Super源さんの音楽ブログ

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「銀河のロマンス/ザ・タイガース」- 公称130万枚を売上げ、オリコン1位を記録したヒット曲!

以前、ザ・タイガースの「花の首飾り」をご紹介しました。
 

「花の首飾り/ザ・タイガース」- すぎやまこういちが作曲を手掛けた美しい曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ザ・タイガースの「花の首飾り」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。ザ・タイガース(The Tigers)は、1960年代後半から1970年代の初めにかけて活躍した日本のグ


今日は「銀河のロマンス」をご紹介したいと思います。

銀河のロマンス ザ・タイガース ジャケットイメジ
写真はこちらからお借りしました。

ザ・タイガース(The Tigers)は、1960年代後半から1970年代の初めにかけて活躍した日本のグループ・サウンズ(通称GS)のひとつです。

メンバーは、沢田研二(ボーカル、タンバリン)、岸部修三 現:岸部一徳(ベース、コーラス)、加橋かつみ(ギター、ボーカル、コーラス)、森本太郎(ギター、コーラス)、岸部シロー(ギター、タンバリン、コーラス)、瞳みのる(ドラムス)の5人です。

今日ご紹介する「銀河のロマンス」は、1968年3月25日に発売された、沢田研二がリード・ヴォーカルをつとめている曲で、作詞は橋本淳、作曲はすぎやまこういちです。

それでは早速、「銀河のロマンス」をどうぞ。
 
銀河のロマンス/ザ・タイガース

この曲の歌詞はこちら

この曲の作曲は、すぎやまこういちです。
ホントこの方は、いい曲をたくさん書かれてますよねー。(^O^)

この曲は、発売当初は沢田研二がリード・ボーカルを担当した「銀河のロマンス」をA面にして発売されましたが、その後、B面収録の加橋かつみが初リード・ボーカルをとった「花の首飾り」の人気が上昇したため、ほどなくA面とB面を逆にして再発売されました 。
オリコンチャートでは、両A面表記となっています。

ザ・タイガースのシングルとしては最大のヒット曲となり、累計売上げは公称130万枚、オリコン調べで67.6万枚となっています。
つまり、当時ザ・タイガースから発売されたレコード(CDではない)の中で、一番売れた曲ですね。(^^)

このシングルの売上げに関して、テイチクエンタテインメントから2007年3月21日に発売されたCDアルバム「GSフォーエヴァー100」の解説欄には、「200万枚を超えるセールスを記録し、彼らにとって記念すべき初のオリコンNo.1ヒットとなった」とあります。

「アルハンブラの思い出」 - フランシスコ・タレガの小品で、ナルシソ・イエペスの演奏で有名な曲!

今日は、クラシックの名曲「アルハンブラの思い出」のご紹介です。

ギター独奏曲「アルハンブラの思い出(西語:Recuerdos de la Alhambra)」は、スペインの作曲家・ギタリストのフランシスコ・タレガによる性格的小品で、クラシック・ギター界の巨匠、ナルシソ・イエペスの演奏で有名な曲です。

高度な演奏テクニック、トレモロ奏法を活用した曲としても有名で、右手の薬指、中指、人差し指で一つの弦を繰り返しすばやく弾くことによりメロディを奏します。
親指は、バス声部と伴奏の分散和音を担当します。

それでは早速、その「アルハンブラの思い出」をどうぞ。
 
アルハンブラの思い出(Recuerdos de la Alhambra)/フランシスコ・タレガ

タイトルにあるアルハンブラとは、アルハンブラ宮殿のこと

ちなみに、この曲のタイトルにある「アルハンブラ」というのは、「アルハンブラ宮殿(アルハンブラきゅうでん)」のことです。
アルハンブラ宮殿は、スペインのアンダルシア州グラナダ県グラナダ市南東の丘の上にある宮殿です。

宮殿と呼ばれていますが、城塞の性質も備えていて、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていました。また、その大半はイベリア半島最後のムスリム政権・ナスル朝の時代に建設されました。

建物は白を基調としていますが、アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=カルア・アル=ハムラーと呼ばれていたものが、スペイン語において転訛したものです。
この名称の由来については、城塞周辺の土地の土壌が赤いため、あるいは建築に使われた煉瓦の色であるとか、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど諸説ありますが、アルハンブラ宮殿増築の時、夜を通してかがり火を燃やして工事したため、グラナダ平野から見上げた宮殿が赤く染まって見えたことからこのように呼ばれた、という説が一般的です。

「木綿のハンカチーフ/太田裕美」 - オリコンチャート4位を記録した太田裕美の代表曲!

以前、太田 裕美のデビュー曲である「雨だれ」をご紹介しましたが、今日は「木綿のハンカチーフ」をご紹介したいと思います。

木綿のハンカチーフ 太田裕美 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)1955年1月20日-)は、東京都荒川区生まれ、埼玉県春日部市育ちのシンガーソングライターです。

太田 裕美は、1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビューをします。
キャッチフレーズは、「まごころ弾き語り」で、デビュー当初は、フォーク調でピアノの弾き語りの曲が中心でした。

1975年12月、3作目のアルバム「心が風邪をひいた日」からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒットし、この曲は翌年の1976年にオリコンチャート4位を記録します。

今日は、太田裕美の代表曲でもある、その「木綿のハンカチーフ」をどうぞ。
 
木綿のハンカチーフ/太田裕美

この曲の歌詞はこちら

遠距離恋愛の終焉(しゅうえん)を歌った曲です。
明るくリズミカルな曲調に反して、切ない曲ですねー。(;_;) シクシク・・・

「木綿のハンカチーフ」は、完成まで紆余曲折のあった曲

「木綿のハンカチーフ」は、完成するまで、かなりの紆余曲折(うよきょくせつ)のあった曲です。
作詞の松本隆が、都会に出た男性と故郷に残された女性との遠距離恋愛を、対話形式で歌詞にしたところ、作曲の筒美京平が「詞が長過ぎる」と松本隆に対して、短くすることを望みました。

が、松本隆側の人間と連絡が取れず、仕方なくそのまま歌詞に合わせて曲を作ることになったのですが、実際に取り掛かってみると、すんなりと進み、「いや〜、いい曲が出来たよ」と、喜色満面で提出したというエピソードがあります。

なお、「木綿のハンカチーフ」は、太田裕美の最大のヒット曲となりましたが、世間がいつまでも自分を『「木綿のハンカチーフ」の太田裕美』というイメージで見ていることに対して、ずっと複雑な気持ちを抱いていました。
が、1990年代後半に活動を本格的に再開してから、ファンが、長年にわたって「木綿のハンカチーフ」に深い思い入れをもっていることを知り、心境が変化したといいます。

「ひぐらし」も名曲

太田裕美といえば、「ひぐらし」も有名です。
お時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 
「ひぐらし」- 「木綿のハンカチーフ」で人気が爆発した太田裕美のアルバム・「心が風邪をひいた日」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ

「ひぐらし」- 「木綿のハンカチーフ」で人気が爆発した太田裕美のアルバム・「心が風邪をひいた日」に収録されている名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、太田 裕美の「ひぐらし」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。太田 裕美(おおた ひろみ、本名:福岡 弘美(ふくおか ひろみ、旧姓:太田)1955年1月20日-)は、東京都