Super源さんの音楽ブログ

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「真珠貝の歌(Pearly Shells)/ビリー・ヴォーン楽団」 - NHK-FM「リクエストコーナー」テーマ曲

今日は、ビリー・ヴォーン楽団の「真珠貝の歌(Pearly Shells)」のご紹介です。

真珠貝の歌 ビリー・ヴォーン楽団 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ビリー・ヴォーン(Billy Vaughn、1919年4月12日 - 1991年9月26日)は、アメリカケンタッキー州のグラスゴー(Glasgow)生まれの歌手、マルチプレイヤー、指揮者です。
ポピュラー音楽/イージー・リスニングのヒット・メーカーとして有名です。

ビリー・ヴォーンは、3歳の時にマンドリンを学びはじめ、その後もさまざまな楽器をマスターしていきます。

1954年、テネシー州のドット・レコード(Dot Records)に音楽監督/A&R担当として起用され、同年に自身の楽団である「ビリー・ヴォーン楽団」を結成。
シングル版「愛のメロディー(Melody of Love)」を発売し、ビルボードのシングル・チャートに27週間ランキングされるヒットとなります(最高位は2位)。
そしてその後、10数年に渡り、「シフティンク・ウイスパリング・サンズ(1955年9月発売)、「ラウンチー(またはローンチー)」(1957年発売)、「浪路はるかに」 (1957年発売)、峠の幌馬車(1961年発売)など、数々のヒット曲を生み出します。

今日は、1965年に発売されたアルバム「真珠貝の歌(Pearly Shells)」から、タイトル曲である「真珠貝の歌(Pearly Shells)」をどうぞ。
 
真珠貝の歌(Pearly Shells)/ビリー・ヴォーン楽団(Billy Vaughn&His Orchestra)

「真珠貝の歌」は、1970年から1980年にかけて、毎週日曜の夜6時からNHK-FMで放送されていた「リクエストコーナー」のテーマ曲として使われていた曲です。

この番組は、洋楽のみをかけるもので、毎週日曜日、NHKーFMで、夕方6時になると、

「ピッ・ピッ・ピッ・ポーン!」

という時報に続いて、

ビリー・ヴォーン楽団の“真珠貝の歌”が流れ、パーソナリティーの石田豊が、

「あの歌この曲、新しいリズムに懐かしい調べの数々、あなたのお好きな曲を集めてご一緒に楽しむ1時間、リクエスト・コーナー第〇△〇回です。ご機嫌いかがでいらっしゃいますか、石田豊です」

といったナレーションで始まりました。ナ、ナツカシーイ!(--)トオイ メ

何より、この番組は曲を最初から最後まで、丸ごとかけてくれるので、私など良くエアチェック(個人が私的にラジオ・テレビの放送 番組を録画・録音して楽しむこと。また、その録画・録音した媒体のこと)をしたものです。(#^.^#)ナツカシー。

それでふと、このアナウンサー、今どうしているのだろうと思って調べてみたところ、どうやら、既に鬼籍に入っているようです。
何というか…、時代の流れを感じますね。(@_@)ウーン

「真珠貝の歌」の原曲は、ハワイの民謡

なお、この曲の原曲は「Pupu A O `Ewa (Shells of `Ewa)」(エヴァの貝)というハワイの民謡で、今日ご紹介するビリー・ヴォーン楽団以外のいくつかの楽団も、それぞれオリジナルアレンジで演奏しています。

また、この曲のビリー・ヴォーン版は当時日本で大ヒットしましたが、本国アメリカでは、アルバムこそ18位になりましたが、シングル版の方は100位以下だったようです。

参考にしたサイト
真珠貝の歌の全米ランク-Yahoo! 知恵袋
http://okwave.jp/qa/q5441343.html
Pearly Shells by Billy Vaughn & His Orchestra-Songs for 4 Seasons
http://songsf4s.exblog.jp/8574887?_s=432f455bb6671c5cc2f7b903ce0bedaa
FM音楽エアチェック狂時代 | mixiユーザー(id:37268987)の日記
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=90430&id=1292810

「空に太陽がある限り/にしきのあきら」 - オリコン週間3位、30.8万枚の売上げを記録したにしきあきらの代表曲!

今日は、にしきのあきらの「空に太陽がある限り」のご紹介です。

空に太陽がある限り にしきのあきら ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

にしきの あきら(本名:錦野 明(にしきの あきら)、1948年12月14日 -)は、大分県大分市出身の歌手、タレントです。

にしきの あきらは、1970年5月1日に「もう恋なのか 」でデビューをします。
「愛があるなら年の差なんて」、「空に太陽がある限り」、「嵐の夜」など、多くのヒット曲があります。

1970年代初めから半ばにかけて、アイドル歌手としてその精悍な風貌と抜群の歌唱力を武器に、10代から30代の女性に人気を博します。
トランペットも吹ける※1にしきのあきらは、運動神経も良く、野村真樹(現:野村将希)と共に、「芸能人大運動会」では抜群の運動神経を披露します。

1970年代後半は、「野良猫ロック ワイルド・ジャンボ」(1970年・日活)、戦国自衛隊(1979年12月5日・東宝)(菊池弘次 一士役)、はだしのゲン※2 PART3 ヒロシマのたたかい(1980年)(熊井少尉役)など、映画やドラマ等で活躍。
その後はバラエティ番組で活躍し、特に「ぷっ」すまでは、常人には手が出ないハチャメチャな料理を、いとも簡単に平らげてしまうことから「鉄の胃袋の持ち主」の異名を得ます。

1990年代になってからは、ドラマ「雪の蛍」に出演し、俳優としても開花します。
それを皮切りに、アニメ「ちびまる子ちゃん」、「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」で意外な注目を集め、その後「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」では、福澤朗から裏スターとして弄られ、これを契機に「スターにしきの」のキャラクターで再び脚光を浴びるようになってゆきます。

今日は、そんなにしきの あきらの1971年03月01日に発売された通算3枚目のシングルである、「空に太陽がある限り」をどうぞ。
 
空に太陽がある限り/にしきのあきら

この曲の歌詞はこちら

子曲は、オリコンチャートでは週間最高3位を獲得し、30.8万枚の売上げを記録。にしきののシングルとしては自身最大の売上となりました。

1971年12月31日に放送された「第22回NHK紅白歌合戦」へは、初出場時だった前1970年(昭和45年)末の「第21回NHK紅白歌合戦」「もう恋なのか」に引き続き、2年連続2回目の出場を果たしました。
2019年(令和元年)現在でも、この曲はにしきのあきら自身の代表曲として知られており、懐メロの音楽番組などでよく披露あれています。

※1.にしきのあきらは、高校卒業後、別府のナイトクラブ「ナポリ」でトランペット第三奏を吹いていたことがあります。
※2.「はだしのゲン」は、広島県広島市舟入本町(現在の広島市中区舟入本町)出身の漫画家、中沢啓治(1939年3月14日 - 2012年12月19日)による、中沢自身の原爆の被爆体験を元にして描かれた漫画。戦中戦後の激動の時代を、仲間たちと力を合わせて必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。この作品を原作とした実写映画やアニメ映画・テレビドラマなども製作されています。



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「私がオバさんになっても/森高千里」 - オリコン週間15位を記録したヒット曲

今日は、「森高千里」の「私がオバさんになっても」のご紹介です。

私がオバさんになっても 森高千里 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森高千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里(えぐち ちさと、旧姓:森高 1969年4月11日 -))は、大阪府茨木市出身の歌手・作詞家・作曲家・ドラマーです。

森高千里は、九州女学院在学中の1986年夏、大塚製薬が主宰した「第1回ポカリスエット・イメージガールコンテスト」でグランプリを受賞します。

翌年の1987年春、東宝映画「あいつに恋して」にヒロイン・松前千里役で出演し、5月25日に同映画の主題歌「NEW SEASON」で歌手デビューをします。

1989年、南沙織の楽曲のリメイク「17才」がヒットし、一躍人気ミュージシャンとなります。
「非実力派宣言」「古今東西」などの作品で、個性的な作詞のセンスが高く評価されるようになる一方で、当時の時代を背景に、超ミニのウェイトレス姿や総スパンコールの衣装などのコスプレでライブ活動を行ない、時には意図的にパンチラを見せるなど、男性ファンの心をつかみます。
 

「17才/森高千里」 - 「NEW SEASON」でデビューした森高千里のブレイク曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、森高千里の「17才」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。森高千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里(えぐち ちさと、旧姓:森高 1969年4月11日 -))は、大阪府


1992年のアルバム「ROCK ALIVE」からの再シングルカットとなる「私がオバさんになっても」のヒットで女性ファンの心を掴み、「ROCK ALIVE」ツアーでは、コンサート会場で森高千里と同じ衣装を作ってコスプレする女性客の姿も見られます。

同年11月のアルバム「ペパーランド」以降は、大半の曲で自ら楽器演奏(ギター・ベース・ピアノ・ドラム等)をするようになり、それまでの打ち込み主体のサウンドから生音主体のサウンドへと路線の転換を図り、1993年のシングル「渡良瀬橋」「風に吹かれて」のヒットでその路線を確立します。
 

「渡良瀬橋/森高千里」 - 森高千里が初めて自ら楽器演奏を行なった曲! 歌詞に登場する「八雲神社」と「公衆電話」は実在する!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「森高千里」の「渡良瀬橋(わたらせばし)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。森高千里(もりたか ちさと、本名:江口 千里(えぐち ちさと、旧姓:森高 1969年4月1


今日は、そんな森高千里の、1992年6月25日に発売された通算16枚目のシングルとなる「私がオバさんになっても」をどうぞ。
 
この曲の歌詞はこちら

>私がオバさんになったら あなたはオジさんよ
>かっこいいことばかり言っても お腹が出てくるのよ

いやー、しかしこれって、衝撃的な歌詞ですよね。(゚O゚;
森高千里は、やっぱりスゴい!(^^)v

この曲は、オリコンチャートで週間15位を記録しています。
またこの曲は、アルバム『ROCK ALIVE』からカットされた曲ですが、アルバムの音源はフェードアウトで終わるのに対して、シングルの方はフェードアウトせずに終わります。

また、1995年に発売されたベストアルバム「DO THE BEST」には「ROCK ALIVE」盤の音源が収録されたため、シングル盤の音源は、この盤と1999年に発売された「The Best Selection of First Moritaka 1987-1993」でしか聴くことができません。

なお、「私がオバさんになっても」の歌詞は、もともとアルバム『古今東西』のレコーディング時に書かれて没になったものが流用されています(曲は新たに作られています)。

また、B面の「自転車通学」は、アルバム未収録楽曲で、この曲は森高千里自身が学生時代に自転車で通学をしていた頃のエピソードがもとになっています。