Super源さんの音楽ブログ

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「針葉樹/野口五郎」 - オリコン週間2位! 日本レコード大賞・歌唱賞、日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞したヒット曲!

今日は、野口 五郎の「針葉樹」のご紹介です。

針葉樹 野口五郎 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

野口 五郎 (のぐち ごろう、本名:佐藤 靖 (さとう やすし 1956年2月23日-) は、岐阜県美濃市出身の歌手、俳優です。妻は三井ゆり。

野口 五郎は、1970年代に「新御三家(しん ごさんけ)」の一人として、日本を代表し、活躍したアイドルです。

野口 五郎は、1971年5月1日に、デビュー曲「博多みれん」で演歌歌手として「かわいらしい演歌ホープ」のキャッチフレーズと共に登場するもまったく売れず、2曲目の「青いリンゴ」でポップス歌手に転向したところ、若い女性ファンの人気を獲得します。

その後、「オレンジの雨(1973年)」、「君が美しすぎて(1973年)」、「甘い生活(1974年)」、「私鉄沿線(1975年)、「針葉樹 (1976年9月10日)」「女になって出直せよ(1979年7月10日)」とヒットを飛ばしていきます。

今日は、そんな野口五郎の、1976年9月10日に発売された、通算21枚目のシングルである「針葉樹」をどうぞ。
針葉樹  野口五郎 投稿者 hokker16
この曲の歌詞はこちら

「針葉樹」は、第18回日本レコード大賞・歌唱賞、第7回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。
オリコンチャートにおいては、週間2位を記録しています。

野口五郎は、この曲で第27回NHK紅白歌合戦(5度目)に出場。新御三家が3年連続でそろい踏みとなり、発売後2週間あまりでオリコンのBEST10に初登場します。

「20才になれば/桜田淳子」 - オリコントップ20入りしたヒット曲 作詞・作曲は中島みゆき

今日は、桜田淳子の「20才になれば(はたちになれば)」のご紹介です。

20才になれば はたちになれば 桜田淳子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手です。愛称は、「ジュンペイ」。

桜田淳子は、1972年7月19日、中学2年生の時に、日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行なわれたテレビ予選で、牧葉ユミの「見知らぬ世界」を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格したのがデビューのきっかけです。

そして、その翌年の1973年2月25日には、ビクター音楽産業よりデビュー。デビュー曲「天使も夢みる」は12.1万枚を売上げ、オリコンチャートでも12位になるなど、幸先の良いスタートを切ります。

3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、第15回日本レコード大賞新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。さらにその年の大晦日には第15回日本レコード大賞の最優秀新人賞にも輝きます。

4枚目のシングル「花物語」では、初めてオリコンチャートのベストテン入りを果たし、続く「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」も順調にベストテン入り。

8枚目のシングル「はじめての出来事」は、オリコンチャート第1位を獲得し、その後も、「十七の夏」「夏にご用心」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「しあわせ芝居」「リップスティック」「サンタモニカの風」などのヒットを飛ばしていきます。
 

「ねえ!気がついてよ/桜田淳子」 - オリコン週間2位を記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、桜田淳子の「ねえ!気がついてよ」のご紹介です。 写真はこちらからお借りしました。桜田淳子(さくらだじゅんこ、1958年(昭和33年)4月14日 -)は、秋田県秋田市出身の元女優、歌手


今日は、1978年9月5日に発売された、桜田淳子の通算24枚目のシングルである「20才になれば」をどうぞ。
 
20才になれば/桜田淳子

この曲は、桜田淳子のシングルとして、オリコンチャートにおいてトップ20入りした最後の作品です。
1977年発売の「しあわせ芝居」、1978年発売の「追いかけてヨコハマ」以来、作詞・作曲に中島みゆきが2作ぶり、通算3作目に採用されたシングルでもあります。

曲は、中島みゆきの作詞、作曲によるもので、中島みゆきの詩「愛が好きです」(新潮文庫、1982年)と「中島みゆき全歌集(朝日新聞出版、1986年)では、タイトルが「20才になるまで」となっており、これがこの曲の元のタイトルです。

なお、この曲の中島みゆき本人によるセルフカバー版は発表されていません。

「ガールフレンドpart2/南野 陽子」 - 「涙はどこへいったの」のB面に収録されている隠れた名曲 何故「part2」なのか?

今日は、南野 陽子の「ガールフレンドpart2」のご紹介です。

涙はどこへいったの 南野 陽子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

南野 陽子(みなみの ようこ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、歌手です。愛称は、ナンノ。

南野 陽子は、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューをします。
そして、同年の11月からフジテレビ系ドラマ「スケバン刑事」シリーズ第2作「スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説」で主役を演じ、一躍ブレイク。トップアイドルの座を獲得します。

同時に、1986年3月に発売された、同ドラマの主題歌「悲しみモニュメント」が、初のオリコンチャートトップ10入りとなります。

また、1987年2月公開の映画「スケバン刑事」では、主演に抜擢され、主題歌の「楽園のDoor」は初のオリコンチャート第1位を獲得します。

その後も、「話しかけたかった」「はいからさんが通る」「吐息でネット」「あなたを愛したい」「秋からも、そばにいて」「涙はどこへいったの」「トラブル・メーカー」など、ヒット曲を連発。
くわえて、フジカラー、グリコ、JR西日本など多数の企業のイメージキャラクターに起用されてCMに出演。かくして、南野 陽子は中山美穂、工藤静香、浅香唯と共に、女性アイドル四天王の一人として活躍することになります。
 

「秋からも、そばにいて/南野 陽子」 - 江崎グリコのコマーシャルソング 「ザ・ベストテン」で起こった歌詞忘れハプニングの真相は?|Super源さんの音楽ブログ


今日は、南野 陽子の「秋からも、そばにいて」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。南野 陽子(みなみの ようこ、1967年6月23日 - )は、兵庫県伊丹市出身の女優、タレント、


1989年には、日本テレビ系列の「24時間テレビ」のチャリティー・パーソナリティとしてカンボジアに赴き、リポートを行います。
また、自身のシングルのカップリング曲「思いのままに (ニュー・バージョン)」がこの番組のメインテーマ曲として使われ、同年の8月には、「恥ずかしすぎて」から「はいからさんが通る」まで、CD化されていなかったシングル10タイトルがCDシングルとして再発売されます。
そして、そのうちの9タイトルが、オリコンシングルチャートにランクインします。

今日は、そんな南野 陽子の、1989年に発売された曲である「ガールフレンドpart2」をどうぞ。
 
ガールフレンドpart2/南野陽子

これは、いわゆるひとつのスルメ曲ですね。
聴けば聴くほど、よくなってきます。(^^)
この曲は、1989年2月に発売された、南野陽子の通算14枚目のシングルである「涙はどこへいったの(なみだはどこへいったの)」のB面に収録されている曲で、いわば隠れた名曲です。

何故「part2」なのか?

ところで、この曲のタイトルですが、何故「part2」となっているのでしょうか?

その理由は、この曲の発売される約2年前の1986年11月1日に発売された、セカンドアルバム「VIRGINAL(ヴァージナル)」に、「ガールフレンド」という曲が収録されているからです。


写真は、こちらからお借りしました。



「VIRGINAL」 収録曲
A面
1.ガールフレンド
2.砂に埋めたSECRET
3.ニュー・イヤー・イヴ
4.ベルベット・シークレット
5.呼びすてにしないで
6.黄昏の図書館

B面
1.接近(アプローチ)
2.私の中のヴァージニア
3.ムーン・ランデヴー
4.海のステーション
5.曲がり角蜃気楼

それで、”part2”なのですね。
 
ガールフレンド/南野陽子