度月間20位
・1995年度年間9位
・オリコン歴代シングルランキング66位

「ロビンソン」制作秘話と、草野の当惑

CDシングルに収録された「ロビンソン」と「俺のすべて」は、いずれも1995年の初めに東京都のグリーンバード杉並にてレコーディングされました。

制作段階では、まだどちらをA面にするか決めていず、「俺のすべて」から先にリハーサルに取り掛かりました。

そして最終的に、「ロビンソン」が1曲目に選ばれましたが、作詞・作曲を担当した草野は、この曲が「ポップすぎる」という印象で、シングルとして発表することにあまり乗り気ではなかったといいます。

シングルの制作中、草野は「ロビンソン」を“いつものスピッツの、地味な曲”と感じ、バンドの他のメンバーや共同プロデューサーの笹路正徳にもそのように話していたといいます。

ところが、この曲はそんな草野の思惑を超えて大ヒット。

この曲が大衆的な支持を集めたことについて、草野は2007年に出版されたグループの回顧録『旅の途中』の中で、以下のように述べています。

「人気テレビ番組やCMのタイアップではないし、テレビによく出ていたわけでもないのに、なぜあの曲がこんなに長く売れているのか、と当時抱いた疑問の答えはいまでもわからない」

この曲のイントロやサビでリフレインされる印象的なアルペジオフレーズは、リードギターの三輪テツヤが持ってきたフレーズをそのまま採用したものです。
プロデューサーの笹路正徳は、このアルペジオのフレーズも、この曲の印象を決定づける重要な要素だったと語っています。

「あなたからF.O./沢田聖子」 - 代表曲「シオン」で知られる沢田聖子の1984年に発売された名曲

今日は、沢田 聖子の「あなたからF.O.」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

沢田 聖子(さわだ しょうこ、1962年3月13日 - )は、東京都中野区出身のシンガーソングライターです。

沢田 聖子は、フォークソング歌手としての活動を基盤に、他の歌手への楽曲提供、レポーター、パーソナリティなど、積極的に各種芸能活動を行なっています。また、2009年のデビュー30周年全国ツアー後、所属事務所から独立し、単身ライブ活動を行なっています。

沢田 聖子は、幼少期はCMで渥美清と共演したり、音羽ゆりかご会で合唱団として活動したりしていました。
そして1979年に、「イルカの妹」のキャッチコピーとともに、「キャンパススケッチ」でデビュー。
学園祭も含め、年間60~70本のライブをこなす一方で、ラジオ番組も多数出演。
以降、沢田聖子は楽曲制作とコンサートのほか、ラジオDJ、TVレポーターなど、活動の幅を大きく広げていきます。


沢田聖子の代表曲は、1979年10月25日に発売された2枚目のシングル「シオン」で、この曲は、デビュー前の練習曲としてイルカから贈られた楽曲でもあり、ステージで唄われ続けています。

また沢田聖子のシングル曲の中で、最高のヒット曲となったのは、オリコンチャートの最高ランキング50位を記録した「卒業」となっています。

さて、今日ご紹介する「あなたからF.O.」は、1984年に発表された曲で、彼女自身が作詞作曲をしています。

それでは早速、その「あなたからF.O.」をどうぞ 。
 

あなたからF.O./沢田聖子

この曲の歌詞はこちら

当時沢田聖子は、名前が似ていて、さらに誕生日が3日違いで同い年の松田聖子と比較されることがありました。
が、デビューは沢田聖子の方が1年早く、音楽性はまったく違う路線です。
くわえて、松田聖子という名前は芸名ですが、沢田聖子の方は本名です。

沢田聖子は、デビュー当時からイルカのコンサートの前座等で大ホールのステージに立っていました。
そして、自身のツアーコンサートにおいても、全国有数のコンサートホールに立ち、チケットは即日完売が常で、全国の会場の客席を埋め尽くしていました。

90年代に入って人気が落ち着くと、集客力の低下や、本人のアコースティックサウンドへの傾倒(けいとう)も相まって、小規模ホールやライブハウスのステージに立つ機会が増え始めます。
年間約60本に及ぶライブの回数と、1公演に約3時間をかける沢田聖子のステージへの熱い想いは、

「一人でも私の歌を聴きたい人の所へ行き唄いたい!」

というデビュー当時の夢に支えられており、これが全国を駆けめぐるライブアーティストとしてのスタイルの根幹(こんかん)となっています。