Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「セクシャル バイオレットNo.1」 - 名曲のご紹介

今日は、桑名 正博の「セクシャルバイオレットNo.1」のご紹介です。

桑名 正博(くわな まさひろ、旧芸名・桑名 将大、桒名 正博)は、大阪府大阪市天王寺区出身のミュージシャン・俳優、実業家です。

桑名 正博は、1972年に「スウィートホーム大阪」でデビューをします。
1973年に「ファニー・カンパニー」、1974年に「ファニー・ファーム」という2枚のアルバムを残して、同年解散。
桑名正博バンド、そして加賀テツヤ、山本翔と結成したユグドラジルの名義で、オムニバスアルバム「イントロダクション」に参加しています。

1975年にはソロ活動を開始し、翌年の1976年にアルバム「Who are you?」を発売。
1977年、筒美京平と出逢ったことがきっけで、同年の6月には「哀愁トゥナイト」を発売。その後も、「サード・レディー」筒美京平作曲路線のシングルを発売し続けます。

1979年に発売されたカネボウ化粧品キャンペーンソング「セクシャルバイオレットNo.1」は、チャート1位を獲得する大ヒットを記録し、桑名 正博代表作のひとつとなります。

今日は、桑名 正博の通算4枚目のシングルである、その「セクシャルバイオレットNo.1」をどうぞ。


セクシャル バイオレットNo.1/桑名 正博

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、当時の日本のポピュラー音楽シーンにおいては、化粧品のCMソングに採用された曲はいずれもヒットするような状況下にありました。
この「セクシャル バイオレットNo.1」もご多分にもれず、それまで「サード・レディー」のスマッシュヒットにとどまっていた桑名 正博を、一躍有名にするほどのヒットとなります。
オリコンチャートにおいても3週に渡って1位を記録し、累計売上は60万枚を超えるヒットとなります。

「キス・オブ・ライフ/シャーデー」 - スタジオ・アルバム「Love Deluxe」からシングルカットされた名曲

今日は、シャーデーの「キス・オブ・ライフ(Kiss Of Life)」のご紹介です。

キス・オブ・ライフ シャーデー ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シャーデー(Sade)は、女性ボーカルとバックミュージシャンから成る、イギリスのバンドです。

メンバーは、Sade Adu(シャーデー・アデュ 女性ボーカリスト)、Paul Spencer Denman(ベース)、Andrew Hale(キーボード)、Stuart Matthewman(ギター・サックス等)です。

シャーデーは、1984年にデビューをします。
第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを背景にして、アルバム「Diamond Life」は、祖国のイギリスのみならず米国などでもヒット。翌年の米グラミー賞最優秀新人賞に輝きます。

ジャズとアダルト・コンテンポラリーをミックスしたサウンドや、アデュの落ち着いたミステリアスなボーカルが特徴で、寡作ながら、発表する作品はいずれもが世界的なヒットとなっています。

また、1994年からは、アデュを除くメンバー3人が、「Sweetback」という名前で活動を始めます。

デビュー当初のジャズやソウルの系統のサウンドから、「Lovers Rock」以降はブルースやフォークの影響を感じさせるギター中心のサウンドに変化しており、くわえてアデュがジャマイカに移住したこともあり、レゲエの影響も受けています。

今日は、1992年に発売されたシャーデーの4枚目のスタジオ・アルバム「Love Deluxe(ラブ・デラックス)」からシングルカットされた、通算3枚目のシングルである「キス・オブ・ライフ(Kiss Of Life)」(発売は翌年の1993年)をどうぞ。
 
キス・オブ・ライフ(Kiss Of Life)/シャーデー(Sade)

この曲の歌詞はこちら

このアルバムは、全米で340万枚を売上げました。

「いとしのロビン・フッドさま/榊原 郁恵」- オリコンチャート18位を記録したヒット曲

今日は、榊原 郁恵の「いとしのロビン・フッドさま」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

榊原 郁恵(さかきばら いくえ、本名:渡辺 郁惠(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原 郁惠、1959年5月8日 - )は、神奈川県川崎市出身の元アイドル歌手、女優、タレントです。
夫は、俳優の渡辺徹。

榊原 郁恵は1976年、高校2年生の時に、ホリプロの主催する「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、芸能界に入ります。
そして、これを機に上京。CMや映画へ出演しはじめます。

翌年の1977年(昭和52年)1月1日には、歌手としてデビュー。
デビュー以降、アイドルとして「ナッキーはつむじ風」をはじめ、数多くのドラマやCMで人気を獲得します。
また、「明星」「平凡」「近代映画」などの表紙を度々飾り、またタレント歴代5位となるプロマイド月間売上1位獲得17回という実績をもちます。

1970年代後半には、ミッキーマウスの吹き替えの声優にキャスティングされ、ディズニーの特番にレギュラーで出演します。

歌手としては、7枚目のシングル「夏のお嬢さん」が自身最大のヒットであるものの、オリコンチャートでは最高11位にとどまり、これが自身の最高位となっています。
「NHK紅白歌合戦」には、1978年から6回連続出場し、紅組トップバッターを2回務めます。

今日は、そんな榊原 郁恵の1978年1月1日に発売された、通算5枚目のシングルである「いとしのロビン・フッドさま」をどうぞ。
 
いとしのロビン・フッドさま/榊原郁恵

この曲の歌詞はこちら

この曲は、明るいタッチで作られた楽曲ではありましたが、大ヒットまでにはならず、オリコンチャート最高18位、総売り上げ約15.3万枚までのスマッシュヒットでした。

また、本人がオレンジ色のロビン・フッド調の衣装で歌唱していたこともあり、当時のNHKの子供番組でも取り上げられて話題になりました。

ちなみに、夫の渡辺徹は、榊原郁恵がデビューした当時からのファンで、部屋には郁恵のビキニ姿のピンナップを貼っていたほどだといいます。
なので、「風の中のあいつ」で彼女と共演することが決まった時には、「太陽にほえろ!」のオーディションを通過したときくらいに喜んだということです。

なお、榊原郁恵といえば、1980年に発売された「ロボット」もおススメです。
こちらも楽しいですよ。(^^)
 

「ROBOT(ロボット)/榊原 郁恵」- 「夏のお嬢さん」が大ヒットした榊原郁恵の1980年のヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、榊原 郁恵の「ロボット」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。榊原 郁恵(さかきばら いくえ、本名:渡辺 郁惠(わたなべ いくえ)。旧姓、榊原 郁惠)は、神奈川県川崎市出