Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「揺れるまなざし/小椋 佳」 - 資生堂キャンペーンソング

今日は、小椋 佳の「揺れるまなざし」のご紹介です。

揺れるまなざし 小椋 佳 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

小椋 佳(おぐら けい、本名:神田 紘爾(かんだ こうじ)、1944年1月18日 -)は、シンガーソングライター、作詞家、作曲家です。

小椋 佳は、1971年に「しおさいの詩 / さらば青春」で歌手デビューをします。
 

「さらば青春/小椋佳」 - 管理人一押し! 大阪ガス 神戸風景の企業CMソング|Super源さんの音楽ブログ


今日は、小椋佳の「さらば青春」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。小椋佳(おぐら けい、本名: 神田紘爾(かんだ こうじ)、1944年1月18日 -)は、東京都台東区上野出身の


当初は、フォークソングあるいはニューミュージックに分類されていましたが、次第にジャンルを広げていきます。

歌手として、自ら曲を歌う一方、他の歌手への楽曲提供も多く、「シクラメンのかほり」(歌:布施明)を初めとして、「俺たちの旅」「時」「俺たちの祭」「愛燦燦」「愛しき日々」(作曲・歌:堀内孝雄)、「山河」(作曲:堀内孝雄、歌:五木ひろし)、「白い一日」(作曲・歌:井上陽水)などがあります。

また、小椋佳の書く詞は、季節、旅、恋などを切り口としたものが多く、その内容は、非常に抽象的であることが特徴のひとつとして挙げられるでしょう。

今日は、1976年7月21日に発売された「揺れるまなざし」をどうぞ。
 
揺れるまなざし/小椋 佳

この曲の歌詞はこちら

この曲は、資生堂キャンペーンソングに使われました。

「揺れるまなざし」誕生秘話

当時、第一勧銀で財務を担当していた小椋佳の顧客で、資生堂の宣伝部長・福原義春に、

「神田君、こんなことやってるんだ」

と言われてCMソングを依頼され、断り切れずに曲を作ります。
こうしてできた曲が、資生堂の初のCMキャンペーン「ゆれる・まなざし」です。

この曲は、CMソングの先駆けになり、これ以降、資生堂ではCMイメージソングを重要視するようになります。

シカシ、コノ曲ヲ キクト、昔ノ コトヲ イロイロト 思イ出ス ナア!(--)トオイ メ
ン?
スルト君ハ、コノ曲ヲ キカナイト 何モ 思イ出セナイ ノカ。(?_?)ヾ(^^;)ソウジャナイッ テ!

「揺れるまなざし」には2種類のジャケットが

ちなみに、この曲のシングル盤は、当時CMに出演していた女優・真行寺君枝(しんぎょうじ きみえ、本名:同じ、1959年9月24日 -)がジャケットのものと、写真なしの通常版との2種類があります。

写真なしバージョン
揺れるまなざし 小椋 佳 ジャケットイメージ 写真なしバージョン
写真は、こちらからお借りしました。

「春ラ!ラ!ラ!/石野 真子」 - 16万枚の売上げを記録した、石野真子最大のヒット曲!

今日は、石野 真子の春うらら、 (.。)☆\バキ じゃなかった、「春ラ!ラ!ラ!」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

石野 真子(いしの まこ、本名:同じ 1961年1月31日 -) は、兵庫県神崎郡神崎町(現: 神河町)生まれ、芦屋市育ちの女優、歌手です。女優のいしのようこ(旧表記・石野陽子)は実妹。

石野 真子は、日本テレビの「スター誕生!」から文字通り誕生した歌手で、1978年3月25日に、「狼なんか怖くない」でデビューをします。

当時、アイドルにはキャッチフレーズをつける慣習のようなものがあり、石野真子に付けられたのは「100万ドルの微笑」でした。また、八重歯とタレ目であることもチャームポイントにしていました。

その後は、「わたしの首領<ドン>」「失恋記念日」「日曜日はストレンジャー」「プリティー・プリティー」「ワンダー・ブギ」と、ヒットを飛ばしていきます。

そして、デビューから2年後の1980年1月1日には、8枚目のシングル「春ラ!ラ!ラ!」を発売。この曲は、石野真子自己最大のヒット曲となります。

今日はその「春ラ!ラ!ラ!」をどうぞ。
 
春ラ!ラ!ラ!/.石野真子

この曲は、石野真子が芸能界デビューの契機となる『スター誕生!』の審査員を務めた、森田公一が作曲を手掛けてできた曲です。

石野真子の発売した楽曲の中で、自己最大となる16万枚の売上げを記録し、また、オリコンチャートの最高位は、デビュー曲「狼なんか怖くない」の17位を上回る16位にランクイン。
さらには、1980年度のオリコン年間順位においても、100位内(93位)にランクインします。

「水色の恋/天地 真理」 - 管理人一押し! 43.2万枚の売上げを記録した、天地真理のデビュー曲にしてヒット曲!この後も 11枚目のシングルまでヒットを連発!

今日は、天地 真理の「水色の恋」のご紹介です。

水色の恋 天地 真理 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 -)は、埼玉県大宮市(現さいたま市)出身の女性歌手です。

天地 真理は、小学5年生の頃、母親に買ってもらった88鍵のアップライト・ピアノに親しみ、演奏の腕を上げていきます。
そして、1964年に、国立音楽大学附属中学校に入学。
1967年には、国立音楽大学附属高等学校に進学。当初はピアノ科に入るも、のち声楽科へ転科します。

1970年3月、国立音楽大学附属高等学校声楽科を卒業し、同年7月に、TBS系視聴者参加番組「ヤング720」に出演。また同年12月には、渡辺プロダクションへの所属が内定します。

デビュー曲は、1971年に発売された「水色の恋」。
天真爛漫な笑顔で国民的アイドルとなった天地 真理は、後に続くアイドル歌手の基本スタイルを確立します。

そして、その後は「ちいさな恋」「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「ふたりの日曜日」「若葉のささやき」「恋する夏の日」「空いっぱいの幸せ」「恋人たちの港」「恋と海とTシャツと」「想い出のセレナーデ」と、次々に大ヒット曲を飛ばしていきます。
 

「想い出のセレナーデ/天地 真理」 - オリコンで週間4位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、天地 真理の「想い出のセレナーデ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。天地 真理(あまち まり、1951年11月5日 -)は、埼玉県大宮市(現さいたま市)出身の女性歌手


キャッチフレーズは「(あなたの心の隣にいるソニーの)白雪姫」。デビュー当初は、「可愛いアヒルちゃん」という愛称も用いられました。

今日は、デビュー曲である「水色の恋」をどうぞ。
 

水色の恋/天地真理

この曲の歌詞はこちら

とても素敵な曲。(#^.^#)
明るさと切なさのバランスがいいですね。(^・^)

この曲は、1971年(昭和46年)11月22日にオリコン9位に初登場。
その後、徐々に成績を伸ばしてゆき、週間オリコンチャート3位まで上り詰めます。

そして、オリコン10位以内に12週連続チャート入りし、100位以内に27週ランクインするなどのロングヒットを記録した作品となります。

売上げ枚数はオリコン集計では43.2万枚で、また1972年(昭和47年)の年間オリコンチャートでは29位を記録します。
天地真理は、このデビュー曲から11枚目のシングルまで、(11作)連続オリコンTOP10を記録していくことになります。

ちなみに、この曲は、当時ヤマハ音楽振興会が主催していた作曲コンクール(ポプコンの前身)の第2回大会(1970年11月5日)のエントリー曲で、作詞・作曲をされた田上えり、田上みどりのお二方はプロではなく、いわばアマチュアのライターです。

Incidentally, this tune was an entry in the second contest (November 5, 1970) of the composition contest (the predecessor of Popcon) sponsored by the Yamaha Music Promotion Society at that time.
The two people who wrote the lyrics and music, Eri Tanoue and Midori Tanoue, are not professionals, but amateur writers, so to speak.

ご興味をもたれた方は、以下の記事をお読みになってみて下さい。天地真理がこの曲にてデビューするようになったきっかけなども書かれており、大変興味深いです。

「水色の恋」の作詞・作曲者 | 天地真理カフェ 一杯のレモンティー