Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「and I…(アンド・アイ…)/ももちひろこ」 - インディーズで発売された、福岡限定プレデビューシングル!

今日は、ももちひろこの「and I…(アンド・アイ…)」のご紹介です。

アンド・アイ… ももちひろこ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ももちひろこ(1988年11月12日 -)は、 福岡県福岡市早良区百道出身のシンガーソングライターです。

ももちひろこは、大学に進学後、「自分に何が出来るのだろう…」と思い、ふと家にあった父親のギターを取り出し、独学でギターを学びます。
そして、3曲カバーできるようになったところで、天神でストリートデビュー。そこで触れた温かさや想いを大切にしようと、さらにオリジナル曲を作るようになり、ストリートの他、ライブハウス等への出演をするようなります。

そしてその頃から、知人や先輩の勧めでメジャーでの活動を目指し、オーディションを受けはじめます。

2009年に行なわれた「ユニバーサルミュージック×新星堂 新人発掘オーディションCHANCE! 09」にて、最優秀賞を獲得。
インディーズで発売された、福岡限定プレデビューシングル「and I…」は、限定500枚が1週間で完売します。

それでは、今日はその「and I…」をどうぞ。
and I…(アンド・アイ…)/ももちひろこ

この曲の歌詞はこちら

ちなみに、ももちひろこの「ももち」は、地元の福岡市早良区百道(ももち)からとっています。「HIROCO」という名前で活動していましたが、メジャーデビューするにあたり、現在の名前に改名しました。

「おくれて来た少女/シモンズ」 - 「恋人もいないのに」でデビューしたシモンズの1972年のヒット曲

今日は、シモンズの「おくれて来た少女」のご紹介です。

おくれて来た少女 シモンズ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

シモンズは、田中ユミ、玉井タエ2人による女性デュオです。

シモンズの2人は、高校時代から「ベッツィ&クリス」のカバーなどを歌い、ライブ活動をしていましたが、毎日放送ラジオの「ヤングタウン」のオーディションで合格します。

そして、高校卒業後に上京し、RCAレコードから「恋人もいないのに」で歌手デビューをします。
 

「恋人もいないのに/シモンズ」 - 60万枚以上を売上げた、シモンズのデビュー曲にしてヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、シモンズの「ふりむかないで」をご紹介しました。 「ふりむかないで/シモンズ」 - オリコン37位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ今日は、シモンズの「ふりむかないで


この曲は、60万枚を超える大ヒットとなり、続けて「ふりむかないで」、「おくれて来た少女」、「ひとつぶの涙」…、と順次新曲を発売していきますが、人気絶頂の1974年に、玉井タエが結婚するのを期に活動を休止します。

その後、1978年に、テレビドラマの主題歌を歌うことにより、一時的に活動を再開しますが、翌年、玉井タエの離婚により本格的に解散することになります。

シモンズは、計100曲を超えるCMソングを歌っていますが、中でも有名なのは、明治製菓のチェルシーのCMソングである「ひとつぶの涙」でしょう。
 

「ひとつぶの涙/シモンズ」 - 明治チェルシーCMソング シモンズの名前の由来は?|Super源さんの音楽ブログ


シモンズは、田中ユミ、玉井タエ2人による女性デュオです。 写真は、こちらからお借りしました。シモンズの2人は、高校時代から「ベッツィ&クリス」のカバーなどを歌い、ライブ活動をしていま


今日は、1972年02月25日に発売されたシモンズの通算3枚目のシングルである、「おくれて来た少女」をどうぞ。
 
おくれて来た少女/シモンズ

この曲の歌詞はこちら

この曲の作詞は北山修、作曲は杉田二郎です。
オリコンチャートにおいて、最高順位72位を記録しています。

シモンズのその後

シモンズは、人気絶頂の1974年に、玉井タエの後藤次利との結婚を期に休止します。
1978年に、テレビドラマの主題歌を歌い、一時的に活動を再開しますが、翌年の玉井タエの離婚により本格的に解散。

1996年に、田中ユミは元ジャネッツの青木まり子(現五つの赤い風船)と新シモンズを結成。
この新シモンズは3年後の1999年に解散しますが、2006年などに度々再結成をしており、2006年の8月に公式ホームページが開設されました。

2009年7月25日に、大阪府の守口文化センター(エナジーホール)で、玉井タエを迎えて田中ユミのコンサートが開催されます。
この日、シモンズ結成40周年記念として、解散以来初のデュエットが蘇ることとなりました。

2014年10月2日に、田中ユミがテレビ東京の「名曲ベストヒット歌謡」にゲスト出演します。

「コスモス街道/狩人」 - 60万枚を売上げた、「あずさ2号」に次いで発売された2ndシングル

今日は、狩人の「コスモス街道」のご紹介です。

コスモス街道 狩人 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人による兄弟デュオです。

狩人は、1977年3月25日に、「あずさ2号」でデビューをします。
この曲は、いきなり大ヒットとなり、同年1977年の暮れに行なわれた第19回日本レコード大賞などの数々の新人賞を受賞し、人気となります。
 

「あずさ2号/狩人」 - 累計80万枚を売上げた狩人のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、狩人の「あずさ2号」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人によ


狩人は、この曲でサンレモ音楽祭などにも出場。
その後も「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒットにより、スター歌手の地位を確実なものとします。

毎年年末に行なわれる、恒例のNHKの紅白歌合戦には、1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たします。

それ以降は大きなヒットに恵まれませんでしたが、ドラマやCMに彼らの楽曲が採用され、特に、1994年歌謡バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」への出演をきっかけに再ブレイク。
その翌年に「あずさ2号(ニュー・バージョン)」を発売し、その後二人は歌手以外に自らの才能の範囲を広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も行なうようになります。

今日は、そんな彼らの1977年08月25日に発売された通算2枚目のシングルである、「コスモス街道」をどうぞ。
 
コスモス街道/狩人

この曲の歌詞はこちら

いい曲ですねー。(^O^)
でも、良く聴くと、メロディーも曲調も、「あずさ2号」をちょっと変えただけということが分かります。(^^;
このように、大ヒットした作品の次に、さらなるヒットを狙って、似たような曲調の曲を出してくるというのは、レコードセールス戦略上、しばしば使われる戦略です。
It's a good song! (^O^)
But if you listen carefully, you will find that the melody and the tune are just a slight modification of "Azusa No.2". (^^;
It is a strategy often used in record sales to release a song with a similar tune after a big hit in order to get another hit.

この曲は、オリコンチャートで週間5位、1977年度年間31位を記録しています。
また、この曲の作詞は竜真知子、作曲は都倉俊一で、当時シングルの売上が累計60万枚(オリコンでは約40万枚)というヒットとなりました。