Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

Rss  Admin

「純愛/片平 なぎさ」- その後「2時間ドラマの女王」として知られるようになる片平なぎさの、歌手としてのデビュー曲 面白い裏話も紹介!

今回は、「片平 なぎさ」の「純愛」のご紹介です
「純愛」は、1975年に発売された片平なぎさのデビュー曲です!
片平なぎさといえば、1990年代に日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の「小京都ミステリー」シリーズ、フジテレビの「山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ」などに出演する「2時間ドラマの女王」として知られる女優です。
「純愛」は1975年、つまりその前に歌手としてデビューしたときの曲です。
この記事では、片平 なぎさの人物紹介、「純愛」の楽曲紹介、そして面白い裏話を厳選してご紹介します!

純愛 片平なぎさ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

片平なぎさってどんな人?

片平なぎさ(かたひら なぎさ、1959年7月12日 -)は、東京都品川区出身の元歌手、女優です。

片平なぎさは、1974年に日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」に出演し、1975年に東芝から「純愛(1975年1月20日)」で歌手デビューをします。

そして同年、「美しい契り」で第17回日本レコード大賞新人賞、新宿音楽祭銀賞などを受賞。

当初は歌手として活動しますが、1975年に映画「青い山脈」で女優デビュー。その3年後には、本格的に女優へ転向します。

その後、1990年代からは、日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の「小京都ミステリー」シリーズ、フジテレビの「山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ」、またテレビ朝日「土曜ワイド劇場}』の「子づくり旅行」シリーズなど、2時間ドラマの主演シリーズを持つようになり、それ以降「2時間ドラマの女王」等の異名で知られるようになります。

また、片平なぎさは人当たりの良さでも知られ、学生時代の彼女を知る人は「真面目で勉強もよくできた人」と口をそろえていいます。
現在でも、ファンやスタッフ、投宿先の従業員にまで挨拶や気遣いを欠かさない気配りの人だということです。

「純愛」名曲紹介

今日は、そんな片平なぎさのデビュー曲である、作詞:山上路夫、作曲:三木たかしによる「純愛」をどうぞ。
 
純愛/片平なぎさ

この曲の歌詞はこちら

いいですねー。(^o^)
あべ静江の「みずいろの手紙」を彷彿とさせる佳曲です。
 

「みずいろの手紙/あべ 静江」 - 「コーヒーショップで」に続いて発売された名曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、あべ 静江の「みずいろの手紙」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。あべ 静江(あべ しずえ、本名:阿部 静江、1951年11月28日 -)は、三重県松阪市出身の歌手、女


ただこの曲、一見爽やかですが、実はかなり重い曲なんですよね。(後述)【><】

片平なぎさは、1983年から1984年にかけて放送されたドラマ『スチュワーデス物語』で、主役である堀ちえみをいじめる悪役を演じて一躍評判となりましたが、このドラマは若者世代を中心に視聴率が高かったために、その社会的影響度は大きなものでした。

また片平なぎさは、1990年代から、清楚(せいそ)感あふれる聡明な女性や、正義感の強い気丈な女性の探偵役を演じることが増え、日本テレビ『火曜サスペンス劇場』の『小京都ミステリー』シリーズ、フジテレビの『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』、テレビ朝日『土曜ワイド劇場』の『子づくり旅行』シリーズなどの2時間ドラマの主演を多数努めるようになったことから、その後は「2時間ドラマの女王」の異名で知られるようになります。

「純愛」の面白い裏話

片平なぎさのデビュー曲「純愛」は、実は“制作裏話”そのものは多く語られている作品ではありません。
しかしながら、当時の背景や関係者の特徴を踏まえると、いくつかの面白い準・裏話”的な話があります。

① もともと“アイドルっぽくないデビュー曲”だった

「純愛」は片平なぎさの1975年のデビュー曲ですが、実は内容はかなり重いです。
  • 「死ぬだけ」とまで言い切る激しい愛情表現
  • 失恋・別れ・追いかける女性像など暗いテーマ
実際、同時期のアイドル曲としては異例レベルで暗く、
「当時でも古臭い純愛型ラブソング」と評されることもあります。

つまり制作側は、いわゆる“明るいアイドル売り”ではなく
最初から“ドラマ性のある歌手”として売ろうとしていた可能性が高いです。

② 作家陣が“歌謡曲の本格派すぎる布陣”

この曲は、
  • 作詞:山上路夫
  • 作曲:三木たかし
という、昭和歌謡の王道コンビ。

新人アイドルにしてはかなり“本気の布陣”で、
「新人にしては重すぎる曲」になった理由の一つといわれます。

③ オーディション番組から“いきなりこの曲”

片平なぎさはオーディション番組「スター誕生!」出身で、
そのまま「純愛」でデビューしています。

普通は、
  • 明るいポップスで様子を見る
  • キャラを作る
という流れが多いのに対して、

いきなり“悲劇的な純愛ソング”

これは当時としてもかなり珍しく、
制作側が彼女の“落ち着いた雰囲気”を強く見ていた証拠といわれます。

④ 本人は「歌があまり好きではなかった」という説

後年のエピソードとして、
  • 片平なぎさ自身は歌手活動にそこまで強い執着がなかった
  • むしろ女優志向が強かった
という話もあります。

つまり裏を返すと
“演じるように歌う”スタイルが結果的に「純愛」のドラマ性とマッチした
とも考えられます。

⑤ 結果的に“後の女優路線を予感させる一曲”

「純愛」の特徴は、
  • セリフのような歌詞
  • 感情の振り切れた女性像
  • ストーリー性の強さ
これはそのまま、
後の「2時間ドラマの女王」と呼ばれる彼女のイメージに直結しています。

まとめ(ちょっとした裏話の核心)

「純愛」は、いわゆる制作秘話が多いタイプの曲ではありませんが、
  • 新人にしては異例の“重すぎる楽曲”
  • ベテラン作家によるガチ制作
  • 本人の女優気質との偶然の一致
この3つが重なり、
結果的に“女優・片平なぎさの原型”みたいなデビュー曲になった

というところが一番面白いポイントです。

「ランナウェイ/ラッツ&スター」 - ミリオンセラーを記録したデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、ラッツ&スターの「ランナウェイ」のご紹介です。

ランナウェイ ラッツ&スター ジャッケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ラッツ&スター(RATS & STAR)は、音楽バンドです。
かつては(CHANELS、後にSHANELSに変更)のバンド名で活動していましたた。
4人のボーカルが顔を黒く塗り、ドゥーワップを歌っているのが特徴のひとつです。

メンバーは、鈴木雅之(リードボーカル)、田代まさし(テナーボーカル)、佐藤善雄(バスボーカル)、久保木博之(トップテナーボーカル)、桑野信義(トランペット、ボーカル)、出雲亮一(ギター、ボーカル)、新保清孝(ドラムス、ボーカル) です。

ラッツ&スターは、1980年2月、メンバー10人でレコードデビューをします。
デビュー曲は「ランナウェイ」で、これがミリオンセラーを記録する大ヒット。
靴墨を顔に塗ることで、ブラックミュージックの雰囲気を出したことが話題となり、お茶の間でも一躍人気グループとなります。

当時、「『ドゥー・ワップ』ってなんだろう?」と、音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こします。

同年6月21日には2枚目のシングル「トゥナイト」を、そして翌年の2月1日には3枚目のシングル「街角トワイライト」を発売。
この曲は、オリコンチャート第1位を記録します。


今日は、デビュー曲である「ランナウェイ」をどうぞ。
 
ランナウェイ/ラッツ&スター

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、デビュー当時のバンド名「シャネルズ」の由来は、憧れのグループであったアメリカのオールディーズバンド「シャ・ナ・ナ(Sha na na)」と、ドゥーワップグループ「ザ・チャンネルズ(The Channels)」を合わせて作られたものです。

また、新バンド名の「RATS & STAR」の由来は、「ドブネズミ達と星」を意味し、下町育ちのドブネズミ達がDoo-Wapを歌うと、RATSがひっくり返ってSTARになったというのが本義となっています(この語は回文になっています)。

「雨のハイスクール/芳本 美代子」 - 「白いバスケット・シューズ」で歌手デビューした芳本美代子の1985年のヒット曲

今日は、「芳本 美代子」の「雨のハイスクール」のご紹介です。

雨のハイスクール 芳本 美代子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

芳本 美代子(よしもと みよこ、本名:金山 美代子(かなやま みよこ、旧姓:芳本 1969年3月18日 - ) は、山口県宇部市出身の女優、元アイドル歌手です。愛称はみっちょん。

芳本 美代子は、中学3年在学中の1983年に、KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わります。
が、テレビ放送を見たテイチクレコードのスタッフにスカウトされ、山口から福岡に通う形で、歌のレッスンを始めます。

そして、1984年3月、芸映プロがマネジメントを引き受け、同年8月に上京。
翌年の1985年3月21日に「白いバスケット・シューズ(作詞:松本隆 作曲:井上大輔)」で歌手デビューを果たします。併せて、同年の各音楽祭で新人賞を獲得します。
 

「白いバスケット・シューズ/芳本 美代子」 - 石川秀美の妹分としてデビューした芳本美代子のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、芳本 美代子の「白いバスケット・シューズ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。芳本 美代子(よしもと みよこ、本名:金山 美代子(かなやま みよこ、旧姓:芳本 1969


1990年以降は、芸能活動の主体を歌からテレビドラマや舞台に切り替えて、数多くの作品に出演するほか、女優としてテレビドラマや舞台等で活躍しています。

今日は、そんな芳本 美代子の曲の中から、1985年9月11日に発売された、作詞:松本隆、作曲:財津和夫による「雨のハイスクール」をどうぞ。
 
雨のハイスクール/芳本 美代子

この曲の歌詞はこちら

芳本 美代子のシングルは、1985年から1990年までの間に19タイトルが発売され、オリコンチャートでは内5枚がベスト10入りをします。

最高位は、「ヴァニティ・ナイト」で、この曲の週間売り上げは第5位。
アルバムは、1985年から1989年までの間にオリジナル盤が10枚、ライブ盤が1枚で、ベスト盤は1986年-1989年に3枚と、2003年に1枚がそれぞれ発売されています。

オリコンチャートでは、内1枚がベスト10入りし、最高位は「WING」で、この曲の週間売り上げは第10位。

また、テイチク所属の女性アイドルの中で、1970年 - 1980年代にオリコンチャートでシングルベスト10入りしたのは、高田みづえと芳本美代子の2人だけで、アルバムチャートでベスト10に到達したのは芳本美代子ただ1人です。

TBSの「ザ・ベストテン」には、1986年に2曲が計2週チャートイン。最高位は「Auroraの少女」の8位と、「青い靴」の10位。

芳本 美代子のエピソード

・風見しんごは、小学校時代の先輩。

・デビュー当初憧れていた芸能人は石野真子、松田聖子、真田広之。

・若手時代にレコード会社対抗の運動会に出場したが、運動音痴であったため1回出場して以来期待されなくなった。

・芸能界で一番うれしかったことは、仕事で、何度も海外に連れて行ってもらったことだといいます。

・1980年代は。ジャニーズ系のアイドルと共演しただけで女性アイドルは異性のファンから嫉妬されてバッシングを受けることがありましたが、芳本美代子場合は同性のファンばかりだったので、そうした経験はありませんでした。
また、恋愛を疑われることとも、彼女の場合無縁だったといいます。