Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「そよ風の誘惑/オリビア・ニュートンジョン」 - 百万枚以上を売上げ、ゴールドディスクに認定されたヒット曲!

今日は、「オリビア・ニュートンジョン」の「そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)」のご紹介です。

そよ風の誘惑 オリビア・ニュートンジョン ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

オリビア・ニュートンジョン(Olivia Newton-John, 1948年9月26日 -)は、イングランド・ケンブリッジ生まれ、オーストラリア育ちの歌手、女優です。
オリビア・ニュートンジョンは、1970年代から1980年代半ばにかけて、数多くのヒット曲を世に放ち、一世を風靡します。

ブレイクのきっかけは1971年に発売された「If Not For You」で、その可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で、着実に人気を集めます。

今日ご紹介する「そよ風の誘惑」は、1975に発売された、通算8枚目のシングルです。

それでは早速、「そよ風の誘惑」をどうぞ。
 
「そよ風の誘惑(Have You Never Been Mellow)/オリビア・ニュートンジョン(Olivia Newton-John)

この曲は、前作に続いて2作連続でアメリカのBillboard Hot 100の首位に達し、『ビルボード』誌の Hot Adult Contemporary Tracks のチャートでも首位に立ちました。

併せてカントリーのチャートである Hot Country Singles で3位まで上昇。オリビアニュートンジョンが引き続き、ジャンルを超えたクロスオーバーのアーティストであることを示しました。

この曲によって、オリビアはグラミー賞の最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞(英語版)にノミネートされます。

この曲は、アメリカでは、オリビアにとって4作連続で百万枚以上を売り上げ、ゴールドディスクに認定されたシングルとなります。

オリビア・ニュートンジョンのその後

・1985年のシングル「ソウル・キッス」のセールスが一段落すると、オリビア・ニュートンジョンは、ポーランド人のダンサー・マット・ランタッジとの結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置きます。その後、環境保護活動なども始め、その一環としてユニセフ親善大使もつとめます

・1992年には、乳がんで闘病中と公表。以後、がん治療の啓発活動にも力を入れるようになります

・1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行なうほか、2000年のシドニーオリンピック開会式で「Dare To Dream」を披露

・2012年、約35年ぶりに、ジョン・トラボルタと共演したデュエット・アルバム『The Christmas』を初美、自身が鬱病(うつびょう)との闘病生活を送っていることを告白

・2017年、がんが脊髄(せきずい)に転移していると公表

・2021年秋に、日本政府より『日本国の音楽文化の発展及び友好親善に寄与した功』により旭日小綬章(きょくじつしょうじゅしょう)が授与されます

・2022年8月8日の朝、長い闘病生活ののち、南カリフォルニアにある彼女の牧場で、家族と友人に見守られながら死去。享年73歳。死因は乳がん

「迷い道/渡辺真知子」 - 80万枚を売上げた渡辺真知子のデビュー曲にしてヒット曲

今日は、「渡辺真知子」の「迷い道」のご紹介です。

迷い道 渡辺真知子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

渡辺真知子(わたなべまちこ、本名:渡邉真知子、1956年10月23日 -)は、神奈川県横須賀市出身の歌手、シンガーソングライターです。

渡辺真知子は、1977年に「迷い道」でデビュー。松任谷由実(まつとうやゆみ)や中島みゆきなどの次の世代のニューミュージックシンガーとして、声楽出身※の豊かな声量で人気を博し、数々のヒット曲を生んでいます。

「迷い道」、「かもめが翔んだ日」、「ブルー」、「唇よ、熱く君を語れ」など、数々のヒット曲を世に送り出し、印象的な歌詞と心に残るメロディー、そして深い感情をたたえた抜群の歌唱力で、一躍人気アーティストの仲間入りを果たします。

また、天真爛漫な人柄で知られる彼女は、書道は八段の腕前で、NHK「ふたりのビッグショー」で「海」という作品を紹介しています。

今日は、彼女のデビュー曲である、「迷い道」をどうぞ。
 
迷い道/渡辺真知子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、累計80万枚を売上げるヒット曲となり、渡辺真知子はこの曲で1978年(昭和53年)の「第29回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしました。

この曲は、「かもめが翔んだ日」「ブルー」「唇よ、熱く君を語れ」と並ぶヒット曲で、渡辺真知子の代表曲のひとつとなっています。

渡辺真知子は後に、この曲について、「横須賀の実家と東京とを何回も往復して曲を書き直した」「最初、歌詞は2番までしかなかったが、曲が短いことから、3番の歌詞を追加して作詞した」「既存の3曲から良いとこ取りで曲のエッセンスをまとめて一曲にした」と語っています。

また、月刊明星の記事において、歌い出しの「現在、過去、未来」という歌詞は、当初はサビの部分に配置されていましたが、当時の担当者から「この歌詞を最初にもってきたら面白い」とアドバイスされて今の形になった、というエピソードが紹介されているということです。

※.渡辺真知子は、洗足学園短期大学(現:洗足こども短期大学)の音楽科(声楽専攻)でソプラノを学んでいます。
ちなみに、音楽科は現在は廃止されている学科のひとつで、当時は器楽専攻と声楽専攻があり、その中にそれぞれ「演奏」と「教育」のコースがありました。

「ワーズ/F.R.デイヴィッド」 - 全世界で2400万枚という驚異の大ヒットを記録したF.R.デイヴィッドの代表曲!

今日は、「F.R.デイヴィッド」の「ワーズ(Words)」のご紹介です。

ワーズ F.R.デイヴィッド ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

F.R.デイヴィッド(F.R.David 本名:Robert Fitoussi (1954 -))は、チュニジアのフェリーヴィル生まれのシンガー・ソング・ライターです。

F.R.デイヴィッドは、10歳でフランスのパリに移住し、15歳の頃からアマチュア・バンドに参加して音楽活動を始めます。
そして、1970年代の始めにソロ・レコード・デビューを果たします。

その後、ヴァンゲリスと出会い、約1年間彼のバンドで活動します。1975年からチャンスを求めて渡米しますがうまく行かず、フランスに戻り、81年ソロ・レコーディング復帰後、ポップな作品でようやく成功を手にします。
代表作は、1982年に大ヒットした「ワーズ」です。
この曲は、全世界で2400万枚という驚異のヒットを記録しました。

それでは早速、彼の代表曲である、その「ワーズ」をどうぞ。
 
ワーズ/F.R.デイヴィッド

この曲の歌詞はこちら

この曲は、当時FMなどでも良く流れており、耳に残るメロディーがとても心地よかったことを、管理人は今でも昨日のことのように思い出します。(--)トオイ メ

また、歌詞の内容が分かりやすく共感でき、英語の発音もクリアなので、当時管理人は、一時期この曲をウォークマン(当時発売されていたSONYの携帯カセットプレイヤー)に入れて、一日中聴いていたこともあります。♪o(^^)o♪


ゆうちゃん



F.R.デイヴィッドといえば、「Girl(ガール)」も名曲だよね


しんちゃん



知らないなぁ、それ
どんな曲?


ゆうちゃん



舌に貼りつけておくから、聴いてみてね
あっ! 舌じゃなくて「下」だった

Girl/F.R. David

ちなみに、F.R.デイヴィッドの個人的なトレードマークは、サングラスとエレキギター(白いフェンダー・ストラトキャスター)です。
また、その抜群のメロディーセンスの良さから、当時「ミッシェル・ポルナレフの再来」と呼ばれていました。