Super源さんの音楽ブログ

名曲紹介、作詞・作曲、音楽用語の楽しい覚え方、その他音楽にまつわることを書いていくブログです。可愛い音楽ブログパーツも配布しています。

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オリジナル曲、「採れたて☆フレッシュワールド」(歌:初音ミク)を公開しました。

皆さん、こんばんは。(^^)/

新曲を公開したので、お知らせいたします。
曲名は、「採れたて☆フレッシュワールド」です。

今回も、ピアプロで詩を書かれているアリスさんとのコラボ曲です。(*^^)
アリスさんの詩に、私が曲をつけさせていただきました。
お聴きいただければと思います。(^^)

今回も、前回同様とにかく楽しくて、元気の出る曲を目指して制作しました。どうぞお聴きになってみてくださいね。(^^)

歌は、再び初音ミクちゃんに歌っていただきました。
というより、このところミクちゃんが続いたので、皆さんそろそろ食傷気味なのでは…。(@_@)ウーン

よし!( ^-^)/ 次回のボーカルは、久々に初音ミクちゃんを起用しよう!
ナニ ソレ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)

曲は、さきほど「Super源さんの癒しの音楽館」の方で公開いたしました。

曲へのページへは、以下のリンクから直接行けます。

採れたて☆フレッシュワールド- Super源さんの癒しの音楽館

また、感想などありましたら、掲示板の方にいただけるとうれしいです。(^^)

それでは、どうぞお聴きください!(^O^)/

「あの頃の僕は/イルカ」- 「なごり雪」で知られるイルカのソロデビュー曲

今日は、イルカの「あの頃の僕は」のご紹介です。

あの頃の僕は イルカ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

イルカ(本名:神部 としえ(かんべ としえ)、旧姓:保坂(ほさか)(1950年12月3日-) は、東京都中野区出身のフォークシンガー、絵本作家です。

イルカは、1970年に、シュリークス(SHRIEKS)※のメンバーとしてデビューをします。

そして、1974年に「あの頃の僕は」でソロデビュー。

翌年の1975年に、かぐや姫のメンバー伊勢正三の作詞・作曲による「なごり雪」のカバーを歌い、大ヒット。

ヒット曲としては、「少年」、「いつか冷たい雨が」、「もう海には帰れない」、「Follow Me」、「なごり雪」、「サラダの国から来た娘」、「雨の物語」などがあります。

1977年から1980年にかけては、絵本「ちいさな空」全4巻を発表。

また、イルカの声が、TVアニメ「ちびまる子ちゃん」でさくらももこの声を担当するTARAKOと声がそっくりなことから、これが縁で同作のエンディングテーマ「針切りじいさんのロケンロール}で、TARAKOと共にコーラスを担当することになります。

今日は、そんなイルカのデビュー曲である「あの頃の僕は」をどうぞ。
 
あの頃の僕は/イルカ

この曲の歌詞はこちら

イルカの父親はテナーサックス奏者、息子はシンガーソングライター

イルカの父親は、ジャズバンド「スターダスターズ」の花形テナーサックス奏者だった保坂俊雄です。

スターダスターズは、ラストに必ずバンドテーマである「スターダスト」を演奏しましたが、子供の頃、母親に連れられてライブを見に行くと、その「スターダスト」で、父親がピンスポットを浴びて、一人だけ立ち上がり、ソロでサックスを吹く姿がかっこよく、「スターダスト」は我が家のテーマソングになったといいます。

保坂俊雄は、美空ひばりの専属バンド「ひばり&SKY」の指揮を担当していたことでも有名で、その縁で、イルカとひばりは交友がありました。
のちに、ひばりの書いた詩にイルカが曲をつけた「夢ひとり」というシングルも発売されました。

また、一人息子の神部冬馬もシンガーソングライターです。
2010年9月19日には、祖父の俊雄と共に、サッカーJ2・甲府×熊本戦でミニライブを行ないました。

ちなみに、イルカの使用ギターはマーティン(1973年製D-35)、弦はエリクサーのコーティング済みのものを使っています。
以前はマーティンの弦を使っていました。

「会いたい/沢田知可子」- 管理人一押し! ミリオンヒットを記録した沢田知可子最大のヒット曲!

今日は、沢田 知可子の「会いたい」のご紹介です。

会いたい 沢田 知可子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

沢田 知可子(さわだ ちかこ、1963年8月4日 - )は、岩手県安代町(現:八幡平市)生まれ、埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身のシンガーソングライター。

沢田 知可子は、地元の埼玉県の運転免許試験場に勤務していた時に、ライブハウスでアルバイトで歌っているところをスカウトされ、1987年に「恋人と呼ばせて」でデビューをします。

1990年にアルバム「I MISS YOU」からシングルカットされた「会いたい」(テレビ朝日『トゥナイト』テーマ曲)が長期にわたるロングヒットでシングルセールス130万枚を達成。この曲は、オリコンシングルチャートにおいて100位以内に87週の長期にわたってランクインし、1991年の「第24回全日本有線放送大賞」においてはグランプリを受賞。
そして、この年の『第42回NHK紅白歌合戦』にも出場。
この曲は、沢田知可子の最高のヒット曲となります。

さて、今日はその、1990年(平成2年)6月27日発売された、に沢田知可子の8枚目のシングルである「会いたい」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら。

いい曲ですねー。(^O^)
私は最初、この曲を歌詞を読みながら聴いたとき、あまりに切なくて泣いてしまいました。(; ;)ホロホロ

この曲は、4枚目のアルバム『I miss you』に収録されていた曲です。
オリコンチャートにおいて、週間6位、1991年度年間11位を記録。
最終的にはミリオンヒットを記録し、沢田 知可子最大のヒット曲となりました。

沢田 知可子はこの曲で、翌年1991年の『第24回全日本有線放送大賞』でグランプリを受賞し、そ同年の『第42回NHK紅白歌合戦』にも出場します。

「会いたい」の歌詞の内容と、沢田知可子のこの詞との運命的な出会い

歌詞の内容は、亡くなった恋人を想い、在りし日を回想して会いたい気持ちを募らせるというものです。

この歌詞をもらったとき、沢田 知可子は運命的なものを感じたといいます。
実は沢田知可子は、学生時代に歌手になろうと決意したことをバスケット部の先輩に告白したことがあります。
彼は、

「俺が最初のファンになってやるよ」

と言ってくれたのですが、数日後、その先輩は交通事故で亡くなってしまいました。
この出来事が、沢田 知可子に、この詞との運命的な出会いを感じさせたのです。

沢田 知可子のその後

沢田 知可子は後に、バンドメンバーであった小野澤篤(おのざわ あつし)と結婚。
現在は、ピアニストである小野澤篤と共に、「魂と癒すヴォイス ヒーリング」「生きる力」「絆を育てよう」をテーマに全国で「歌セラピーライブ」を展開中です。

また、沢田 知可子は、「中越大震災」から2カ月目となる2004年12月23日には、復興イベント「中越・夢百俵」に応援参加し、『会いたい』を熱唱。
その優しい歌声で、被災者の心を癒すとともに、復興を誓う中越地域の人たちを激励。
そして、この復興イベントへの参加をきっかけに、各地で復興コンサートを行ないます。

2007年10月23日には、復興支援コンサートに加山雄三さんらと参加し、来場者と一体となって復興への歌声を響かせました。

中越大震災復興イベント「中越・夢百俵」


越後長岡応援団|沢田 知可子さん-長岡市ウェブサイト
http://www.city.nagaoka.niigata.jp/shisei/cate01/ouendan/profile15.html