Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「KISS ME(キス・ミー)/氷室 京介」 - ミリオンセラーを達成した氷室京介の代表曲!

今日は、氷室 京介の「KISS ME(キス・ミー)」のご紹介です。(^^)


写真は、こちらからお借りしました。

氷室 京介(ひむろ きょうすけ、1960年10月7日 - )は、 群馬県高崎市出身のロックボーカリスト、カリスマ性のあるミュージシャンです。ロサンゼルス在住

氷室 京介は、1982年にロックバンド・BOOWYY(ボウイ)※のヴォーカリストとして、アルバム「MORAL(モラル)」でデビューをします。
当時、システムに組み込まれないという価値観と、性急なまでの縦ノリビートが、20歳前後の若者に絶大な支持を得て、日本独自のビート系ロックバンドとしてビートロックを確立し、解散までの約6年間において日本のロック界ではまだ有り得なかった数々の伝説を残します。

1988年には、シングル「ANGEL(エンジェル)」でソロデビュー。
この曲は、同年オリコン年間順位8位となっり、その後も独自のロック美学と圧倒的なライブパフォーマンスが、カリスマ的に多くのフォロワーや業界関係者に影響を与えます。

1994年に、ロサンゼルスに創作拠点を置いて以後、マスメディアへの露出は更に減りますが、日本でライブコンサートを開けば今でも全ての会場が満員になります。ロサンゼルスという環境を生かして、凄腕の外国人エンジニア、アーティスト、ミュージシャン等に自らオファーをし、自らをプロデュースするという形をとっていることが氷室 京介の強みといえるでしょう。

また、氷室 京介はクロムハーツを長年愛用し、コラボレートしたり、左の二の腕にはタトゥーを入れるなど、ファッションにもこだわりを見せています。また、明らかに忌野清志郎の影響を受けているともいわれます。
東日本大震災時には8億円寄付したいう話もあり、温かい心の持ち主であると思われます。

氷室京介も清志郎に影響を受けていた?~意外な忌野チルドレンたち
http://www.siruzou.jp/band/writer/1453/

さて、今日はそんな氷室 京介の、1992年12月7日に発売された通算9枚目のシングルである「KISS ME(キス・ミー)」をどうぞ。
 
KISS ME(キス・ミー)/氷室京介

この曲の歌詞はこちら

この曲は、氷室京介自身初のミリオンセラーを達成した最大のヒット曲で、代表曲のひとつでもです。

2013年3月11日には、群馬にある実家など3棟が全半焼する事件が発生。両親共に無事ではあるものの、実母が火災から逃げる際に腕を骨折する大怪我を負います。全焼した家の住民1名も顔に軽いやけどを負います。

この件に関して、氷室側は公式WEBサイトで両親の命に別状がない事を報告し、同日、氷室の実家を放火した37歳の女が高崎署に出頭、現住建造物等放火容疑で逮捕されますが、この事件の後に、熱狂的な氷室、BOOWYファンによる犯行であることが明らかとなります。

氷室京介の「実家」全焼事件

氷室京介の「実家」火事で全焼、母親ケガ
http://blog.livedoor.jp/aokichanyon444/archives/54416656.html

後に、2014年06月04日の東京国際フォーラムでのライブMCにおいて、氷室 京介は「実行した女性は、罪をすべて受け入れ、反省し更生する。との事を受け、この問題はすべてチャラ」と、ファンへの報告を行ないました。

氷室京介への評価あれこれ

氷室京介とかいう代表曲一つもないおっさん
http://visual-matome.blog.jp/archives/3625393.html

1: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:53:53
なんでカリスマ扱いなの?

4: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:54:53
ボーイのボーカルだったからだろ馬鹿

7: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:56:03
布袋のおかげ

8: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:56:15
バンド時代の栄光だな

9: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:56:17
ソロならkiss meかな?

10: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:56:29
むしろKiss meしか代表曲ないってスレタイにしないと
Kiss meミリオンいってるんだから

11: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:56:49
テレビ出ないから神格化がすごい

13: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:57:41
BoowyのCD売上より
氷室ソロの方が上いったからな

17: 名無し募集中。。。 2014/02/19 16:59:30
東日本大震災で8億寄付したんだから許してやれ

B'z稲葉は5000万だっけ?

20: 名無し募集中。。。 2014/02/19 17:01:40
ギタリストがソロで唯一大成功した布袋のほうが凄い

21: 名無し募集中。。。 2014/02/19 17:02:08
BOOWY時代も実はそこまでの動員力はなかった
ほとんどホールツアーしかやれなかったのになぜか大人気のイメージ持たれて違和感ありまくる

41: 名無し募集中。。。 2014/02/19 17:08:13
>>21
BOOWY活動中にアリーナツアーしてたアーティストいる?

42: ずいかく〔瑞鶴〕 ◆ISIDAueLJs 2014/02/19 17:08:15
>>21
80年代前半のアーティストなんてみんなそんなもんだろ
日本人がまだなんだかんだでカネ持ってなくて 何千円もするライブに行く習慣が無かった

24: ずいかく〔瑞鶴〕 ◆ISIDAueLJs 2014/02/19 17:03:04
BOOWY時代に神曲何曲もあるんだから別にええやろ

※メディアなどで、稀に「BO"Φ"WY」などと誤記されることがありますが、正しいグループ名は、3文字目がギリシャ文字の「Φ」(ファイ)ではなく「Ø」(ストローク符号を付したO)です。

「白い蝶のサンバ/森山 加代子」 - 48万枚の売上げを記録したヒット曲!

今日は、森山 加代子の「白い蝶のサンバ」のご紹介です。

白い蝶のサンバ 森山 加代子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森山 加代子(もりやま かよこ、1942年3月23日 -)は、北海道函館市出身の日本の歌手です。ニックネームは「かよチャン」。

森山 加代子は、1958年の夏に、札幌のジャズ喫茶「ロータリー」で歌っていたところを、マナセプロダクション社長の曲直瀬正雄にスカウトされて上京します。
水原弘率いる「水原弘とブルーソックス」の専属シンガーとなり、1959年12月の日劇ウエスタン・カーニバルに初出場します。

そして、1960年6月に、イタリアの歌手ミーナ(mina)の「月影のナポリ(Tintarella di luna)」の日本語カバーでレコード・デビュー。この曲は、いきなりの大ヒットとなり、50万枚を売り上げます。

その後は、「メロンの気持「」月影のキューバ」などヒットを連発し、ミュージック・ライフ誌の人気投票女性部門で第1位に選ばれます。
また、新人としては異例の早さで同年のNHK紅白歌合戦※に初出場。以降「じんじろげ」「パイのパイのパイ」など、歌謡曲やカバー曲で数々のヒットを飛ばしていきます。

今日は、そんな森山加代子の、1970年1月25日に発売された「白い蝶のサンバ」をどうぞ。
 
白い蝶のサンバ/森山加代子

この曲の作詞は阿久悠、作曲は井上かつおです。
阿久悠の初期の代表作で、阿久悠の作詞作品で最初のオリコン1位獲得曲となります。

この曲は、それまでの森山加代子のイメージとは違った、早口言葉のような出だしのサンバの軽快なリズムにのせた純国産のポップな歌謡曲で、大ヒットし、48万枚のセールスを記録します。

森山加代子はこの曲で、1970年の『第21回NHK紅白歌合戦』に8年ぶり4度目の出場を果たしました。

森山加代子の『NHK紅白歌合戦』出場履歴及び歌唱曲目は、以下の通りです。

第11回 (1960年12月31日、日本劇場(日劇)) 「月影のキューバ」
第12回 (1961年12月31日、東京宝塚劇場) 「シンデレラ」
第13回 (1962年12月31日、東京宝塚劇場) 「五ひきの仔ブタとチャールストン」
第21回 (1970年12月31日、東京宝塚劇場) 「白い蝶のサンバ」

「土曜の夜はパラダイス/EPO」 - 「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマ

今日は、EPOの「土曜の夜はパラダイス」のご紹介です。

土曜の夜はパラダイス EPO ジャケトイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

EPO(エポ、本名:佐藤 榮子(さとう えいこ)、旧名および出生名:佐藤 永子、1960年5月12日 -))は、東京都出身のシンガーソングライターです。

EPOは、大学在学中の1980年3月21日に、シュガー・ベイブのカバー曲「DOWN TOWN」でデビューをします。
デビュー以来現在まで、オリジナル作品だけでなくテレビコマーシャルや番組の主題歌なども提供し、多くのヒット曲があります。

過去には、雑誌のグラビアに水着で登場した経験もあったり、体育大学に在籍したこともあって、レコード会社対抗運動会で当時の所属レコード会社、RVC代表として活躍したこともあります。

フジテレビ系のバラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマにデビュー曲の「DOWN TOWN」が採り上げられた縁から、同番組のタケちゃんマンのテーマ曲「THE TAKECHANマン(タケちゃんマンの歌)」の作曲(佐藤エポ子名義)と番組のアイキャッチを手掛けます。
番組に出演した事もありましたが、後に語ったところによれば、当時はこの番組に出演する事が精神的にも苦痛だったということで、そのため同番組の「ひょうきんベストテン」のコーナーでは、笑顔ではなく淡々と歌っています。

1983年に資生堂のキャンペーンソングとして発表した「う、ふ、ふ、ふ、」が大ヒット。
この曲は、ポップソングとして完成度が高く、資生堂キャンペーン期間の終了後もたびたび別の商品のCMソングとして採用され、EPOを代表する一曲となります。

今日はその「オレたちひょうきん族」に、1982年10月から1983年2月の間、エンディングテーマとして使われた「土曜の夜はパラダイス」をどうぞ。
 
土曜の夜はパラダイス/EPO

この曲の歌詞はこちら

この曲は、シュガー・ベイブのカバーであるデビュー曲「DOWN TOWN」に続き、フジテレビ系バラエティ番組「オレたちひょうきん族」のエンディング・テーマ曲として採用されました。

番組の制作側が示した「土曜日の開放的な気分を唄にしてもらえたら」との要望に応えて作られた楽曲です。

実は、この曲にOKが出る前は、「PAY DAY」という、後にアルバム「VITAMIN E・P・O}に収録される曲を提出していたのですが、プロデューサーの宮田茂樹から「もっと明るい曲の方がいい」と反対意見が出されたため、この曲に変更したといいます。

なおこの曲は、歌手のMay J.が、2022年11月9日発売のアルバム「Bittersweet Song Covers(ビタースイート・ソング・カバーズ)」でカバーしています。

※「オレたちひょうきん族(オレたちひょうきんぞく)」は、フジテレビ系列で1981年5月16日から1989年10月14日まで毎週土曜日20:00 - 20:54(JST)に放送されていたお笑いバラエティ番組。通称「ひょうきん族」「ひょうきん」。
ビートたけし、明石家さんま、島田紳助、山田邦子、片岡鶴太郎、コント赤信号などが出演していた。

【ひょうきん族って?】
ひょうきん族って?