Super源さんの音楽ブログ

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「バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ」 - 1967年に発売されたブレイク曲!グループ名の由来も紹介

今回は、ヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」のご紹介です。
「バラ色の雲」は、ヴィレッジ・シンガーズのブレイク曲となった曲です。
当時は、フォークギターを主体とした「カレッジフォーク」スタイルが主流でしたが、ヴィレッジ・シンガーズはこれらとは異なり、なんと、エレキギターとドラムス、そして12弦アコースティックギターを取り入れた、斬新で目新しいバンド構成でした!
この記事では、ヴィレッジ・シンガーズのバンド紹介、「バラ色の雲」の楽曲紹介、グループ名の由来、そして実は、この曲は当時新人だった筒美京平の始めてのヒット曲でもあったという興味深いトリビアも分かりやすく解説します。

バラ色の雲 ヴィレッジ・シンガーズ ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

ヴィレッジ・シンガーズってどんなバンド?

ヴィレッジ・シンガーズ(Village Singers)は、1960年代後半に活躍したグループ・サウンズ(通称GS)のひとつです。

結成は1966年6月で、メンバーは、小松久(リーダー、ギター)、清水道夫(ヴォーカル、ギター)、小池哲夫(キーボード、ヴォーカル)、林ゆたか(ドラムス)、笹井一臣(ベース)の5人です。

当時人気だったカレッジフォークとは異なり、エレキギターとドラムス、そして12弦アコースティックギターを取り入れたバンド編成で、これは当時、斬新で目新しいものでした。

当初はヒットに恵まれず、メンバーの交代など紆余曲折もありましたが、翌年の1967年8月に新生ヴィレッジ・シンガーズとして「バラ色の雲」を発売。
その躍動感あるサウンドが功を奏し、フジテレビの音楽番組「ヒット速報」へ10週連続出演するなど、この曲は公称60万枚突破の大ヒットとなります。

そしてその語は、「好きだから」、「亜麻色の髪の乙女」と、ヒットを飛ばしていきます。

「バラ色の雲」名曲紹介

それでは早速、1967年8月1日に発売された、ヴィレッジ・シンガーズのブレイク曲となった、作詞:橋本淳、作曲:筒美京平による「バラ色の雲」をどうぞ。
 
バラ色の雲/ヴィレッジ・シンガーズ

ヴィレッジ・シンガーズのグループ名の由来は?

ヴィレッジ・シンガーズのグループ名の由来は、フォークの聖地であるニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに憧れていたことから名づけられました。

グリニッジ・ヴィレッジは、1960年代にボブ・ディランをはじめ、多くのフォークミュージシャンが集まった場所として知られており、当時の若い音楽ファンにとって憧れの地でした。

ヴィレッジ・シンガーズの前身は、4人組フォークグループ「フォーク・トレッカーズ」で、1966年6月に結成されました。
結成当初は芝田村町(現・西新橋)のフォーク喫茶「ヴィレッジ」で毎週土曜日に演奏することから活動をスタートさせました。フォーク喫茶の名前とグループ名が同じなのも興味深いところです。

「バラ色の雲」は新人筒美京平の始めてのヒット曲!

また、この「バラ色の雲」は、この曲の作曲をした筒美京平(当時は新米)にとって、初めてのヒット曲となった作品でもあります。

発売年曲名歌手備考
1967年バラ色の雲ヴィレッジ・シンガーズ初ヒット曲
1967年渚のうわさ弘田三枝子
1968年スワンの涙オックス
1968年ブルー・ライト・ヨコハマいしだあゆみ初のオリコン1位・9週連続首位
 
筒美京平(本名:渡辺栄吉)は、大学卒業後に日本グラモフォン(現・ユニバーサルミュージック)に就職し、洋楽部のディレクターとして勤務していました。大学時代の先輩だった 橋本淳 の強い勧めで歌謡曲の作曲を始め、その最初のヒット作がこの「バラ色の雲」です。

なお、チャート1位を獲得した最初の曲(初のナンバーワン・ヒット)は、翌1968年12月25日に発売された いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」 で、1969年2月10日付でチャート首位を獲得、そのまま9週連続1位という大ヒットとなりました。

「アイ・ハード・ア・ルーマー(I Heard a Rumour)」 - 名曲のご紹介

今日は、バナナラマの「アイ・ハード・ア・ルーマー(I Heard a Rumour)」のご紹介です。

アイ・ハード・ア・ルーマー(I  Heard a Rumour
写真はこちらからお借りしました。

バナナラマ (Bananarama) は、1981年に結成されたイギリスの女性3人によるポップ・グループです。

メンバーは、カレン・ウッドワード(Karen Woodward)、サラ・ダリン(Sara Dallin)、シヴォーン・ファーイ(Siobhan Fahey)で、デビューのきっかけは、セックス・ピストルズのスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが使っていたリハーサル・スタジオの上の部屋に、彼女達が住んでいたことによります。
彼らの助けにより、「アイ・ア・ムアナ」のデモテープが作られ、これが後にデビューシングルとなります。

その後、ストック・エイトケン・ウォーターマンとのコラボレーションにより、「Venus」などがヒットしたことで、さらなる飛躍をすることになります。

今日は、1987年のヒット曲である「アイ・ハード・ア・ルーマー(I Heard a Rumour)」をどうぞ。


アイ・ハード・ア・ルーマー(I Heard a Rumour)/バナナラマ(Bananarama)

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、この曲はマイケル・フォーチュナティの「Give Me Up(ギヴ・ミー・アップ)」に触発されて書かれた曲といわれています。

「十戒 (1984)/中森明菜」 - オリコン週間1位を記録したヒット曲! この曲には当初ユーミンの詞がついていた!? 制作秘話もご紹介!

今日は、中森明菜の「十戒 (1984)」(じゅっかい いちきゅうはちよん)のご紹介です。

十戒 (1984) 中森明菜 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

中森 明菜(なかもり あきな、本名:同じ 1965年7月13日 -)は、東京都大田区生まれ、清瀬市育ちの歌手、女優です。

中森 明菜は、1982年5月1日にシングル「スローモーション」でデビューをします。
キャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。

同年7月には、ファースト・アルバム「プロローグ〈序幕〉」を発売。このアルバムは、オリコン週間アルバムランキングの10月4日付で最高位5位を記録します。

続いて発売された2枚目のシングル「少女A」は、オリコン週間シングルランキングの10月18日付で最高位5位を記録。
中森明菜は、この曲でブレイクすることになります。
俳句 リンク
そして、続いて同年11月に発売された3枚目のシングル「セカンド・ラブ」は、11月29日付の同チャートで初の週間1位を獲得。この曲は、1983年の同社年間シングルチャートで8位を記録し、約77万枚を売り上げるヒットとなります。

今日は、1984年7月25日に発売された「十戒 (1984)」(じゅっかい いちきゅうはちよん)をどうぞ。
 
「十戒 (1984)」(じゅっかい いちきゅうはちよん)/中森明菜

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコン週間シングルチャートにおいて、1984年8月6日付で初登場・最高順位ともに1位を記録。1984年8月27日付でも通算2週目となる1位を記録します。

同チャートの100位以内においては、計18週に渡ってランクインし、また、1984年度のオリコン年間シングルチャートでは6位を記録。61万枚を上回る売上げとなりました。

「十戒 (1984) 」制作秘話

この曲は、売野雅勇が作詞し、高中正義が作曲、そして、高中と萩田光雄が編曲を務めたものです。
プロデュースは、島田雄三が担当しています。

実は当初、この曲には松任谷由実の詞がついていました。
しかしながら、方向性の違いから没となり、売野雅勇に発注されたといいます。

「十戒 (1984)」の歌詞について、売野雅勇は、ディレクター間での打ち合わせのみで、実際に詞の内容について中森明菜と意見を交わしたことはありませんでしたが、

「ぼくの創り上げた詞の主人公を見事に演じ、脚本以上の映像をつくってしまう素晴らしきシンガーアクトレスだ」

と語っています。