Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「大人になれば/大場久美子」 - ロッテチョコレート CMソング

今日は、大場久美子の「大人になれば」のご紹介です。

大人になれば 大場久美子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

大場久美子(おおば くみこ、本名同じ 1960年1月6日 -)は、埼玉県川口市出身の女優、歌手、心理カウンセラーです。

大場久美子は、1970年に、友人の応募で東京宝映テレビのオーディションに合格。
同社主宰の劇団・「劇団フジ」に入り、児童タレントとして活動を始めます。

1974年には、日本テレビ系列のテレビ番組「愛の山河」に出演し、テレビデビューを果たします。
1977年6月5日には、「あこがれ」で歌手デビュー。

そして、1978年6月12日から翌年の1979年の9月24日まで、約1年3ヶ月にわたって放送されたTBS系のテレビ番組「コメットさん」(第2期、全68話)のヒロインを務め、全国的にその名が知れ渡り、ブロマイドが爆発的に売れ、一躍トップアイドルとなります。

1979年3月5日には7枚目のシングル「スプリング・サンバ」を発売。これが大ヒットし、彼女の代表曲となります。
 

「スプリング・サンバ/大場久美子」 - シングル売上3万枚を記録! 大場久美子の代表曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、大場久美子の「スプリング・サンバ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。大場久美子(おおば くみこ、本名同じ 1960年1月6日 -)は、埼玉県川口市出身の女優、歌手、心


今日は、そんな彼女の曲の中から、1978年2月5日に発売された通算3枚目のシングルである、「大人になれば」をどうぞ。
 
大人になれば/大場久美子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、当時ロッテチョコレート CMソングに使われました。
というより、歌詞の内容が、もうロッテチョコレートのCM用という感じですね。(^^;
なにせ、出だしが、
♪大人になれば チョコレートたべて
いろんな事を考えるものさ♪

ですから…。
なお大場久美子は、2012年4月4日に、活動に協力している「一般社団法人UKC JAPAN」のために、28年ぶりに11枚目のシングル「ボクの命~20キロ圏内のペット達の想い~」を限定発売しました。

「ROBOT(ロボット)/榊原 郁恵」- 「夏のお嬢さん」が大ヒットした榊原郁恵の1980年のヒット曲

今日は、榊原 郁恵の「ロボット」のご紹介です。

ロボット 榊原郁恵 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

榊原 郁恵(さかきばら いくえ、本名:渡辺 郁惠(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原 郁惠)は、神奈川県川崎市出身の元アイドル歌手、女優、タレントです。

榊原 郁恵は1976年、高校2年生の時に、ホリプロの主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、芸能界に入ります。
そして、これを機に上京。CMや映画へ出演しはじめます。

翌年の1977年(昭和52年)1月1日には、歌手としてデビュー。
デビュー以降、アイドルとして「ナッキーはつむじ風」をはじめ、数多くのドラマやCMで人気を獲得します。
また、「明星」「平凡」「近代映画」などの表紙を度々飾り、またタレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績をもちます。

1970年代後半には、ミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラーで出演します。

歌手としては、7枚目のシングル「夏のお嬢さん」が自身最大のヒットであるものの、オリコンチャートでは最高11位にとどまり、これが自身の最高位となっています。
「NHK紅白歌合戦」には、1978年から6回連続出場し※ 、紅組トップバッターを2回務めます。

今日は、そんな榊原 郁恵の1980年(昭和55年)6月1日に発売されたヒット曲、「ROBOT(ロボット)」をどうぞ。
 
ROBOT(ロボット)/榊原郁恵

この曲の歌詞はこちら

いやー。(^o^) 今聴いてもノリノリの曲ですねー。
この曲の作詞は松本隆、作曲は筒美京平、編曲は船山基紀です。
私にとってこの曲は、榊原 郁恵が歌った多くのヒット曲の中でも、5本の指に入るお気に入りです。(^^)


※ 榊原 郁恵の「NHK紅白歌合戦」での歌唱曲詳細は、以下の通りです。

第29回 「夏のお嬢さん」 (1978年12月31日)
第30回 「ラブジャック サマー」 (1979年12月31日)
第31回 「ROBOT(ロボット)」 (1980年12月31日)
第32回 「シャイニング・ラブ」 (1981年12月31日)
第33回 「なごり雪」 (1982年12月31日)
第34回 「悲しきクラクション」 (1983年12月31日)

「彼は眠れない/沢田 研二」 - 名曲のご紹介

今日は、沢田 研二の「彼は眠れない」のご紹介です。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1971年11月1日に「君をのせて」でソロデビューをします。
オリコン最高位は23位どまりでしたが、この曲がGSの先輩であった「ザ・ワイルドワンズ」の加瀬邦彦プロデュースのもと、十数年にわたって音楽ランキングトップ10にチャートインし続けた沢田のソロ活動のスタートでした。

1973年4月21日に「危険なふたり」を発売。この曲は65万枚を売り上げ、ソロ初のオリコン1位を獲得し、第4回日本歌謡大賞を受賞します。
続いて翌年の1974年には、「追憶」が58万枚を売り上げ、2曲目のオリコン1位を獲得します。

今日は、彼は眠れないに発売された26枚目のシングルである、「彼は眠れない」をどうぞ。


彼は眠れない/沢田研二

ちなみに、沢田 研二は、1979年にPARCOのテレビCMで全裸で横たわり、上半身裸の新聞全面広告を掲載し、併せてPARCO各店には手で胸を隠した裸のポスターが貼られました。
翌年の1980年2月29日には、写真集「水の皮膚」を発売。
この写真集が、男性歌手としては初めてのオールヌード写真集となります。

この曲の歌詞はこちら