Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「愛のハーモニー(That’s What Friends Are For)/ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick)」 - 名曲のご紹介

今日は、「ディオンヌ・ワーウィック」の「愛のハーモニー(That's What Friends Are For)」のご紹介です。

愛のハーモニー ディオンヌ・ワーウィック ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

ディオンヌ・ワーウィック(Dionne Warwick、1940年12月12日 - 本名 Marie Dionne Warrick マリー・ディオンヌ・ワーリック)は、アメリカのニュージャージー州(New Jersey East Orange)出身の黒人女性歌手です。バート・バカラック作品の歌い手として、またホイットニー・ヒューストンの従姉妹としても知られています。
姉妹は共にR&BシンガーのDee Dee Warwick、Judy Clay(義理の姉妹)で、二人ともディオンヌ・ワーウィックよりディープなソウル・シンガーです。

ディオンヌ・ワーウィックは、ハートフォード音楽大学に在学時、主専攻で音楽教育、副専攻でピアノを専攻します。そして、ニューヨークのレコーディングスタジオでバックコーラスやデモ歌手などをしている時に、作曲家のバカラックと出会います。
大学卒業後、歌手として本格的に活動を始め、1963年にデビューします。

翌年の1964年に「ウォーク・オン・バイ(Walk On By)」のヒットで脚光を浴びたディオンヌ・ワーウィックは、3年後の1967年に「小さな願い(I Say a Little Prayer)」でヒットを放ちます。
その後は、「サンホセへの道(Do You Know The Way To San Jose)」、「恋にさようなら(I'll Never Fall in Love Again)」など、現在もスタンダードとして親しまれているバカラック=ハル・デビッド作品で続けざまにヒットを放っていきます。

1970年代においては、1974年にスピナーズとの共演で「ゼン・ケイム・ユー」がNo.1になるもののしばらく不振でした。
が、1979年にバリー・マニロウのプロデュースによる「涙の分かれ道(I'll Never Love This Way Again)」が久々のヒット曲となりグラミー賞を受賞します。

1980年代においては、1982年にバリー・ギブ制作による「ハートブレイカー」がヒット。
1986年には、バカラック&キャロル・ベイヤー・セイガーのライティングコンビによるグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダーとの共演作「愛のハーモニー」が大ヒットします。

今日はその「愛のハーモニー」をどうぞ。


愛のハーモニー(That's What Friends Are For)/ディオンヌ&フレンズ(Dionne Warwick and Friends)

この曲の歌詞はこちら
訳詞は、こちらのブログで紹介されています。

「愛のハーモニー」は、バート・バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガーが制作した楽曲で、オリジナルは、1982年の映画「ラブ IN ニューヨーク」のサウンドトラックに収録され、ロッド・スチュワートが歌いました。

また、この曲は今日ご紹介した「ディオンヌ&フレンズ(ディオンヌ・ワーウィックとグラディス・ナイト、エルトン・ジョン、スティーヴィー・ワンダー)」によるカバー・バージョンで知られており、このバージョンは、米国エイズ研究財団のためのチャリティーシングルとして、1985年にイギリスとアメリカで発売され、300万ドル以上の収益を上げます。
エルトン・ジョンはピアノを、スティーヴィー・ワンダーはハーモニカを演奏しています。

この曲は、Billboard Hot 100において、チャートイン3週目の1986年1月に1位に上がったあと、4週連続1位を記録します。そして、1986年のBillboard年間チャートにおいて1位のシングルとなります。

オリジナル曲、「Hold Me(ホールド・ミー)」(歌:初音ミク コーラス:蒼姫ラピス)を公開しました。

皆さん、こんばんは。(^^)/

本日、新曲をホームページの方で公開したので、お知らせいたします。
曲名は、「Hold Me(ホールド・ミー)」です。(^o^)/ ジャジャーン!

今回は音楽SNS、OKMusicで知りあった音楽仲間、aiさんとのコラボ曲です。(*^^)
aiさんからコラボの依頼を受け、aiさんの詩に私Super源さんが曲をつけさせていただきました。
お聴きいただければと思います。(^^)

今回は、純愛を扱ったロマンチックな詩なので、ロマンチックでちょっぴり切ない曲を、目指しました。
また、aiさんの方から、歌唱は初音ミクちゃんというご指名がありましたので、編曲の方はミクちゃんが歌って引き立つものをと考えました。φ(。。;)ウーン。

ワーイ!\(^o^)/アタシヲ シメイ ナンテ、ウレシイ ワ。 モウ ハリキッテ ウタッチャウ!(#^.^#)♡

ということで、ミクちゃん、張り切って歌ってくれました。(^^;←ホントカ?

どうぞ、お聴きになってみてくださいね。o(^-^)o


曲は、本日「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

Hold Me(ホールド・ミー) - Super源さんの癒しの音楽館

また、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)


それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

「狂った果実(くるったかじつ)/アリス」 - 40万枚を売り上げた1980年のヒット曲

今日は、アリスの「狂った果実(くるったかじつ)」のご紹介です。

狂った果実 アリス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

アリス(Alice、ALICE)は、1971年に結成された、フォークグループ、バンドです。

メンバーは、谷村新司(たにむらしんじ、チンペイ/リードボーカル、ギター)、堀内孝雄(ほりうちたかお、ベーヤン/ボーカル、ギター)、矢沢透(やざわとおる、キンちゃん/ドラム)。

アリス結成のきっかけは、1970年に行なわれたアメリカコンサートツアーで、大阪のフォークグループ、「ロック・キャンディーズ」のリーダーだった桃山学院大学出身の谷村新司と、東京のソウルバンド、「ブラウン・ライス」のゲストドラマーだった矢沢透が知り合い、意気投合したのがきっかけです。

デビュー当初はあまり売れませんでしたが、地道なツアー活動等の懸命な努力の結果、「帰らざる日々」「冬の稲妻」「涙の誓い」「今はもうだれも」「帰らざる日々」「遠くで汽笛を聞きながら」「さらば青春の時」「夢去りし街角」「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「秋止符」「狂った果実」「それぞれの秋」等、たくさんのヒット曲を放ちます。

そして、1978年には、日本人アーティストとして初めて日本武道館3日間公演を成功させるなど、一時代を築きます。

のみならず、日本武道館では、その後活動を停止するまでの間何回も公演し、他に後楽園球場、甲子園球場、横浜スタジアム、といった当時の野球場や、東京厚生年金会館大ホール、大阪フェスティバルホールといった全国の主要な音楽ホールなどを軒並みに満員にするほど、アリスは多数のファンを獲得していきます。

今日は、そんなアリスの、1980年7月5日に発売された通算18枚目のシングルである「狂った果実(くるったかじつ)」をどうぞ。( ^-^)/
 
狂った果実/アリス

この曲の歌詞はこちら

作詩:谷村新司、作曲:堀内孝雄によるこの曲は、ポリスター移籍第1弾となる作品で、1980年の年間第38位にランクされ、40万枚を売り上げました。

また、アリスは全盛期は、「NHK紅白歌合戦」に一度も出場しませんでした。
その理由は、かつてアリスとしてNHKの番組オーディションに応募して落選した経緯があるため、声がかかっても「意地として断っていた」とのことです。

ちなみに、映画監督の根岸吉太郎は、この曲をモチーフにして「狂った果実」という同名の成人映画を製作し、この映画は1981年ににっかつより公開されました。
なお、この映画は1956年に日活で制作された、中平康監督、石原裕次郎・北原三枝・津川雅彦主演による石原慎太郎原作の同名映画「狂った果実」との関連性はありません。

【「狂った果実」って?】
「狂った果実」って?