Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「SEO-P-Linkの改造」:カテゴリー数を自動修正

今日は、私の運営しているリンク集、「SEO-P-Link Ver.2.2」のカテゴリー数を自動的に修正する方法を書いてみたいと思います。

実は、このスクリプトは(も)改造しまくりなのですが、前回書きました「SEO-P-Linkの改造」:TOPに登録サイト総数を表示同様、これも公開しても支障がない、どころか便利であろうという判断で…。

「SEO-P-Link」は、使用している方にはお分かりと思いますが、「サイトの登録・削除」を繰り返していると、いつの間にかカテゴりー数が狂ってくる場合があります。
例えば、「音楽 (-1)」になったりとかですね。(^^;
そのため、確かver3.xxから、管理画面にこれを修正する機能がついています。

それならば、ver.3系にバージョンを上げれば終わりではないかと言われそうですが、ver.2系には、リンクチェックの軽快さという大きなメリットがあり、私にはこのバージョンもなかなか捨てがたいものがあるのです。

ということで、それでは早速改造法に行ってみたいと思います。

①以下のPHPスクリプトをコピペし、ファイル名 renewcatefile.php でデスクトップなどに保存します。

<?php
require_once('config.php');
$renew_data = array();
$cate_data = file(categoryfile);

$count1 = 0;
foreach ($cate_data as $value) {
 list($cate_name_j,$cate_url,$cate_item) = explode("\t",mb_convert_encoding($value,"SJIS","ASCII,JIS,UTF-8,EUC-JP,SJIS"));

 $list_data = file(listfile);
 $count2 = 0;
 foreach ($list_data as $value) {
  list($l_cate_url,$url,$name,$caption,$time,$user_pass,$host,$relinkURL) = explode("\t",mb_convert_encoding($value,"SJIS","ASCII,JIS,UTF-8,EUC-JP,SJIS"));
  if ($cate_url == $l_cate_url)
   $count2++;
 }

 $renew_data[$count1] = $cate_name_j."\t".$cate_url."\t".$count2."\t"."\n";
 $count1++;
}

$old_cate_name = str_replace("dat", "bak", categoryfile);
copy (categoryfile, $old_cate_name);
file_put_contents(categoryfile, $renew_data, LOCK_EX);
?>

②FTTP等でSEO-P-Linkをアップロードしたサーバーにアクセスし、上記のファイルを、seoplink内のsystemファルダ内にアップします。
③次に、template内にあるedit.phpを開き、その最下行に以下の一行を追加し、再アップロードします。

<?php require_once('system/renewcatefile.php'); ?>

改造はこれで終わりです。


さて、それではこのスクリプトの実行方法ですが、非常に簡単で、TOPページより「修正・削除」をクリックするだけです。
クリックすると、上記のスクリプトが自動的に実行され、カテゴリー数が正しいものに修正されます。
ちなみに、この仕様に関しては、TOPページの表示部分に組み込むと、リンク集にアクセスがある度に毎回実行されてしまい、また管理画面にわざわざ入ってメニュー画面から実行するようにするのは、(作るのも)修正するのも手間であろうという判断からこのようになりました。

というより、そもそもver.2.xxは旧バージョンのため、現在使用している方がどれだけいらっしゃるのか分からないのですが(^^;、便利なので本日ここにアップすることにいたしました。
もしもお役に立てば幸いです。(^^)

なお、この方法で改造可能な「SEO-P-Link」のバージョンは、ver.2.XXです。動作チェック及び実装は、ver.2.2で行なっていますが、ver.2系であれば、他でもおそらくOKだと思います。

注意点としては、改造前に必ずソースのバックアップを取り、自己責任で行なってください。


さて、この改造法を気に入られた方は、以下の自動リンクスクリプトのご使用も検討くださるとうれしいです。

自動相互リンクスクリプト、「SuperLink」

自分で言うのも何ですが、スゴく便利ですよ。(^^)

「タイムマシンにおねがい」 - サディスティック・ミカ・バンドの代表曲! アニメ『まぼろしまぼちゃん』の主題歌 バンド名の由来は?

今日は、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」のご紹介です。

タイムマシンにおねがい サディスティック・ミカ・バンド ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、1972年に結成された日本のロックバンドです。

サディスティック・ミカ・バンドは、元「ザ・フォーク・クルセダーズ」の加藤和彦(ギター、ボーカル)、加藤ミカ(ボーカル)、角田ひろ(現:つのだ☆ひろ、ドラムス)で結成されました。そこに、高中正義(リードギター)が加わり、1972年にシングル「サイクリングブギ」でデビューをします。

1974年に発表されたアルバム「黒船」は、日本のロック史における名盤と評されており、当時英米でも発売されました。翌年の1975年には、イギリスでツアーも行っています。

それでは、今日は彼らの代表曲である、「タイムマシンにおねがい」をどうぞ。
 
タイムマシンにおねがい/サディスティックミカバンド

この曲は、アルバム『黒船』の先行シングルで、前述したようにサディスティック・ミカ・バンドの代表曲です。
数多くのアーティストによって、カバーされています。

リードボーカルは加藤ミカが担当している。

またこの曲は、1992年6月17日に、テレビアニメ『まぼろしまぼちゃん』の主題歌として起用されたのを機に再発売されています。

「サディスティック・ミカ・バンド」のバンド名の由来は?

ボーカルの加藤ミカは、加藤和彦の妻(後に離婚)で、「サディスティックミカバンド」という バンド名の由来は、ジョン・レノンが結成していた「プラスティック・オノ・バンド」をもじったものです。

また、加藤ミカの包丁使いが、あまりにサディスティックだったことにも由来しています。

「或る日突然/トワ・エ・モア」 - 週間オリコンチャートで4位を記録した、デビュー曲にしてヒット曲!

今日は、トワ・エ・モワの「或る日突然」のご紹介です。

或る日突然 トワ・エ・モア ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

トワ・エ・モワ (Toi et Moi) は、日本の歌謡ポップデュオです。
1969年にスクールメイツのメンバーだった山室英美子(現:白鳥英美子)と、歌手志望だった芥川澄夫の二人で結成されました。山室英美子の娘は、シンガーの白鳥マイカです。

1969年5月10日、渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)より「或る日突然」でデビューし、これが大ヒットとなります。
その後、「空よ」、「虹と雪のバラード」、「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「地球は回るよ」「愛の泉」など数多くのヒット曲を出し、1960年代後半から1970年代前半にかけて流行した、和製ラウンジ系ポップの先駆けとなります。

「空よ/トワ・エ・モア」 - 「あなたのメロディー」で生まれ、オリコン13位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ

今日は、トワ・エ・モワの「空よ」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。トワ・エ・モワ (Toi et Moi) は、日本の歌謡ポップデュオです。1969年にスクールメイツのメンバ

それでは、今日は彼らのデビュー曲である、「或る日突然」をどうぞ。


トワ・エ・モワ/或る日突然

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は村井邦彦、作曲は山上路夫です。
この曲は、週間オリコンチャートでは最高4位を記録するヒット・ソングとなります。

トワ・エ・モア結成のいきさつ

トワ・エ・モワは、旧姓山室恵美子と芥川澄夫の2人が、スクールメイツに在籍していたときに結成されたデュオです。
当時、2人は別々に歌っていたのですが、「ソロでは線が細い」と事務所に判断され、強制的にデュオに仕立て上げられました。
当初、2人は難色を示しましたが、やはり事務所の意向には逆らえなかったようです。

デビュー曲が大ヒットし、和製ラウンジ系ポップの先駆けに

今日ご紹介した「或る日突然」が大ヒットしたトワ・エ・モアは、その後日本放送協会の『あなたのメロディー』か生まれた「空よ」、1972年札幌オリンピック のテーマ曲である「虹と雪のバラード」、「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「地球は回るよ」「愛の泉」など数多くのヒット曲を世に送り出し、1960年代後半から1970年代前半にかけて流行した、和製ラウンジ系ポップの先駆けとなりました。

トワ・エ・モアの近況

トワ・エ・モワはその後、1973年6月に解散。
ただし、1985年3月、NHKのあなたのメロディーの最終回に於いて同番組内限定の再結成をするなどの活動記録はありました。
解散から約25年の時を経た1997年8月に、『思い出のメロディー』(NHK)に出演して「虹と雪のバラード」を歌唱。
これを機に再結成することとなり、翌1998年の長野冬季五輪の際、志賀高原(長野県)で行なわれた長野オリンピック記念イベント出演を皮切りとして、本格的にトワ・エ・モワとしての音楽活動を再開して現在に至っています。