Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ひなげしの花/アグネス・チャン」 - オリコン週間5位を記録したデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、アグネス・チャンの「ひなげしの花」のご紹介です。

ひなげしの花 アグネス・チャン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

アグネス・チャン(本名:陳美齡、英語:Agnes Miling Kaneko Chan、日本名:金子 陳 美齢(かねこ チャンメイリン)、1955年8月20日 -)は、香港の歌手、エッセイストです。
カトリック教徒で、「アグネス」は洗礼名。

アグネス・チャンは、1972年11月25日に「ひなげしの花」で、日本で歌手デビューをします(※)。
キーの高い澄んだ声と、愛くるしいルックス、そしてたどたどしいけれども一生懸命に日本語で歌うその真摯な姿が受け、一躍人気アイドルとなります。

そしてその後、「妖精の詩」「草原の輝き」「小さな恋の物語」「星に願いを」「ポケットいっぱいの秘密」など多くのヒットを飛ばし、台湾やアメリカ合衆国などでも音楽活動を行ないます。
 

「ポケットいっぱいの秘密/ アグネス・チャン」 - オリコン6位を記録したヒット曲! なんと、歌詞には「たて読み」が仕込まれていた!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。アグネス・チャン(本名:陳美齡、英語:Agnes Miling Kaneko Chan、


今日は、デビュー曲である「ひなげしの花」をどうぞ。
 
ひなげしの花/アグネス・チャン

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は山上路夫、作曲は森田公一です。オリコンチャートにおいて週間5位、1973年度年間28位を記録しました。

アグネス・チャンはこの曲で、1973年の年末に行なわれた「第24回NHK紅白歌合戦」に出場。
この曲は、アグネス・チャンのモノマネをする際に歌われるなど、代表曲のひとつとなっています。

また、シングルレコードには、ワーナーパイオニア盤のほか、SMS盤(AR-G006)があり、B面には妖精の詩が収録されています。

アグネス・チャンは、近年では歌手としての活躍以外に、1998年に初代日本ユニセフ協会大使に就任するなど、ボランティアやチャリティー等を通じた社会奉仕や貧困・平和についての発言でも知られているところです。

※ 前年の1971年、日本でデビューする前に、アグネス・チャンは祖国香港でデビュー(曲は、Joni Mitchell(ジョニ・ミッチェル)のカバーである「Circlr Game(サークル・ゲーム)」)しています。

「揺れるまなざし/小椋 佳」 - 資生堂キャンペーンソング

今日は、小椋 佳の「揺れるまなざし」のご紹介です。

揺れるまなざし 小椋 佳 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

小椋 佳(おぐら けい、本名:神田 紘爾(かんだ こうじ)、1944年1月18日 -)は、シンガーソングライター、作詞家、作曲家です。

小椋 佳は、1971年に「しおさいの詩 / さらば青春」で歌手デビューをします。
 

「さらば青春/小椋佳」 - 管理人一押し! 大阪ガス 神戸風景の企業CMソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、小椋佳の「さらば青春」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。小椋佳(おぐら けい、本名: 神田紘爾(かんだ こうじ)、1944年1月18日 -)は、東京都台東区上野出身の


当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていましたが、次第にジャンルを広げていきます。

歌手として、自ら曲を歌う一方、他の歌手への楽曲提供も多く、「シクラメンのかほり」(歌:布施明)を初めとして、「俺たちの旅」「時」「俺たちの祭」「愛燦燦」「愛しき日々」(作曲・歌:堀内孝雄)、「山河」(作曲:堀内孝雄、歌:五木ひろし)、「白い一日」(作曲・歌:井上陽水)などがあります。

また、小椋佳の書く詞は、季節、旅、恋などを切り口としたものが多く、その内容は、非常に抽象的であることが特徴のひとつとして挙げられるでしょう。

今日は、1976年7月21日に発売された「揺れるまなざし」をどうぞ。
 
揺れるまなざし/小椋 佳

この曲の歌詞はこちら

この曲は、資生堂キャンペーンソングに使われました。

「揺れるまなざし」誕生秘話

当時、第一勧銀で財務を担当していた小椋佳の顧客で、資生堂の宣伝部長・福原義春に、

「神田君、こんなことやってるんだ」

と言われてCMソングを依頼され、断り切れずに曲を作ります。
こうしてできた曲が、資生堂の初のCMキャンペーン「ゆれる・まなざし」です。

この曲は、CMソングの先駆けになり、これ以降、資生堂ではCMイメージソングを重要視するようになります。

シカシ、コノ曲ヲ キクト、昔ノ コトヲ イロイロト 思イ出ス ナア!(--)トオイ メ
ン?
スルト君ハ、コノ曲ヲ キカナイト 何モ 思イ出セナイ ノカ。(?_?)ヾ(^^;)ソウジャナイッ テ!

「揺れるまなざし」には2種類のジャケットが

ちなみに、この曲のシングル盤は、当時CMに出演していた女優・真行寺君枝(しんぎょうじ きみえ、本名:同じ、1959年9月24日 -)がジャケットのものと、写真なしの通常版との2種類があります。

写真なしバージョン
揺れるまなざし 小椋 佳 ジャケットイメージ 写真なしバージョン
写真は、こちらからお借りしました。

「春ラ!ラ!ラ!/石野 真子」 - 16万枚の売上げを記録した、石野真子最大のヒット曲!

今日は、石野 真子の春うらら、 (.。)☆\バキ じゃなかった、「春ラ!ラ!ラ!」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。

当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子に付けられたのは「100万ドルの微笑」でした。また、八重歯とタレ目であることもチャームポイントにしていました。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。

今日はその「春ラ!ラ!ラ!」をどうぞ。
 
春ラ!ラ!ラ!/.石野真子

この曲は、石野真子が芸能界デビューの契機となる『スター誕生!』の審査員を務めた、森田公一が作曲を手掛けてできた曲です。

石野真子の発売した楽曲の中で、自己最大となる16万枚の売上げを記録し、また、オリコンチャートの最高位は、デビュー曲「狼なんか怖くない」の17位を上回る16位にランクイン。
さらには、1980年度のオリコン年間順位においても、100位内(93位)にランクインします。