Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「風」 - 名曲のご紹介

今日は、はしだ のりひこの「」のご紹介です。

はしだ のりひこ(本名:端田宣彦、1945年1月7日 -))は京都府京都市生まれのシンガーソングライター、フォークシンガーです。
1968年の後半に結成したカレッジフォーク・グループ、ポップ・フォーク・グループで、作詞・北山修、作曲・端田宣彦による、「」の大ヒットで知られています。

はしだ のりひこは、1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューします。
その後、加藤和彦に請われて1968年にザ・フォーク・クルセダーズの一員として参加しますが、同年10月に解散後、「はしだのりひことシューベルツ」、「はしだのりひことクライマックス」、「はしだのりひことエンドレス」と、次々にグループを作っては解散し、最終的にはソロに転向します。

今日は、はしだ のりひこの代表曲である「風」をどうぞ。


風/はしだのりひことシューベルツ

「白いサンゴ礁/ ズー・ニー・ヴー」 - オリコン18位、17.7万枚を売上げたズー・ニー・ヴーの代表曲

今日は、ズー・ニー・ヴーの「白いサンゴ礁」のご紹介です。

白いサンゴ礁  ズー・ニー・ヴー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ズー・ニー・ヴー(Zoo Nee Voo)は、1960年代に一斉を風靡したグループ・サウンズ(通称GS)のひとつです。

メンバーは、町田義人(ボーカル)、山本康生(リード・ギター)、塚谷茂樹(ベース・ギター)、大竹茂(ドラムス)、桐谷浩史(キーボード)で、結成当時は「ZOOM BOOM 5」という名前でした。

バンドの特徴としては、R&B路線の強いものでしたが、「白いサンゴ礁」のヒットで注目を集めます。
この曲は、発売当初はB面に収録されている曲でしたが、ヒットしたために後年発売された再発盤では、AB面が逆になっています。

今日は、1969年4月に発売された、通算2枚目で、彼らの代表曲でもある、その「白いサンゴ礁」をどうぞ。
 
白いサンゴ礁/ズー・ニー・ヴー

この曲の歌詞はこちら

この曲は、最初はB面でしたが、ヒットしたために、後に発売された再発盤ではAB面が逆になっています。
ジャケットは見開き仕様だったため、オリジナルデザインの片面がそのまま使用されました。

オリコン最高位18位、累計売上17.7万枚を記録しています。

町田義人(ボーカル)のその後

ボーカルの町田義人は、1970年にズー・ニー・ヴーを脱退し、ソロに転向。
1978年に公開された映画『キタキツネ物語』で、同作品の音楽担当だったタケカワユキヒデに指名される形で、主題歌の「赤い狩人」を歌います。

同年、ニット帽にサングラスというスタイルで、角川映画『野性の証明』の主題歌「戦士の休息」を歌い、オリコン最高位6位、累計売上29.5万枚を記録。
 
戦士の休息/町田義人

その後も、地道に歌手活動を続け、TV主題歌やアニメソングなどでも知られています。
変わったところでは、『オレたちひょうきん族』のタケちゃんマンロボのテーマ「愛より強く」、CMソング・ロッテ「小梅ちゃん」などがあります。

なお、現在は、歌手活動を休業し、メルボルンで彫刻家として活動しているとのことです。

「想い出の渚/ザ・ワイルドワンズ」 - 100万枚以上を売上げたヒット曲! グループ名の由来は?

今日は、ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」のご紹介です。

想い出の渚 ザ・ワイルドワンズ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ザ・ワイルドワンズ(The Wild Ones)は、1960年代に結成されたグループ・サウンズ(通称GS)の一つです。

メンバーは、加瀬邦彦(リーダー&ギター)、鳥塚しげき(ギター)、島英二(ベース)、植田芳暁(ドラムス、ギター)です。

デビュー曲は、1966年11月に発売された「想い出の渚」で、現役当時、ジャッキー吉川とブルーコメッツ同様NHKへの出演が許されたグループサウンズでもあります。

今日はその「想い出の渚」をどうぞ。
 
想い出の渚/ザ・ワイルドワンズ(The Wild Ones)

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は鳥塚繁樹、作曲は加瀬邦彦です。
この曲は、当時100万枚以上を売上げました。
発売元は、東芝音楽工業が有する洋楽レーベルのひとつだったキャピトル・レコードで、発売当時はモノ・ミックスでのシングル発売でしたが、後に発売されたLPではステレオ・ミックスされて発売されています。

「ザ・ワイルドワンズ」のグループ名の由来は?

「ザ・ワイルドワンズ」のグループ名の由来ですが、これは、当時慶應義塾大学の先輩で親交の深かった加山雄三が、星占いにより「野生児」という意味を込めて命名したものです。