Super源さんの音楽ブログ

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「親父の一番長い日/さだまさし」 - ドラマにもなった、オリコン週間1位を記録したヒット曲!

今日は、さだまさしの「親父の一番長い日」のご紹介です。

親父の一番長い日 さだまさし ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

(本名:佐田雅志(さだまさし、同じ)、1952年4月10日 -)は、長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家です。愛称は「まっさん」。

さだ まさしは、1972年に、高校時代からの音楽仲間だった友人の吉田正美(現・吉田政美)とフォークデュオ「グレープ」を結成し、メジャーデビューをします。
最初は、まったく売れませんでしたが、やがて「精霊流し」のヒットで、その名が全国的に知られるようになります。

グレープを解散してソロシンガーになってからも、「雨やどり」、「関白宣言」、「親父の一番長い日」、「北の国から~遥かなる大地より~」など、たくさんのヒット曲を生み出します。
中でも、雨やどりがきっかけで知り合って恋に落ち、結婚にまで至る2人の姿をコミカルに歌った「雨やどり」は、オリコンシングルチャート1位となる大ヒットとなります。

さだ まさしは、2013年7月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行っている歌手でもあり、その回数は4000回を越えるという、精力的なミュージシャンでもあります。

また、小説家としても活動し、「解夏(げげ)」「眉山(びざん)」などの著作を出版しています。

今日は、そんなさだまさしの多くの曲の中から、1979年10月12日に発表されたシングルである、「親父の一番長い日」をどうぞ。 
「親父の一番長い日」は、オリコンチャートにおいて週間1位、1979年度年間38位、1980年度年間36位を記録しています。

「親父の一番長い日」って、どんな曲?

「親父の一番長い日」は、1978年の軽井沢音楽祭のために制作された楽曲です。
内容としては一人の女性の誕生から結婚に至るまで人生と、娘の成長に一喜一憂する父親の姿が、この女性の兄の視点から描かれているものですが(佐田自身の家がモデル)、この曲を原案として、テレビ・ドラマ化もされています。

「守ってあげたい/松任谷 由実」 - 映画「ねらわれた学園」主題歌

今日は、松任谷 由実の「守ってあげたい」のご紹介です。

守ってあげたい 松任谷 由実 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

松任谷 由実(まつとうや ゆみ、本名:同じ。旧姓:荒井 由実(あらい ゆみ1954年1月19日 -)は、東京都八王子市出身のミュージシャンです。愛称はユーミン(Yuming)。夫はアレンジャーの松任谷正隆。

松任谷 由実は、14歳の時に、プロとしての初めての仕事でスタジオでのピアノ演奏をします。
以後、スタジオで演奏をしながらオリジナルの曲を書き、15歳で作詞家としてデビュー。1971年には、17歳で作曲家としてデビューをします。その作品は、彼女を本格的なデビューへと誘った加橋かつみ(元ザ・タイガース)へ提供した「愛は突然に…」です。

そして、1972年7月5日には、「返事はいらない」で荒井由実として歌手デビュー。
翌年の1973年11月に、ファーストアルバム「ひこうき雲」を発売。TBSラジオの深夜放送番組「パックインミュージック」金曜日第2部を担当していたパーソナリティの林美雄の絶大な支持を受けて知名度が上がり、翌1974年より本格的にステージ活動を開始します。

1975年10月に発売されたシングル「あの日にかえりたい」(TBSドラマ『家庭の秘密』主題歌)は、初のオリコンチャート1位を獲得。1976年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第一次ブームを迎えます。

1981年6月に発売されたシングル「守ってあげたい」は、同年のシングル年間ランキング第10位のヒットとなり、第二次ブームが到来。
その年のアルバム「昨晩お会いしましょう」以降のオリジナルアルバムは17枚連続でオリコン1位を獲得し、1987年のアルバム「ダイアモンドダストが消えぬまに」以降は9作連続のミリオンセラーを連発します。

今日はその「守ってあげたい」をどうぞ。
 
守ってあげたい/松任谷由実

この曲の歌詞はこちら

この曲は、1981年の映画・「ねらわれた学園」の主題歌として書き下ろされたものです。
キャッチコピーは、「才能のきらめきは不思議世代を惑わすか」。

そして、TBS系の「第1回日本作曲大賞」で、大賞を受賞しました。

1983年には、この曲を原田知世がカバー。
998年には、ミノルタ「α-sweet」のCMソングとして使われました。
1998年には、三菱自動車「新型ミニカ&トッポBJ」CMソング、2001年、MoMAニューヨーク近代美術展イメージソングとしても使われています。

2002年には、鬼束ちひろがカバー。
2008年には、テレビ朝日系スペシャルドラマ『めぞん一刻』エンディングテーマとして使われ、2009年には、宮藤官九郎が監督・脚本を務めた映画「少年メリケンサック」のエンディングテーマとして使用されました。

「夕暮れ時はさびしそう/NSP」 - オリコン11位を記録したヒット曲&代表曲! バンド名の由来は?

今日は、NSPの「夕暮れ時はさびしそう」のご紹介です。

夕暮れ時はさびしそう  NSP ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

NSP(エヌエスピー)は、1972年に結成された、岩手県出身のフォーク・グループ。一関工業高等専門学校の同級生だった3人が在学中に結成しました。

メンバーは、天野滋(ヴォーカル・ギター)、中村貴之(ヴォーカル・ギター)、平賀和人(ヴォーカル・ベース)です。

NSPは、高専在学中の1973年に、第5回ヤマハポピュラーソングコンテストにおいて楽曲「あせ」でニッポン放送賞を受賞し、同年6月「さようなら」でデビューをします。
翌年の1974年に、「夕暮れ時はさびしそう」を発売しますが、この曲がオリコン11位となる大ヒット。同年発売のアルバム「N.S.Pひとやすみ」も、オリコン4位のヒットを記録します。

その後も、1976年に「赤い糸の伝説」がヒット。NSPは叙情派フォークを代表するグループとなります。

今日は、1974年7月10日に発売された、通算4枚目のシングルである「夕暮れ時はさびしそう」をどうぞ。
 

夕暮れ時はさびしそう/NSP

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^O^)
天野滋の歌声はいわずもがなですが、中村貴之の吹くオカリナも、いい味を出していると思います。

「夕暮れ時はさびしそう」は、2019年3月20日から東北新幹線一ノ関駅で発車メロディーに使用されています。
また、2019年7月1日に、この曲の舞台となった磐井川堤防に「N.S.Pメモリアルスポット」が設置されました。

「NSP」のバンド名の由来

「NSP」というバンド名の由来ですが、彼らはアマチュア時代に「ニュー・サディスティック・ピンク(New Sadistic Pink)」という名前で、当初はロックを中心に活動していました。
が、フォーク調の曲でデビューをするにあたり、この名前は似合わないということで、頭文字だけを取った「NSP(N.S.P )」に変えました。

NSPの由来については、かつて天野滋が、「納豆そら豆ピーナッツ」、また「なんと すごい プロみたい」 の略であると言っていたこともあります。

納豆そら豆ピーナッツ

出典:http://yukio-nsp.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/06/28/20090628_nsp_2178.gif


ゆうちゃん



NSPのおススメ曲って、他にどんなのがある?


しんちゃん


そうだなあ
やっぱりデビュー曲のさようならと、八十八夜、天中平 ~夕陽を浴びて~、それから面影橋かなぁ


ゆうちゃん


ありがとう
早速探して聴いてみるよ
そうそう。NSPといえば、「線香花火」もおススメです。

時間が許せば、こちらも是非お聴きになってみてください。
 

「線香花火/NSP」 - 「夕暮れ時はさびしそう」が大ヒットしたNSPの1976年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、NSPの「線香花火」のご紹介です。写真はこちらからお借りしました。NSP(エヌエスピー)は、1972年に結成された、岩手県出身の男性3人による歌手グループです。メンバーは、天野滋