Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「池上線(いけがみせん)/西島 三重子」 - 名曲のご紹介

今日は、西島 三重子の「池上(いけがみせん)」のご紹介です。

西島 三重子(にしじま みえこ、本名:西嶌、1950年8月17日 -)は東京都中野区出身のシンガーソングライター、絵本・エッセイの執筆者です。

西島 三重子は、アマチュアグループ「カウンセラーズ」のヴォーカルとして、渋谷西武チャオパルコの「サウンド・フェスティバル」に出場し、自作曲である「のんだくれ」を歌ったところ、ワーナー・パイオニアのディレクターに認められて、1975年9月5日にアルバム「風車」とシングル「のんだくれ」でデビューをします。

そして、翌年の1976年4月25日発売された、2枚目のシングル「池上線」がヒット。
この曲は、超ロングヒットとなり、西島 三重子の代表曲となります。

今日は、その代表曲である「池上線(いけがみせん)」をどうぞ。


池上線(いけがみせん)/西島 三重子

ちなみに、池上線は、東京都品川区の五反田駅と大田区の蒲田駅とを結ぶ東京急行電鉄(東急)が運営する路線総延長10.9 kmの鉄道路線で、1922年(大正11年)10月6日に、池上電気鉄道により蒲田 - 池上間 (1.8km)を結ぶ路線として 操業開始しました。

「若草の髪かざり/チェリッシュ」- オリコン7位を記録したヒット曲!

今日は、チェリッシュの「若草の髪かざり」のご紹介です。



チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。
メンバーは、松崎好孝(まつざき よしたか)と松崎悦子(まつざき えつこ、 旧姓:松井)。

チェリッシュは、1971年、第一回全国フォーク音楽祭全国大会に出場していたところをスカウトされて、翌年の1971年に「なのにあなたは京都へゆくの」でデビューをします。
 

「なのにあなたは京都へゆくの/チェリッシュ」- 「てんとう虫のサンバ」で知られるチェリッシュの、35万枚を売上げたデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、チェリッシュの「なのにあなたは京都へゆくの」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。チェリッシュは、愛知県出身の夫婦デュオで知られる歌手グループです。チェリッシュは、1


その後、「だからわたしは北国へ」「ひまわりの小径」「古いお寺にただひとり」「若草の髪かざり」「避暑地の」と次々にヒットを飛ばしていきます。 

2年後の1973年7月5日には、7枚目のシングルとなる「てんとう虫のサンバ」を発売。
この曲は、彼らの代表曲となり、今でも結婚式などで歌われる息の長い曲となっているのは周知の通りです。

チェリッシュは、子供から大人まで、誰にでも親しめるメロディーと、その歌唱力が魅力の夫婦デュオで、現在でも活躍しています。

今日は、その多くのヒット曲の中から、1973年1月15日に発売された通算5枚目のシングルである、「若草の髪かざり」をどうぞ。
 
若草の髪かざり/チェリッシュ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、作詞:阿久悠、作曲:馬飼野俊一によるもので、オリコンチャート最高位は7位、累計売上は35万枚を記録しました。

「どうぞこのまま/丸山圭子」 - 歌詞は実話!この曲の誕生の裏には許されない恋があった!

今日は、丸山 圭子の「どうぞこのまま」のご紹介です。


写真はこちらからお借りしました。

丸山 圭子(まるやま けいこ、1954年5月10日 -) は、埼玉県浦和市岸町(現:さいたま市南区)出身のシンガーソングライター、作曲家、洗足学園音楽大学客員教授です。

丸山 圭子は、1972年7月に、ニッポン放送主催の「VIVA唄の市」に、オリジナル曲で出場し優勝します。
そして、同年11月にLP「そっと私は」、EP「心の中の」を出します。
その後、ピピ&コットに参加し、解散後は、キングレコードに移籍。1976年3月には「ひとり寝のララバイ」を発売。同年7月に発売した「どうぞこのまま」がヒットし、この曲は、翌年にかけてロングセラーヒットとなります。

今日はその、「どうぞこのまま」をどうぞ。
どうぞこのまま/丸山圭子

「どうぞこのまま」の作詞、作曲は丸山圭子、編曲は青木望 (あおき のぞみ、1931年3月2日 -)です。
「どうぞこのまま」は、ニック・デカロの都会的なアレンジを取り入れたかった丸山圭子が、デカロのアルバム『イタリアン・グラフィティ』を持参し、青木望やスタッフに聞かせ、このようなアレンジにしたいと、自ら希望を出した結果生まれた、ボサノバ調の楽曲です。
そしてこの曲の歌詞は、当時の本人の実体験ー許されない恋ーが元となっています。

「どうぞこのまま」誕生の裏には許されない恋があった!

丸山圭子は、著書「どうぞこのまま」(小径社刊)で、20歳のときに書いたこの名曲の誕生の裏には、実は”許されない恋”があった、告白しています。

この頃、彼女には同じアーティスト仲間の彼がいました。お互いに忙しい中、ふとあいた時間に、二人はデートを重ねていました。
私たちが体を合わせた後、外は雨が降り始めていた。私は、ガラス窓を流れる雨の滴を見つめながら、まもなく二人の時は終わりを告げて、彼が黙って扉を開け、去っていくのを感じていた。にこやかに……、また、自分の世界に戻るように……。彼が去った後で、私の中に一瞬の、刹那(せつな)に生きる想いだけが残った。胸の奥から突き上げる叶(かな)わぬ想い……。それが言葉になり、歌になった。
「どうぞこのまま」は、当時、かくしてひたむきに生きた彼女の想いが凝縮(ぎょうしゅく)された曲だったのです。そしてその想いは、今でもこの歌を歌うときに鮮明に蘇(よみがえ)ってくる、と彼女は言います。