Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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「アントニオの歌(Antonio’s Song)/マイケル・フランクス」 - アルバム「スリーピング・ジプシー」に収録されている名曲! アントニオって誰?

今日は、マイケル・フランクスの「アントニオの歌」のご紹介です。

アントニオの歌 マイケル・フランクス ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

マイケル・フランクス(Michael Franks、1944年 9月18日 -)は、アメリカのミュージシャンで、AOR界を代表するボーカリストの1人です。

マイケル・フランクスは、その独特の囁くようなボーカルスタイルと、ジャッジーで都会的な音楽性で高く評価されており、代表曲である「アントニオの歌(Antonio's Song)」は、ボサノバの曲として日本でも知名度が高いです。

デビュー当時から、ジャズ・フュージョン・ソウル界からの人気ミュージシャンを起用して楽曲を制作し、浮き沈みの激しいAOR界において、現在に至るまで一貫した音楽性で、コンスタントに作品を発表し続けている類まれなアーティストです。

今日は、そんなマイケル・フランクスの、1977年に発売されたアルバム「スリーピング・ジプシー(Sleeping Gypsy)」の中から、「アントニオの歌(Antonio's Song)」をどうぞ。
 
アントニオの歌(Antonio's Song)/マイケル・フランクス(Michael Franks)

この曲の歌詞はこちら
日本語訳はこちら

アントニオって誰?

この曲のタイトルの一部になっているアントニオというのは、一体誰のことなのでしょうか?

アントニオというのは、あのボサノバの巨匠アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)のことです。
音楽好きの方なら、きっとご存じなのではないかと思います。(^^)
この曲は、彼に捧げる曲となっています。

マイケル・フランクスって、どんな人?

マイケル・フランクス(Michael Franks、1944年9月18日 - )は、アメリカのミュージシャンです。
独特の囁(ささや)くようなボーカルと、ジャジーで都会的な音楽性が特徴で、クワイエット・ストーム・ムーブメントを牽引しました。

彼は、パティ・オースティン、アート・ガーファンクル、ブレンダ・ラッセル、クラウス・オガーマン、デビッド・サンボーンなどの、多くの有名アーティストとレコーディングをしました。

彼の曲は、ゴードン・ハスケル、シャーリー・バッシー、カーペンターズ、パティ・ラベル、ライル・ラヴェット、カート・エリング、ダイアナ・クラール、マンハッタン・トランスファー、カーメン・マクレエ、リンゴ・スターなどによって録音されています。

「私鉄沿線/野口五郎」 - オリコンで「甘い生活」に次ぐ45万枚を超えたヒット曲!

今日は、野口 五郎の「私鉄沿線」のご紹介です。

私鉄沿線 野口五郎 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

野口 五郎 (のぐち ごろう、本名:佐藤 靖 (さとう やすし 1956年2月23日-) は、岐阜県美濃市出身の歌手、俳優です。妻は三井ゆり。

野口 五郎は、1970年代に「新御三家(しん ごさんけ)」の一人として、日本を代表し、活躍したアイドルです。

野口 五郎は、1971年5月1日に、デビュー曲「博多みれん」で演歌歌手として「かわいらしい演歌ホープ」のキャッチフレーズと共に登場しましたがまったく売れず、2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向したところ、若い女性ファンの人気を獲得します。
 

「青いリンゴ/野口五郎」 - オリコン初のBEST20入り! 20万枚近い売上げを記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、野口 五郎の「青いリンゴ」のご紹介です。写真はこちらからお借りしました。野口 五郎 (のぐち ごろう、本名:佐藤 靖 (さとう やすし 1956年2月23日-) は、岐阜県美濃市出身の歌手


その後、「オレンジの雨(1973年)」、「君が美しすぎて(1973年)」、「甘い生活(1974年)」、「私鉄沿線(1975年)、「針葉樹 (1976年9月10日)」「女になって出直せよ(1979年7月10日)」とヒットを飛ばしていきます。

さて、今日はそんな野口五郎の、1975年1月21日に発売された、通算15枚目のシングルである「私鉄沿線」をどうぞ。
 
私鉄沿線/野口五郎

この曲の歌詞はこちら

(^.^) ジツハ ワタシ、私鉄沿線 ニ スンデ マシテ、…。
(。_゚)☆\バシィッ! (-.-メ) キミノ コトハ、ドウデモ イイノ!

この曲は、作詞を担当した山上路夫が、若い頃によく乗った郊外に向かう私鉄の沿線をイメージして書いたもので、野口五郎自身、オリコンチャート上で1974年の「甘い生活」に次ぐ45万枚を超える2番目のヒット曲となり、第17回日本レコード大賞・歌唱賞、第6回日本歌謡大賞・放送音楽賞、第8回日本有線大賞・グランプリを受賞しました。
 

「甘い生活/野口五郎」- オリコン1位を獲得! 50万枚近くを売り上げた野口五郎最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、野口 五郎の「甘い生活」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。野口 五郎 (のぐち ごろう、本名:佐藤 靖 (さとう やすし 1956年2月23日-) は、岐阜県美濃市出


また、発売から40年近く経った今でも、この「私鉄沿線」は野口五郎の代表曲のひとつとされ、現在でも懐メロの歌謡番組などで披露されることが多いです。

「お祭り忍者/少年忍者」 - 日本レコード大賞、日本歌謡大賞、FNS歌謡祭を受賞したヒット曲!

今日は、少年忍者の「お祭り忍者」のご紹介です。


写真は、こちらからお借りしました。

少年忍者(しょうねんにんじゃ)は、ジャニーズ事務所に所属し、活動していた男性アイドルグループです。

少年忍者は、1985年7月24日に、ジャニーズ事務所に所属していたグループ「イーグルス」からソロレコードデビューした中村繁之のバックダンサーとして、「シゲダン」の名前で結成されました。

結成当時のメンバーは、柳沢、正木、遠藤、高木、志賀の他、中村亘利・内海光司(後に光GENJIとしてデビュー)・江端郁己・江端郁世(江端郁己・郁世は、双子の兄弟)・藤沢裕介の10名です。

当初は、グループ名が「忍者」でしたが、その後「少年忍者」に落ち着き、しばらくして、内海・江端兄弟・藤沢の4名が脱退。
その後は、テレビ、ラジオ、また光GENJI、男闘呼組とともに「少年御三家」として、コンサート活動などを行ないました。

1990年8月22日、「少年忍者」は日本コロムビアより「お祭り忍者」でデビューしますが、そのキャッチフレーズは「世界は忍者を待っている」でした。
この曲は、美空ひばりの「お祭りマンボ」のリメイクで、当時、「日本の伝統文化を取り入れた、演歌のような楽曲も歌えるアイドル」という形でデビューをしました。
そしてこの流れは、現在の関ジャニ∞に引き継がれています。

今日は、その「お祭り忍者」をどうぞ。
 
お祭り忍者/少年忍者

この曲の歌詞はこちら

この曲は、以下の賞を受賞しています。

・第32回日本レコード大賞・最優秀新人賞(ポップス部門)
・第21回日本歌謡大賞・優秀放送音楽新人賞
・第19回FNS歌謡祭・最優秀新人賞

また、チャート最高順位は以下の通りとなっています。

・週間3位(水雲SINGLE、オリコン)
・週間10位(陽炎SINGLE、オリコン)
・1990年度年間95位(水雲SINGLE、オリコン)

「お祭り忍者」は、美空ひばりの「お祭りマンボ」がベース

「お祭り忍者」は、美空ひばりの1952年の発売曲「お祭りマンボ」の一部を使用し、新たにメロディーと詞を付加してできた楽曲です。

♪ワッショイワッショイ ワッショイワッショイ ソーレ ソレソレ お祭りだー♪
お祭り風景

当時、この曲が発売されたとき、スポーツ紙などは、レコード会社は生前、美空ひばりの楽曲を他アーティストが発売することを一切許諾(きょだく)しておらず、この作品がその第一号であると報じました。
柳沢超は、テレビ東京で放送された『じっくり聞いタロウ〜スター近況(秘)報告〜』に出演した際、この曲を歌ったことで「ひばりさんのファンから相当逆なでされた」と語っています。