Super源さんの音楽ブログ

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「淋しい熱帯魚(さみしいねったいぎょ)/Wink」 - 「愛が止まらない~Turn it into love~」に次ぐ54.873万枚の売上げを記録したヒット曲!

今日は、Winkの「淋しい熱帯魚」のご紹介です。

淋しい熱帯魚 Wink ジャケットイメージ
写真はこちらからお借りしました。

Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期にかけて活躍した、鈴木早智子(すずきさちこ)と相田翔子(あいだしょうこ)の2人による、女性アイドル・ポップス・ユニットです。

Winkは、1988年に結成され、同年4月「Sugar Baby Love(シュガー・ベイビー・ラブ)」でレコードデビューをします。
そして、翌年の1989年、「愛が止まらない~Turn It Into Love~」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(上期)を受賞。同年「淋しい熱帯魚」で第22回全日本有線放送大賞グランプリ(年間)、第31回日本レコード大賞を受賞。さらにまた、同曲で「第40回NHK紅白歌合戦」に出場します。
 

「愛が止まらない~Turn It Into Love~/Wink」 - 62.95万枚の売上げを記録! Winkのシングルとして初の1位を獲得したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、「Wink」の「愛が止まらない~Turn It Into Love~」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。 Wink(ウィンク)は、1980年代後半から1990年代中期に


この曲は、Winkのオリジナル曲としては、最大のヒット曲となりました。今日ご紹介するのは、この「淋しい熱帯魚(さみしいねったいぎょ)」です。
この曲は、「アマリリス」以来10ヶ月ぶりとなるWinkのオリジナル(非カバー曲)です。
それまで洋楽のカバーを歌ってきたWinkにとって、この曲は初のオリジナルでのヒットとなり、またこの曲には、通称「大魔神ポーズ」と呼ばれる振りつけがあります。

「淋しい熱帯魚」は、オリコン初登場1位を獲得し、100位以内にに25週連続ランクインします。
また、1989年のオリコン年間ランキングは7位、「愛が止まらない ~Turn It Into Love~」に次ぐ売り上げとなります。

Winkは、この曲で同年12月に行なわれた「第31回日本レコード大賞」、および「第22回全日本有線放送大賞」を受賞。
くわえて、この曲で「第40回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たします。

それでは早速、1989年7月5日に発売された通算5枚目のシングルである、その「淋しい熱帯魚」をどうぞ。
 
淋しい熱帯魚(さみしいねったいぎょ)/Wink(ウィンク)

この曲は、もともと1989年4月中旬より放送されたパナソニック・ヘッドホンステレオS-TYPE(松下電器産業)のCMにWinkが出演してワンフレーズ歌ったもので、その後、「アマリリス」以来10ヶ月ぶりとなる同デュオのオリジナル曲として7月5日に発売されました。
この曲の作詞は及川眠子、作曲は尾関昌也で、編曲は船山基紀です。

この曲が発売されるまで、彼女たちが歌ってきた曲のほとんどは、洋楽のカバーでした。
それで、この曲もそうかと思いきや、実は、新規に作られたオリジナルなのです。
さすが、良くできてますよね。(o^^o)スバラシイ!

この曲は、発売から間もなく、7月17日付でオリコン初登場1位を獲得し、以後11月27日付まで100位以内に20週連続ランクイン。

また、1989年のオリコン年間ランキングでは7位にランクインし、Winkのシングルとしてはカイリー・ミノーグの楽曲のカバー「愛が止まらない~Turn it into love~」の62.95万枚に次ぐ54.873万枚の売上げを記録しています。

淋しい熱帯魚の「淋しい」の読み方は?

淋しいの読み方は 「さびしい」? 「さみしい」?

「さみしい」が正しい読み方。

タイトル「淋しい熱帯魚」の中の「淋しい」の読み方は、JASRACには「さびしい」で登録されていますが、この曲の作詞者である及川眠子(おいかわ ねこ)によるものは「さみしい」となっています。

作詞者は自著で、
 
「さびしい」ではなく「さみしい」が正しいタイトルの読み方。これを濁音(だくおん)にしてしまうと、音に重さが出てしまい、ヒラヒラ、キラキラな Wink のイメージではなくなってしまうので、わざわざ濁(にご)らないようにしているんです」
と、述べています。

また彼女は、「さびしい」を「寂しい」、「さみしい」を「淋しい」として使い分けており、なおかつ、本曲での「淋」の文字の選択については、タイトル中の「魚」にかけて”さんずい”のある「淋」を使ったともしており、当楽曲の「さみしい」という読みと「淋」の文字との選定理由が複合してもいます。

ということで、「さみしい」が正しい読み方です。

「色づく街/南 沙織」 - 「17才」でデビューした南沙織の代表曲

今日は、南 沙織の「色づく街」のご紹介です。

色づく街 南 沙織 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南 沙織(みなみ さおり、本名:篠山 明美(旧姓:内間) 1954年7月2日 -)は、沖縄県出身の元アイドル歌手です。夫は、写真家の篠山紀信。

南 沙織は、1971年の春、「ソニーのシンシア」のキャッチフレーズをもって「17才」で歌手デビューをします。
この曲は、約54万枚の大ヒットとなり、同年の1971年の暮れの「第13回日本レコード大賞」で新人賞を受賞します。

さらに、同年のNHK「第22回NHK紅白歌合戦」にも初出場。

また、ブロマイドの売上においても、1971年、1972年の年間売り上げ実績で第1位を獲得します。

南 沙織は、同時期にデビューした小柳ルミ子・天地真理らと共に "三人娘" と括られることもあり、当時のアイドルの代表格でした。

今日は、そんな南 沙織の1973年8月21日に発売された通算9枚目のシングルである「色づく街」をどうぞ。
 
色づく街/南 沙織

この曲の歌詞はこちら

この曲は、TV番組やラジオで秋になると流れる機会が増える曲で、南沙織自身も自分の代表曲のひとつとコメントしているほどです。
三田寛子・高橋真梨子・水野美紀など、ベテラン歌手から新人アイドルまでさまざま歌手がレコーディングしており、デビュー曲「17才」などとともにカバーされることの多い曲です。

また、南 沙織はデビュー時は母親の郷里、鹿児島県(奄美大島)生まれとされましたが、実際には生まれも育ちも沖縄県です。
また長年、フィリピン人とのハーフであるとされてきましたが、正しくは両親ともに日本人で、母の再婚相手(義父)がフィリピン人です 。また、異父妹弟がいます。

ちなみに、2000年12月18日に放送されたNTV系「スーパーテレビ情報最前線」の企画で放送された「20世紀わが心の歌!愛と悲しみの歌姫伝説 今明かす秘めた真実」で、歌手デビュー前の松田聖子がデモ・テープとして録音した「色づく街」の音源が一部分、放送されました。その音源は、商品化されていません。

「なごり雪/イルカ」 - オリコンアルバムチャート1位、年間5位を記録したヒット曲!

今日は、イルカの「なごり雪」のご紹介です。

なごり雪 イルカ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

イルカ(本名:神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓:保坂(ほさか)(1950年12月3日-) は、東京都中野区出身のフォークシンガー、絵本作家です。

イルカは、1970年に、シュリークス(SHRIEKS)※のメンバーとしてデビューをします。

そして、1974年に「あの頃のぼくは」でソロデビュー。

翌年の1975年に、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」のカバーを歌い、大ヒット。

ヒット曲としては、「少年」、「いつか冷たい雨が」、「もう海には帰れない」、「Follow Me」、「なごり雪」、「サラダの国から来た娘」、「雨の物語」などがあります。

1977年から1980年にかけては、絵本「ちいさな空」全4巻を発表。

また、イルカの声が、TVアニメ「ちびまる子ちゃん」でさくらももこの声を担当するTARAKOと声がそっくりなことから、これが縁で同作のエンディングテーマ「針切りじいさんのロケンロール}で、TARAKOと共にコーラスを担当することになります。

今日は、そんなイルカの、1975年11月5日に発売された通算8枚目のシングルである「なごり雪」をどうぞ。
 
イルカ / なごり雪 投稿者 jrapaka3

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンアルバムチャート1位、年間5位を記録しています。

また、歌詞には「東京」という言葉が出てきますが、伊勢正三本人は出身地である大分県津久見市の津久見駅をモチーフにしたと語っています。

ちなみに、イルカの芸名の由来は、女子美術大学のフォークソング同好会に在籍していた時、皆がギターケースを持って帰る姿を見て、「イルカの群れみたい」と言ったことでつけられたあだ名「イルカ」で、ここからとられています。

【なごり雪って?】
なごり雪って?

【雪だるま】

イラストはこちらからお借りしました。

※シュリークスは、1969年に、早稲田大学フォーク・ソング・クラブのメンバーで結成されたザ・フォーシュリークが解散し、リーダーの神部和夫が明治大学の山田嗣人(山田パンダ)、早稲田の嘉屋泰雄を誘って結成したフォークソンググループ。1969年9月にコロムビアレコードから「君よ!人生は」でデビューした。

シュリークス

神部和夫、保坂としえ、伊藤成一。

写真は、こちらからお借りしました。
その後、嘉屋泰雄の脱退と入れ替えに、ザ・リガニーズの所太郎が参加。
1970年に「さらば」を発売し、ヒットした。