Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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オリジナル曲、「だって」(歌:蒼姫ラピス)を公開しました。

皆さん、こんばんは。(^^)/

新曲ができたので、お知らせいたします。
曲名は、「だって」です。

今回は、現在私がメインで活動中のOKMusicで出会った音楽仲間、奏緒さんとのコラボ作品です。
奏緒さんに作詞をお願いし、私Super源さんが付曲して出来上がりました。(*^^)

また、曲は我が家の新ボーカロイド、蒼姫ラピスちゃんに歌っていただきました。(^o^)/ ジャーン!

明るくて、とても可愛い曲なので、どうぞお聴きになってみてくださいね。

あまりに可愛いので、思わず歯から笑みがこぼれるかも。
ンナコト、アルカイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

本日、「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

だって - Super源さんの癒しの音楽館

また、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)

それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

「春なのに/柏原芳恵」 - 33.4万枚を売り上げた、「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒット曲!

今日は、柏原 芳恵の「春なのに」のご紹介です。

春なのに 柏原芳恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 よしえは、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

1982年10月1日、シングル「花梨」を発売。
同時に、名前を“よしえ”から“芳恵”に改名します。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。

1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

今日は、1983年2月10日に発売された通算枚6目のシングルである、「春なのに」をどうぞ。
 
春なのに/柏原芳恵

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートで最高位6位を機記録、33.4万枚を売り上げ、柏原芳恵にとって「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒットシングルとなります。
公称シングル売上げは61万枚で、TBS系『ザ・ベストテン』での最高位は2位。
また、柏原芳恵はこの曲で「紅白歌合戦」へ初出場を果たします。

柏原芳恵は、自著『恋人模様』で、「芳恵が選んだシングルA面曲ベスト5」の第1位にこの曲を挙げています。

この曲は、現在でも卒業ソングの定番としてよく知られています。

ちなみに、当時柏原 芳恵は14歳という低年齢でデビューしたために、同時期のアイドル歌手の間では孤立しがちでした。
そんな中で、岩崎良美だけは話を聞いてくれたため、とてもうれしかったと、後年「徹子の部屋」で語っています。

「我が良き友よ/かまやつ ひろし」 - 名曲のご紹介

今日は、かまやつ ひろしの「我が良き友よ」のご紹介です。

我が良き友よ かまやつ ひろし ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

かまやつ ひろし/ムッシュかまやつ(本名:釜萢 弘(かまやつ ひろし)、1939年1月12日 - 2017年3月1日)は、 東京都出身のミュージシャンです。通称「ムッシュ」。
かまやつ ひろしは、「ザ・スパイダース」の元メンバーでもあり、1989年以降は、ミュージシャンとしては「ムッシュかまやつ」を正式名として活動しています。

かまやつ ひろしは、ジャズミュージシャンの父親、ティーブ・釜萢(ティーブ・かまやつ)の影響で、幼少時から音楽に親しみます。
そして、青山学院高等部時代にカントリー&ウェスタン歌手としてデビュー。
ミッキー・カーチスらと共にロカビリーや歌謡曲などもこなし、「ワゴンマスター」「サンダーバード」「キャノンボール」などのグループの一員として、日劇ウェスタンカーニバルに出演。テイチクレコードにてレコードも多数吹き込みます。

そして、1970年2月25日に初の本格的なソロ・アルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」を発売。
このアルバムは、当時世界的にも珍しかった「一人多重録音」という画期的な方法で制作され、また音楽的にも様々なジャンルを融合した実験的な作品でした。

その反面、1970年4月に発売されたソロシングル「どうにかなるさ」は、カントリーシンガーとしてのルーツに回帰する意向も反映されており、その後フォーク歌手として吉田拓郎作の「シンシア」、「我が良き友よ」などを歌う素地ができ上がってきます。

今日は、そんなかまやつ ひろしの1975年2月に発売された通算8枚目のシングル、「我が良き友よ」をどうぞ。