Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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勇敢な男性が、川に転落した車内から女性を救出

ニュースというものは、たいがいが悪い話しで、良いニュースというものは非常に少ないものです(@_@)ウーン

が、今日は久々に良いニュースを見つけたので、ここに書き込みます。(^^)

引用:
モスクワを流れるヤウザ運河に女性の運転する乗用車が落ちた。インターファックス通信が警察からの情報として報じた。

9日、13時30分、レフォルトヴァヤ川岸通りを運転中の女性ドライバーが凍結した路面でハンドルを取られ、柵を破って運河へと転落。この様子を目撃した男性が川に飛び込んで、車内から女性を救出した。女性は病院へと搬送されている。
この勇敢な男性の名は、残念ながら明らかにされていない。
引用終了:

しかし、厳冬のモスクワで、川に飛び込むなんて、まさに命懸けの救出作業。
私にはとてもできまシェン。【><】

以上、音楽とは関係ありませんが、新年早々心が温かくなる海外ニュースでした。(^-')

勇敢な男性、モスクワの川に転落した車内から女性を救出-ロシアの声
http://japanese.ruvr.ru/news/2015_01_10/281992310/

「惜春の唄(せきしゅんのうた)/森田公一とトップギャラン」 - 「青春時代」が大ヒットした森田公一とトップギャランの、1978年のヒット曲

今日は、森田公一とトップギャランの「惜春の唄(せきしゅんのうた)」のご紹介です。

惜春の唄 森田公一とトップギャラン ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成された森田公一と5名のコーラスによる音楽グループです。

メンバーは、森田公一(ボーカル、キーボード、リーダー)、渡部玲子(ボーカル)、原田正美(ギター、元マグマックス・ファイブ、元ポニーズ)、岩田康男(ギター、元スケルトンズ、元レモンルーツ)、小原重彦(ベース、元マグマックス・ファイブ)、北村勝彦(ドラムス)。

森田公一とトップギャランは、エキスプレス/東芝音工(現・ユニバーサルミュージック)よりデビューをします。
その後、CBSソニーレコードに移籍。「青春時代」「人間はひとりの方がいい」「過ぎてしまえば」などのヒットを放ちます。
 

「過ぎてしまえば/森田公一とトップギャラン」 - オリコン54位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、森田公一とトップギャランの「過ぎてしまえば」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。森田公一とトップギャラン(もりた こういち と トップギャラン)は、1969年に結成され


そして、1977年の第28回NHK紅白歌合戦に出場。1981年に解散します。

今日は、そんな森田公一とトップギャランの、1978年2月に発売されたシングルである「惜春の唄(せきしゅんのうた)」をどうぞ。
 
惜春の唄/森田公一とトップギャラン

♪街を華やかにして 歩く娘らよ
君よ恋をしているか 愛を知ってるか
若い時はいつしか 過ぎてゆくものだ♪

この曲の作詞は山上路夫、作曲は森田公一です。
メッセージ性の強い歌詞で、ちょっと説教くさいかな、と思えなくもないですが、(^^; 森田公一の独特の語り口で歌われると、とても味わい深いです。

この曲のオリコン最高位は、95位です。
2010年から、森田公一の抜けたトップギャランに、狩人の加藤久仁彦(かとう くにひこ)がリードボーカルとして加入し、「加藤久仁彦&トップギャラン」として活動を始めています。

「天使の誘惑/黛 ジュン」 - オリコン週間3位&1968年「第10回日本レコード大賞」受賞曲!

今日は、黛 ジュンの「天使の誘惑」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

黛 ジュン(まゆずみ ジュン、本名:渡邊 順子(わたなべ じゅんこ) 1948年5月26日 -)は、東京都調布市出身の歌手、女優です。実兄は作曲家の三木たかし。
1960年代後半を中心に、独特のパンチの効いた魅力的な歌声でヒットを飛ばした歌手です。

黛 ジュンは、1964年に「渡辺順子」の名でデビューします。
が、ヒットせず、2年後の1967年に石原プロモーションへ移籍します。
くわえて、作曲家である黛敏郎のファンであったことと、パンチのある名前ということで「黛ジュン」に改名し、東芝音楽工業から「恋のハレルヤ」で再デビューをします。

この曲は、ミニスカートと共にパンチの効いた歌声で、一気に注目を集めることとなります。

そして、翌年の1968年に発売された「天使の誘惑」は更なるヒットとなり、同年の第10回日本レコード大賞に輝きます。
結果、1967年から1968年の2年間において、レコードの売上が500万枚を記録。「天使の誘惑」「夕月」では映画の主演女優に抜擢。売れっ子女優にもなります。

また、年末恒例のNHK紅白歌合戦では、1967年の第18回から1970年の第21回まで、4年間連続で通算4回の出場を果たします。

今日は、そんな黛 ジュンの多くのヒット曲の中から、1968年05月01日に発売された通算4枚目のシングルである、「天使の誘惑」をどうぞ。
 
天使の誘惑/黛ジュン

この曲の歌詞はこちら

「天使の誘惑」は、それまでに発売された3曲と同様、作詞はなかにし礼、作曲は鈴木邦彦となっています。
鈴木邦彦は、作曲ばかりでなく編曲も手がけており、スチールギターを使ったハワイアンムードの楽曲に仕上げたところ、夏向きのリゾートミュージックとなり、好評を博しました。

結果、この曲はオリコンチャートにおいて、週間3位、1968年度年間18位を記録。
黛ジュンは、この曲で1968年の「第10回日本レコード大賞」を受賞。
同年の大晦日に行なわれた「第19回NHK紅白歌合戦」では、この曲を歌唱しました。

当初は、和服姿で『夕月』を歌唱することになっていたのですが、この曲が12月21日に行なわれたレコード大賞を受賞したため、曲がこの「天使の誘惑」に変更されました。
と同時に、服装も変更され、黛ジュンの代名詞ともいえるミニスカート姿で歌うこととなりました。