Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「ミスティー」 - オリコン53位を記録したヒット曲

以前、桜田淳子の「天使も夢みる」をご紹介しましたが、今日は、「ミスティー」をご紹介したいと思います。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組「スター誕生!」の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌って番組史上最高得点となる573点で合格します。

同年9月6日に後楽園ホールで行われた第4回決戦大会においては、これも番組史上最高の25社から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で、最優秀賞(グランドチャンピオン)を受賞します。

そして、その翌年の1973年2月25日に、ビクター音楽産業より歌手デビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は12.1万枚を売上げ、オリコンチャートでも12位になるなど、幸先の良いスタートを切ります。

今日はその、エンジェルハットの良く似合う桜田淳子の、1981年6月5日に発売されたヒット曲である「ミスティー」をどうぞ。
 
ミスティー/桜田淳子

この曲の作詞は小林和子、作曲は小田裕一郎です。
「ミスティー」は、当時オリコンチャートにおいて最高順位53位を記録。
この曲が、現時点で桜田淳子のオリコンにチャートインした最後の曲となっています。

また、この曲は1991年に北岡夢子がカバーしています。

「銀の雨/松山千春」 - シングル「かざぐるま」のB面に収録されている名曲

今日は、松山 千春の「銀の雨」のご紹介です。

銀の雨 松山千春 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 -)は北海道足寄郡足寄町出身のフォークシンガーです。

1975年、STVラジオの竹田健二ディレクターに見出され、翌年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビューをします。
続いて翌1977年の1月25日に、「旅立ち」でレコードデビューを果たします。

翌年の1978年、発売したシングル「季節の中で」が大ヒットしたことでブレイクし、 その後も「窓(1979年)」「恋(1980年)」「長い夜(1981年)」をはじめとする多数のヒット曲を世に送り出し、ニューミュージック界に確固たる地位を築きます。

今日ご紹介する「銀の雨」は、1977年6月25日に発売された、通算2枚目のシングルである「かざぐるま」のB面に収録されていた曲で、作詞・作曲は、ともに松山千春自身です。

それでは早速、「銀の雨」をどうぞ!( ^-^)/
 
銀の雨/松山千春

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1986に発売されたアルバム『旅立ち』で再録音され、松山千春自身が選曲したベスト・アルバム『風景』にも収録されています。

つまり、松山千春自身もお気に入りの曲なのですね。(^^)

「湘南海岸通り/岡田奈々」 - 「ひとりごと」でデビューした岡田奈々の1978年発売のシングル

今日は、岡田奈々の「湘南海岸通り」のご紹介です。

湘南海岸通り 岡田奈々 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やい ひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市出身の女優、元歌手です。
小学校の頃、「ヤイ!ひろこ!」と言われて嫌だったといいます。

岡田奈々は、1974年、岐阜市の鶯谷女子高等学校高校1年在学中に、岐阜市の繁華街・柳ヶ瀬を歩いていたときに、レコード店にキャンペーンで来ていたある歌手のスタッフにスカウトされたのがデビューのきっかです。
オーディション番組「あなたをスターに!」の第2回チャンピオンとなり、翌1975年5月10日に、シングル「ひとりごと」で歌手デビューします。

以来、ポッキーの初代CMガール(1975年 - 1980年)や、青春ドラマ「俺たちの旅」での田中健の妹役、そして1976年のシングル「青春の坂道」のヒットなど、アイドルとして活躍します。
 

「青春の坂道/岡田奈々」 - 「俺たちの旅(第22話)」の挿入歌 岡田奈々の曲の中では管理人一押しの曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「岡田奈々」の「青春の坂道」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。 岡田奈々(おかだなな、本名:矢井弘子(やいひろこ)、1959年2月12日 -)は、岐阜県岐阜市鏡島出身


1979年(昭和54年)からは、女優業に本格転向。大学は中退します。
映画戦国自衛隊(1979年)」や「里見八伝(1983年)」といった全盛期の角川映画、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ(1984年 - 1985年)」などで活躍します。
作家の安部譲二は、岡田奈々の熱烈なファンで、自身原作の映画作品に岡田奈々に出演の依頼をして、実現させたものが、1987年(昭和62年)公開の「塀の中のプレイ・ボール」です。

さて、今日ご紹介する「湘南海岸通り」は、1978年9月21日に発売された通算13枚目のシングルで、作詞はたかたかし、作曲は馬飼野康二です。

それでは早速、「湘南海岸通り」をどうぞ。


湘南海岸通り/岡田奈々

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、声優、歌手、ラジオパーソナリティ、ナレーターである水樹奈々は、父親が岡田奈々のファンであったことから奈々と名づけられました。

また、作曲の馬飼野 康二(まかいの こうじ)ですが、面白いことに、Mark Davis、Jimmy Johnson、Michael Korgenといった、外国人風のペンネームももっています。これは、1970年代後半以降に、テレビCMで外国人アーティストが起用されることが多くなったことから、作曲家の名前も外国人風にということでつけられたとのことです。