Super源さんの音楽ブログ

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「過ぎし日の思い出(torn Between Two Lovers)/メアリー・マクレガー(Mary Macgregor)」 - 名曲のご紹介

今日は、メアリー・マクレガーの「過ぎし日の思い出(torn Between Two Lovers)」のご紹介です。

過ぎし日の思い出 メアリー・マクレガー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

メアリー・マクレガー(Mary Macgregor 1948~)は、アメリカのミネソタ州セント・ポール出身の歌手で、1976年に発売された「(過ぎし日の思い出(torn Between Two Lovers)」で良く知られています。
この曲は、全米ビルボードチャートにおいて、2週間1位にランクされました。

メアリー・マクレガーは、6歳の時にピアノを習いはじめ、10代の初めから地元のバンドとプロとして歌いはじめます。
ミネソタ大学に入学後は、フォーク、R&B、ロックなど、多様なバンドとともにアメリカ中を回ります。
そんな折、彼女はPPMのピーター・ヤロウの目に留まり、ピーターのバックコーラスとして行動を共にすることになります。その後、彼女の声は、彼のラブソングアルバムの中にお目見えすることになります。

アリオラ・レコードと契約したメアリー・マクレガーは、1976年の終りにデビューシングルである「過ぎし日の思い出(torn Between Two Lovers)」を発売します。

今日はその、過ぎし日の思い出(torn Between Two Lovers)をどうぞ。( ^-^)/
Torn Between Two Lovers "Mary Mc Gregor" (Sub... 投稿者 COYOTERUBEN

この曲の歌詞はこちら。訳詞はこちら

この記事を書くために飲用、じゃなかった引用したサイト
From Wikipedia, the free encyclopedia
Mary Macgregor (born 6 May 1948) is an American singer, best known for singing the 1976 song "Torn Between Two Lovers", which topped the Billboard charts for two weeks.

She began studying piano at age six, and was singing with bands by the time she was a teenager. After attending the University of Minnesota, Macgregor began to tour the country with various acts and caught the attention of Peter Yarrow from Peter, Paul & Mary. She soon joined Yarrow, singing backup on a solo tour, and made an appearance on his Love Songs album[citation needed].
Signed to Ariola America records, Macgregor released her debut single, "Torn Between Two Lovers", in late 1976.

飲んでどうする。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)/ ~匸P

「仮面舞踏会/少年隊」 - オリコン1位を獲得したデビュー曲にしてヒット曲!

今日は、少年隊の「仮面舞踏会」のご紹介です。

仮面舞踏会 少年隊 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

少年隊(しょうねんたい)は、ジャニーズ事務所に所属する日本の3人組男性グループです。愛称は「ショーネン」。

メンバーは、錦織一清(ニッキ:リーダー)、植草克秀(カッちゃん)、東山紀之(ヒガシ)です。
現在、少年隊はジャニーズ事務所所属のアイドルグループの中で、最も古株でもあります。

「少年隊」は、もともと彼ら3人を含めても当時まだ20~30人しか居なかったジャニーズJr.に対する総称でした。
が、1981年10月6日からテレビ東京で始まった「ザ・ヤングベストテン」に合わせて、錦織・植草・松原の3名で結成されたグループ「Bチーム」が、後に「ジャニーズ少年隊」となり、翌年の1982年に、松原から東山にメンバーが入れかわって、現在の顔ぶれとなりました。

デビュー曲は、1985年12月12日に発売された、「仮面舞踏会」。この時のキャッチフレーズは、「日本発、世界行」でした。

グループ結成当初は、田原俊彦、近藤真彦のバックダンサーとして歌番組やコンサートに出演するなど、レコードデビュー前から歌謡番組にも単独ユニットとして出演するなどしていました。

今日は、1985年12月12日に発売された、彼らのデビュー曲である「仮面舞踏会」をどうぞ。
 
少年隊 / 仮面舞踏会 投稿者 jrapaka3>この曲の歌詞はこちら

少年隊は「仮面舞踏会」でデビュー曲にしていきなりオリコン1位を獲得!

少年隊はこの「仮面舞踏会」で、デビュー曲にしていきなりオリコンチャート初登場1位を獲得!
1986年オリコンシングル年間売上ランキング3位を記録し、少年隊最大の売上げとなるヒット曲となります。

併せて、「第28回日本レコード大賞」「'86FNS歌謡祭」で最優秀新人賞を獲得。
さらには、1986年に同曲の大ヒットで数々の新人賞を受賞したほか、「第37回NHK紅白歌合戦」初出場をも果たします。

「まちぶせ/石川 ひとみ」 - オリコン週間47位を記録した最大のヒット曲!

今日は、石川 ひとみの「まちぶせ」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、本名:山田 ひとみ(旧姓・石川1959年9月20日) -)は、愛知県海部郡美和町(現:あま市)出身の歌です。愛称はひっちゃん。

石川 ひとみは、高校2年生の時に、フジテレビ系のオーディション番組「君こそスターだ!」でチャンピオンとなり、1978年5月25日に「右向け右」で歌手デビューをします。
そして、1981年に三木聖子のカバー曲である「まちぶせ」がヒット。この年、念願だった第32回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。

また、NHKの人形劇「プリンプリン物語」(1979-82)で、声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組「レッツゴーヤング」で、太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍します。

今日は、そんな石川 ひとみのヒット曲の中から、1981年4月21日に発売された通算11枚目のシングル「まちぶせ(作詞・作曲は荒井由実)」をどうぞ。
 
まちぶせ/石川ひとみ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートにおいて、石川ひとみのシングルでは唯一最高6位にランクイン。
「ザ・ベストテン」においても、最高3位・9週連続ベストテン入り、併せて、同年年間ランキング21位を記録。
さらに石川ひとみは、同年大晦日に行なわれた「NHK紅白歌合戦」も、この曲で初出場を果たしています。
週間6位(オリコン)
1981年度年間33位(オリコン)
1981年度年間21位(ザ・ベストテン)
3位(ザ・ベストテン)

「まちぶせ」は三木聖子の同名曲のカバー

「まちぶせ」の作詞・作曲は荒井由実で、編曲は松任谷正隆です。
この曲はもともと、三木聖子への提供曲として作られたもので、1976年にシングルが発売されました。
その後、1981年に石川ひとみのカバーシングルが発売され、石川ひとみの最大のヒット曲となりました。

さらに、松任谷由実本人によるセルフカバーシングルが1996年に発売され、他にも多くの歌手によってカバーされています。

この曲は、オリコンで週間47位を記録しています。

石川ひとみのその後は?

石川ひとみは、1987年に慢性B型肝炎を発症し、芸能界を一時引退、翌年復帰します。

その後は、NHK「母と子のテレビタイム(日曜版)」に出演(ぬいぐるみのニャンちゅうと共演)するなど、ファミリー向け活動を展開しています。

さらにその後は、一五一会によるCDアルバムを中心とした活動を行なっています。