Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「私のハートはストップモーション/桑江知子」 - ポーラ化粧品のCM オリコン週間12位、14.8万枚を売上げたデビュー曲にして最大のヒット曲!

今日は、桑江知子の「私のハートはストップモーション」のご紹介です。

私のハートはストップモーション 桑江知子 ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

桑江知子(くわえ ともこ 1960年1月18日 - )は、沖縄県コザ市(現・沖縄市)出身の歌手・DJです。

桑江知子は、1979年1月25日に「私のハートはストップモーション」(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)で歌手デビューし、この曲はポーラ化粧品のCMでブレイクします。

当時、渡辺プロダクションが若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げたNON STOPプロジェクトの一員(他のメンバーは、大塚博堂・太田裕美・山下久美子・ルイス・ララ)で、その後歌手としては「二つの愛」「黄昏をワインに染めて」などを発表しますがデビュー曲ほどヒットせず、ロス・インディオスなどとのコラボレーションも行なうものの低迷します。

が、その間地方FMなどでのDJが好評だったため、歌手としての活動よりもそちらの方が本業となっていきます。

今日は、1979年1月25日に発売された、デビュー曲である「私のハートはストップモーション」をどうぞ。
 
私のハートはストップモーション/桑江知子

この曲は、オリコンチャートにおいて週間最高12位、14.8万枚のセールスを記録し、桑江知子自身最大のヒット曲となりました。

TBSテレビ「ザ・ベストテン」では、10位以内のランクインには至りませんでしたが、1979年3月29日に「今週のスポットライト」で同番組へ唯一の出演を果たしています。

また、同年12月31日にTBSテレビで放映された「第21回日本レコード大賞」では、倉田まり子(「HOW! ワンダフル」)や竹内まりや(「SEPTEMBER(セプテンバー)」)などの有力新人歌手を抑え、最優秀新人賞を獲得しました。
 
「SEPTEMBER/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!|Super源さんの音楽ブログ

「SEPTEMBER/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、竹内まりやの「SEPTEMBER」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根



オリジナル曲、「だって」(歌:蒼姫ラピス)を公開しました。

皆さん、こんばんは。(^^)/

新曲ができたので、お知らせいたします。
曲名は、「だって」です。

今回は、現在私がメインで活動中のOKMusicで出会った音楽仲間、奏緒さんとのコラボ作品です。
奏緒さんに作詞をお願いし、私Super源さんが付曲して出来上がりました。(*^^)

また、曲は我が家の新ボーカロイド、蒼姫ラピスちゃんに歌っていただきました。(^o^)/ ジャーン!

明るくて、とても可愛い曲なので、どうぞお聴きになってみてくださいね。

あまりに可愛いので、思わず歯から笑みがこぼれるかも。
ンナコト、アルカイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

本日、「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

だって - Super源さんの癒しの音楽館

また、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)

それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

「春なのに/柏原芳恵」 - 33.4万枚を売り上げた、「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒット曲!

今日は、柏原 芳恵の「春なのに」のご紹介です。

春なのに 柏原芳恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。

柏原 よしえは、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。

1982年10月1日、シングル「花梨」を発売。
同時に、名前を“よしえ”から“芳恵”に改名します。

その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。

1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。

今日は、1983年2月10日に発売された通算枚6目のシングルである、「春なのに」をどうぞ。
 
春なのに/柏原芳恵

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンチャートで最高位6位を機記録、33.4万枚を売り上げ、柏原芳恵にとって「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒットシングルとなります。
公称シングル売上げは61万枚で、TBS系『ザ・ベストテン』での最高位は2位。
また、柏原芳恵はこの曲で「紅白歌合戦」へ初出場を果たします。

柏原芳恵は、自著『恋人模様』で、「芳恵が選んだシングルA面曲ベスト5」の第1位にこの曲を挙げています。

この曲は、現在でも卒業ソングの定番としてよく知られています。

ちなみに、当時柏原 芳恵は14歳という低年齢でデビューしたために、同時期のアイドル歌手の間では孤立しがちでした。
そんな中で、岩崎良美だけは話を聞いてくれたため、とてもうれしかったと、後年「徹子の部屋」で語っています。