Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「スリー・カラット・ダイヤモンド/岩崎宏美」 - 名曲のご紹介

今日は、岩崎宏美の「スリー・カラット・ダイヤモンド」のご紹介です。

岩崎宏美(いわさきひろみ、1958年11月12日 -)は、東京都江東区出身の歌手、女優です。愛称はヒロリン。岩崎良美は、彼女の実妹です。

岩崎宏美は、1975年4月25日、「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に「二重唱 (デュエット)」でデビューします。デビュー当初から、きれいな声と十分な声量、そして正確な音程で実力派歌手として既に高い評価を受けていた岩崎宏美は、1970年代から1980年代の歌謡界を代表する歌手の一人です。

TBS系の「ザ・ベストテン」には、1979年から1983年までの5年間に5曲計35週チャートインし、「聖母たちのララバイ」が5週連続1位を獲得。また、「NHK紅白歌合戦」には、1975年から1988年まで14回連続出場しています。

今日ご紹介する「スリー・カラット・ダイヤモンド」は、1979年10月5日に発売された、通算8枚目のオリジナルアルバム「10カラット・ダイヤモンド」の1曲目に収録されている曲です。

さて、それでは早速、その「スリー・カラット・ダイヤモンド」をどうぞ。


スリーカラット・ダイヤモンド/岩崎宏美

ちなみに、岩崎宏美と同じ時期にデビューした歌手には、片平なぎさ、小川順子、岡田奈々などがいます。

「キープ・ミー・ハンギン・オン/ザ・シュープリームス」 - ビルボードホット100で2週連続1位を記録したヒット曲!

今日は、ザ・シュープリームスの「You Keep me Hangin On(キープ・ミー・ハンギン・オン)」のご紹介です。

キープ・ミー・ハンギン・オン ザ・シュープリームス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ザ・シュープリームス(The Supremes)は、アメリカの黒人系女性ボーカル・グループです。
結成は1959年、解散は1977年で、全盛期は1964年から1969年までの5年間です。
当時日本では、「シュープリームス」と表記されていましたが、近年は「スプリームス」と表記されることが多いです。が、より正確には「ザ・スプリームズ」です。

ザ・シュープリームスは、1959年に「ザ・プライメッツ(The Primettes)」として結成されます。
オリジナルメンバーは、ダイアナ・ロス、メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラード、ベティ・マグロウンの4人です。
が、ベディは、すぐバーバラ・マーティンに替わり、そのバーバラも抜けて、1961年に「ザ・スプリームス」と改名してモータウンと契約した頃には3人組となっていました。

シュープリームスは、モータウンの社長ベリー・ゴーディ・ジュニアの強力なプッシュを受け、ホーランド=ドジャー=ホーランドの作曲・プロデュースの下でヒットを連発。
そして、1964年の「Where Did Our Love Go? (邦題:愛はどこへ行ったの)」が、初の全米No.1ヒットとなったのを皮切りに、シングルが5作連続全米No.1を記録、スプリームスは一躍全米のアイドルグループとなります。

その後、1969年のダイアナ脱退前の最後のシングルとなった「Someday We'll Be Together(邦題:またいつの日にか)」まで、合計12作の全米No.1ヒットを生み出します。

1967年には、フローレンスが脱退して代わりにシンディ・バードソングが加入。
グループ名も、「ダイアナ・ロス&ザ・シュープリームス(Diana Ross & the Supremes)」と変わります。

今日は、そんな「シュープリームス」の、1966年のヒット曲である「You Keep Me Hangin' On(邦題:恋はおしまい)」をどうぞ。
 
You Keep Me Hangin' On(キープ・ミー・ハンギン・オン)/Diana Ross & the Supremes(ダイアナ・ロス&ザ・スプリームス)

この曲の歌詞はこちら

この曲 は、シュープリームスの1966年のシングルで、作曲はホーランド=ドジャー=ホーランドです。
グループの8番目のナンバーワンシングルであり、Billboard Hot 100において、1966年11月13日から11月27日まで1位の座を保ちました。

「ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン」は、その後もロッド・スチュワート、ヴァニラ・ファッジ、ボックス・トップス、カラーボックス、リーバ・マッキンタイア、キム・ワイルド、アレサ・フランクリンなどの、さまざまなアーティストによってカバーされています。

「あずさ2号/狩人」 - 累計80万枚を売上げた狩人のデビュー曲

今日は、狩人の「あずさ2号」のご紹介です。

あずさ2号 狩人 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人による兄弟デュオです。

狩人は、1977年3月25日に、「あずさ2号」でデビューをします。
この曲は、いきなり大ヒットとなり、また、同年暮れに行なわれた第19回日本レコード大賞など、数々の新人賞を受賞し、人気となります。

狩人は、「あずさ2号」でサンレモ音楽祭などにも出場。
その後も「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒットにより、スター歌手の地位を築きます。

毎年年末に行なわれるNHKの紅白歌合戦には、1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たします。

それ以降は大きなヒットには恵まれませんでしたが、ドラマやCMに楽曲が採用され、特に1994年歌謡バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」への出演で再ブレイク。
翌年、「あずさ2号(ニュー・ヴァージョン)」を発売し、その後二人は歌手以外に自らの才能の範囲を広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も行うようになります。

今日は、そのデビュー曲である「あずさ2号」をどうぞ。
 
あずさ2号/狩人

この曲の歌詞はこちら

「あずさ2号」ってどんな曲?

歌詞の内容は、都会での愛する人との暮らしに終止符を打ち、新しい恋人と新宿駅で特急「あずさ2号」に乗って信州へ旅立とうとするヒロインの、複雑な心の内が描かれています。

そして、曲の前半部分は、しっとりとした曲調ですが、サビの部分では、それとは正反対の曲調となっています。
これが、「より効果的に、女心のアヤを際立たせ」ることになり、多くの人々の心を捉えたのです。

この曲は、累計80万枚(オリコンの集計では約50万枚)を売上げて1977年の大ヒット曲となり、新人歌手であった狩人を、一躍スターの座に押し上げます。

「狩人」という名前の由来は?

「狩人」という名前の由来は、二人の恩師である作曲家、都倉俊一から、「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」と言われて名づけられたものです。

狩人のその後

2012年7月に、狩人は再結成を発表。
同年8月18日には、NHKテレビ「思い出のメロディー」で「あずさ2号」を歌唱。
同年11月6日の「NHK歌謡コンサート」では、『コスモス街道』を歌唱。
現在、兄弟2人は、狩人としての活動と同時に、ソロ活動も平行して行なっています。
2018年7月頃、加藤久仁彦の所属事務所である(株)トップカラーに移籍。