Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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オリジナル曲、「ホワイト・ノート」(歌:初音ミク)を公開しました。

皆さん、こんばんは。(^^)/

新曲ができたので、お知らせいたします。
曲名は、「ホワイト・ノート」です。

今回は、ピアプロで詩を書かれているメビウスさんとのコラボ曲です。(*^^)
メビウスさんの詩に、私が曲をつけさせていただき完成した、スプリング・ソングです。
お聴きいただければと思います。(^^)

また、この曲はついに初音ミクを購入してしまった私Super源さんの、その第一弾となります。(^o^)/ パンパカパーン!
ということで、今回はとりわけ可愛く爽やかな曲を目指して制作しました。どうぞお聴きになってみてくださいね。(^^)

曲は、本日「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

ホワイト・ノート - Super源さんの癒しの音楽館

また、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)

それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

「忍者ハットリくん」 - 藤子不二雄が自作品の中で一番のお気に入りだという漫画のアニメ化作品主題歌

以前、「マグマ大使」のテーマ曲をご紹介しました。
 

「マグマ大使の主題歌」 - 懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」のOP|Super源さんの音楽ブログ


今日は、ちょっと趣向を変えて、懐かしのヒーロードラマ「マグマ大使」から、「マグマ大使の主題歌」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。「マグマ大使」(マグマたいし)は、漫画家手塚治虫


今日は、もう1曲、アニメ作品の「忍者ハットリくん」のテーマ曲をご紹介したいと思います。

忍者ハットリくん
写真はこちらからお借りしました。

忍者ハットリくん(にんじゃハットリくん)」は、漫画家・藤子不二雄原作によるテレビ映画、テレビアニメ、劇場アニメ作品です。
作品内に登場する主要人物の一人・ハットリカンゾウ(服部貫蔵)の名称(通称)でもあります。

「忍者ハットリくん」は、漫画雑誌『少年』(光文社)にて1964年から1968年まで、「コロコロコミック」「てれびくん」、各小学館の学年別学習雑誌にて、1981年から1988年までにかけて連載されました。

ストーリーとしては、ハットリくんが忍者の里である伊賀から東京に出てきて、とある家に居候することになり、そのためいろいろな騒動を起こすという、現代社会にはそぐわない忍者が登場することで面白さが増すユニークな作品です。

「忍者ハットリくん」は、作者の藤子不二雄の自作品の中では一番のお気に入りだということで、テレビアニメ化された際には、アニメ版の声優の個性溢れる演技に感銘を受け、筆が進んだと語っています。

今日はその「忍者ハットリくん(にんじゃハットリくん)」のテーマ曲をどうぞ。( ^-^)/
 
忍者 ハットリくん

いやしかし、今聴くと賑やかな音楽ですね。(^o^;
でも、聴いていると元気が出てきます。(^^)v

ハイ、ドウゾ。( ^-^)o旦 ヾ(^^)´ナニコレ?
スパム缶詰~。(^O^)
おっ!(゚o゚)御三家、じゃなかった、ご本家だね!

ちなみに、ファミコンの「忍者ハットリくん」と言えば、かつては150万本も売れたハドソンの代表作でした。
と言ってもこれだけ売れたのは、ゲームの面白さ、プラス『コロコロコミック』効果、そして、あの高橋名人の妙技(1秒間に16回連打)披露による効果が非常に大きかったからこそでしょうけれど…。
しかしこれ、ずいぶん昔の話だなぁ。(--)トオイ メ

※スパム(SPAM)缶詰とは、アメリカのホーメル食品(Hormel Foods Corporation)が販売する、ランチョンミート(ソーセージの材料を腸ではなく型に詰めたもの)の缶詰です。
この製品は、1937年に誕生以降、欧米では一般的な食品として普及しています。

「勝手にしやがれ/沢田 研二」- 名曲のご紹介

今日は、沢田 研二の「勝手にしやがれ」のご紹介です。

沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。
ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。

沢田 研二は、1960年代後半のグループサウンズ(GS)全盛期から活躍する歌手です。ソロとしてのシングル総売上は1,239万枚で、ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚となります。

1967年2月5日、シングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」でブレイクし、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ (GS) の頂点へと躍り出ます。

とりわけ、端整な美貌の持ち主である沢田研二は、当時の10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルとなります。

今日は、1977年5月21日に発売されて、沢田研二の曲としては4作目のオリコン1位を獲得し、「時の過ぎゆくままに」に次ぐセールスを記録たし19枚目のシングル、「勝手にしやがれ」をどうぞ。


勝手にしやがれ/沢田研二

※この動画は、「YouTube途中再生埋め込みタグ作成支援ツール」を使用し、動画最初の会話部分を飛ばしています。

ちなみに、この曲のタイトル元は1959年に公開された映画の「勝手にしやがれ」からで、タイトルだけでなく、歌詞の内容もそれにちなんだ(映画の内容と関連はない)ものになっています。