Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「人恋くて/南沙織」 - 名曲のご紹介

今日は、南 沙織の「人恋くて」のご紹介です。

人恋くて 南沙織ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

南 沙織(みなみ さおり、本名:篠山 明美(旧姓:内間 明美) 1954年7月2日 -)は、沖縄県出身の元アイドル歌手です。夫は写真家の篠山紀信。

南 沙織は、1971年の春、本土復帰前の沖縄から母親と二人で上京します。
そして、そのわずか3ヶ月後に「17歳」で歌手デビュー。この曲は、約54万枚の大ヒットとなります。

デビュー当時からインパクトのある歌手で、それについては、写真家の篠山紀信(現、夫)が、「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」と述懐しています。

同年暮れに行なわれた第13回日本レコード大賞では、新人賞を受賞し、さらにその年のNHK「第22回NHK紅白歌合戦」にも初出場。
ブロマイドの売り上げにおいても、1971年、1972年と年間売り上げ実績で第1位を獲得しており、また、同時期にデビューした小柳ルミ子、天地真理らと共に 「三人娘」と呼ばれることもあり、南 沙織は当時のアイドルの代表格でした。

今日は、そんな南 沙織の、1975年8月1日に発売された通算16枚目のシングルである、「人恋くて」をどうぞ。


人恋くて/南沙織

この曲の歌詞はこちら

「初恋迷宮(オリジナル曲) 歌:蒼姫ラピス」をYouTubeにても公開しました!

皆さん、こんばんは!

過日、「Super源さんの音楽館」の方で公開したオリジナル曲「初恋迷宮」を、YouTubeの方でも公開したので、お知らせします。(^o^)/ ジャーン!

早いもので、YouTubeに作品を公開するのは今回で11度目となります。おお!(゚o゚)

「春に向かって」、「根」、「文月の夜に」、「夜空と夢」、「線香花火」、「無間」、「風」、「紫陽花の頃に」、「いっぱいのありがとう」「だって」そして今回のこの「初恋迷宮」です。

何か、いつも同じことを書いている気が…。
「同じ」って、中年男性のことだよね。(^^)
ソレハ、オ・ヤ・ジ 。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

「初恋迷宮」は、女の子の片思いの心情を綴った曲で、私はその詩に、可愛くて爽やかで、ちょっぴり切ない曲をつけることを目指しました。(^^)
また、歌は、前回同様、我が家の新ボーカロイド、蒼姫ラピスちゃんに歌っていただきました。(^o^)/ ジャ、ジャーン!

以下に、YouTubeにて公開したビデオを張りつけます。
お時間のある時にでも、どうぞ聴いてみてくださいね。(^O^)/


【蒼姫ラピス】 初恋迷宮 【オリジナル曲】

「親父の一番長い日/さだまさし」 - ドラマにもなった、オリコン週間1位を記録したヒット曲!

今日は、さだまさしの「親父の一番長い日」のご紹介です。

親父の一番長い日 さだまさし ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

(本名:佐田雅志(さだまさし、同じ)、1952年4月10日 -)は、長崎県長崎市出身のシンガーソングライター、タレント、小説家です。愛称は「まっさん」。

さだ まさしは、1972年に、高校時代からの音楽仲間だった友人の吉田正美(現・吉田政美)とフォークデュオ「グレープ」を結成し、メジャーデビューをします。
最初は、まったく売れませんでしたが、やがて「精霊流し」のヒットで、その名が全国的に知られるようになります。

グレープを解散してソロシンガーになってからも、「雨やどり」、「関白宣言」、「親父の一番長い日」、「北の国から~遥かなる大地より~」など、たくさんのヒット曲を生み出します。
中でも、雨やどりがきっかけで知り合って恋に落ち、結婚にまで至る2人の姿をコミカルに歌った「雨やどり」は、オリコンシングルチャート1位となる大ヒットとなります。

さだ まさしは、2013年7月現在、日本で最も多くのソロ・コンサートを行っている歌手でもあり、その回数は4000回を越えるという、精力的なミュージシャンでもあります。

また、小説家としても活動し、「解夏(げげ)」「眉山(びざん)」などの著作を出版しています。

今日は、そんなさだまさしの多くの曲の中から、1979年10月12日に発表されたシングルである、「親父の一番長い日」をどうぞ。 
「親父の一番長い日」は、オリコンチャートにおいて週間1位、1979年度年間38位、1980年度年間36位を記録しています。

「親父の一番長い日」って、どんな曲?

「親父の一番長い日」は、1978年の軽井沢音楽祭のために制作された楽曲です。
内容としては一人の女性の誕生から結婚に至るまで人生と、娘の成長に一喜一憂する父親の姿が、この女性の兄の視点から描かれているものですが(佐田自身の家がモデル)、この曲を原案として、テレビ・ドラマ化もされています。