Super源さんの音楽ブログ

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「湘南海岸通り/岡田奈々」 - 「ひとりごと」でデビューした岡田奈々の1978年発売のシングル

今日は、岡田奈々の「湘南海岸通り」のご紹介です。

湘南海岸通り 岡田奈々 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市出身の女優、元歌手です。
小学校の頃、「ヤイ!ひろこ!」と言われて嫌だったといいます。

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、岐阜市の繁華街・柳ヶ瀬を歩いていたときに、レコード店にキャンペーンで来ていたある歌手のスタッフにスカウトされたのがデビューのきっかです。
オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日に、シングル「ひとりごと」で歌手デビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、そして1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。
 

「青春の坂道/岡田奈々」 - 「俺たちの旅(第22話)」の挿入歌 岡田奈々の曲の中では管理人一押しの曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「岡田奈々」の「青春の坂道」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やいひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市鏡島出身


1979年(昭和54年)からは、女優業に本格転向。大学は中退します。
映画戦国自衛隊(1979年)」や「里見八伝(1983年)」といった全盛期の角川映画、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ(1984年 - 1985年)」などで活躍します。
作家の安部譲二は、岡田奈々の熱烈なファンで、自身原作の映画作品に岡田奈々に出演の依頼をして、実現させたものが、1987年(昭和62年)公開の「塀の中のプレイ・ボール」です。

さて、今日ご紹介する「湘南海岸通り」は、1978年9月21日に発売された通算13枚目のシングルで、作詞はたかたかし、作曲は馬飼野康二です。

それでは早速、「湘南海岸通り」をどうぞ。


湘南海岸通り/岡田奈々

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、ナレーターである水樹奈々は、父親が岡田奈々のファンであったことから奈々と名づけられました。

また、作曲の馬飼野 康二(まかいの こうじ)ですが、面白いことに、Mark Davis、Jimmy Johnson、Michael Korgenといった、外国人風のペンネームももっています。これは、1970年代後半以降に、テレビCMで外国人アーティストが起用されることが多くなったことから、作曲家の名前も外国人風にということでつけられたとのことです。

「ひとつぶの涙/シモンズ」 - 明治チェルシーCMソング シモンズの名前の由来は?

シモンズは、田中ユミ、玉井タエ2人による女性デュオです。

ひとつぶの涙
写真は、こちらからお借りしました。

シモンズの2人は、高校時代から「ベッツィ&クリス」のカバーなどを歌い、ライブ活動をしていましたが、毎日放送ラジオの「ヤングタウン」のオーディションで合格します。

そして、高校卒業後上京し、「恋人もいないのに」で歌手デビューをします。
 

「恋人もいないのに/シモンズ」 - 60万枚以上を売上げた、シモンズのデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、シモンズの「ふりむかないで」をご紹介しました。 「ふりむかないで/シモンズ」 - オリコン37位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、シモンズの「ふりむかないで


その後、1978年に、テレビドラマの主題歌を歌うことにより、一時的に活動を再開しますが、翌年、玉井タエの離婚により本格的に解散することになります。

シモンズは、計100曲を超えるCM曲をうたっていますが、明治製菓のチェルシーのCMソングである「ひとつぶの涙」はとりわけ有名です。

今日はその「ひとつぶの涙」をどうぞ。
 
ひとつぶの涙/シモンズ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコン最高順位62位を記録しています。

シモンズの名前の由来は?

ちなみに、「シモンズ」というグループ名は、一体どこから来ているのでしょうか?
シモンズというのは、2人がファンであった「サイモン&ガーファンクル」のサイモン(Simon)をローマ字読みしたものです。

「ありがとう/いきものがかり」 - NHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌 バンド名の由来は?

今日は、いきものがかりの「ありがとう」のご紹介です。

ありがとう いきものがかり ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

いきものがかりは、2人組の音楽グループです。
1999年(平成11年)2月に、小学校時代からの同級生である水野良樹と山下穂尊が、男性2人組アマチュアバンドを結成。
同年の11月にボーカルの吉岡聖恵が加わって、男女3人組となりました。
その後、山下穂尊が脱退し、現在は水野良樹と吉岡聖恵の2人組となっています。

2000年9月から2003年4月までは、メンバーの大学受験・進学に伴い活動を休止します。
そして、活動再開後の2003年8月25日に、アルバム「誠に僭越ながらファーストアルバムを拵えました…」でインディーズ・デビューを果たし、3年後の2006年3月15日に、シングル「SAKURA」でメジャー・デビューを果たします。

いきものがかりは、アニメソング、CMソング、テレビドラマ、また映画の主題歌などを数多く手掛けており、メジャーデビューから2012年までに発売した全てのシングルA面曲にタイアップがついています。

今日は、そんな彼らの多くの楽曲の中から、2010年5月5日に発売された通算18枚目のシングルである 「ありがとう」をどうぞ。
 
ありがとう/いきものがかり

いい曲ですねー。(^O^)
「ありがとう」は、NHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』の主題歌です。
『ゲゲゲの女房』は、マンガ『ゲゲゲの鬼太郎』の作者である水木しげるを支えた妻・武良布枝の自伝が原作の物語です。

この曲は、いきものがかりがNHKからの曲制作の依頼を受けて書き下ろされたもので、「お互いを“思い合うこと”の積み重ねが、とても大きなことに繋がるのでは」という、シンプルながらも大切なことを歌った曲です。
温かく、優しく、そして力強い曲で、いきものがかりらしい仕上がりになっています。

バンド名「いきものがかり」の由来は?

「いきものがかり」というバンド名は、結成した際、水野良樹と山下穂尊の唯一の共通点が小学校1年生のときに金魚に餌をあげる「生き物係」だったことに由来しています。

もともと、「いきものがかり」というのは仮称でした。
吉岡聖恵が加入した際、これを契機に、バンド名の変更が検討されたのですが、吉岡聖恵がこの名前を気に入ったことから、変更されることなく現在に至っています。