Super源さんの音楽ブログ

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「グッド・ラック/野口五郎」- 売り上げ枚数22.5万枚! オリコン4位を記録したヒット曲!

今日は、野口 五郎の「グッド・ラック」のご紹介です。

グッド・ラック 野口五郎 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

野口 五郎 (のぐち ごろう、本名:佐藤 靖 (さとう やすし 1956年2月23日-) は、岐阜県美濃市出身の歌手、俳優です。妻はタレントの三井ゆり。実兄は作曲家の佐藤寛。

野口 五郎は、1970年代に「新御三家」の一人として、日本を代表し、活躍したアイドルです。
3歳から歌い始め、1966年10月にフジテレビの『ちびっこのどじまん』で荒木一郎の「今夜は踊ろう」を歌い、優勝します。

1971年5月1日、「博多みれん」で演歌歌手として「かわいらしい演歌ホープ」のキャッチフレーズと共にデビューしましたがまったく売れず、2曲目の「青いリンゴ」からポップス歌手に転向したところ、若い女性ファンの人気を獲得します。

その後、「オレンジの雨(1973年)」、「甘い生活(1974年)」、「私鉄沿線(1975年)」、「女になって出直せよ」、「コーラス・ライン (1980年5月1日)」とヒットを飛ばしていきます。
 

「女になって出直せよ/野口 五郎」- オリコ17位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、野口 五郎の「女になって出直せよ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。野口 五郎 (のぐち ごろう、本名:佐藤 靖 (さとう やすし 1956年2月23日-) は、岐阜


今日は、そんな野口五郎の曲の中から、1978年9月1日に発売された通算28枚目のシングル、「グッド・ラック」をどうぞ。
 
グッドラック/野口五郎

この曲は、明星創刊20周年記念の募集歌で、作詞は吉田栄子(補作:大日方俊子)、作曲は筒美京平です。
売り上げ枚数は22.5万枚で、オリコン最高位で4位を記録しました。

野口五郎は、歌手以外にタレントとしても魅力が

また野口五郎は、「カックラキン大放送!!」では、自身の短足を誇張した、当時のアイドルとしては珍しい捨て身のギャグが定番でした。
バラエティ番組においては、打ってかわってダジャレ好きなタレントとして、歌手の顔とはまた違った魅力を見せています。
野口五郎自ら、「ぼくも野口五郎というタレントを作るスタッフの一人なんですよ」と話しているほどです。

野口五郎は、ギタリストとしても有名なほか、ベーシストとしても活動しており、主に演歌のレコーディングにおいて、スタジオ・ミュージシャンとして数多く参加しています。

「女の子なんだもん/麻丘めぐみ」 - オリコン7位を記録したヒット曲!

今日は、麻丘 めぐみの「女の子なんだもん」のご紹介です。

女の子なんだもん 麻丘めぐみ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子(ふじい かよこ)、1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの女優、歌手、演出家です。

1970年代を代表するアイドルの一人で、当時、そのチャーミングな容貌と、「牛若丸カット」と呼ばれた独特のカットの黒髪と、そして優しい歌声で一時代を築きます。
南沙織や天地真理・小柳ルミ子ら新三人娘とともに、「元祖女性アイドル」 と語られる機会もあります。

姫カット
写真は、こちらからお借りしました。

麻丘 めぐみのデビュー曲は、1972年に発売された「芽ばえ」です。
この曲は、40万枚を超えるヒットとなり、第14回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞します。
 

「芽ばえ/麻丘めぐみ」- 40万枚を超えるヒットとなったデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、麻丘 めぐみの「芽ばえ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。麻丘 めぐみ(あさおか めぐみ、本名:藤井 佳代子 1955年10月11日 -)は、大分県生まれ、大阪育ちの


翌年の1973年には、「わたしの彼は左きき」が大ヒット。
この曲は、第15回日本レコード大賞で大衆賞を受賞し、同年の「第24回NHK紅白歌合戦」にもこの曲で出場することとなり、麻丘めぐみの代表曲となります。

今日はそんな麻丘めぐみの、1973年1月15日に発売されたの通算3枚目のシングルである「女の子なんだもん」をどうぞ。( ^-^)/
 
この曲の歌詞はこちら

この曲は、アルバム「あこがれ」からのリカットで、オリコンチャートにおいて、最高順位7位、1973年度年間68位を記録しています。

ちなみに麻丘めぐみは、南沙織と浅田美代子とはアイドル時代からの親友です。
デビュー曲のヒットで一躍トップアイドルとして祭り上げられたことへの戸惑いや、1970年代当時の歌謡界の空気に馴染めないストレス等といった悩みを共に抱えており、それゆえに互いに励まし合いながらも本音で語り合える貴重な存在だったと、再三インタビューで語っています。

なお、女優の藤井佳代子は、同姓同名の別人です。

「卒業/沢田聖子」 - オリコンチャート50位を記録! 沢田聖子の発売シングルの中で最大のヒット曲!

今日は、沢田 聖子の「卒業」のご紹介です。

卒業 沢田聖子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

沢田 聖子(さわだ しょうこ、1962年3月13日 -)は、東京都中野区出身のシンガーソングライターです。
担当楽器は、ボーカル、ピアノ、ギター。

沢田 聖子は、1979年5月25日に、クラウンレコードから「キャンパススケッチ」でデビューをします。
当時、「イルカの妹」というキャッチコピーにより、産休から復帰したイルカのカムバックリサイタルのステージにも立ちます。

以後、ライブを中心とした音楽活動、パーソナリティ活動などを積極的に行ないます。

彼女が活躍を開始した1980年代初頭においては、若い女性のシンガーソングライターは希少な存在で、そのルックスも相まって、男性層からアイドル的人気を得ます。
そして、80年代の女性ニューミュージックシーンを変え、アイドル性をもったシンガーソングライターのパイオニア的な存在となります。

1980年には、学園祭出演数No.1を記録し、「学園祭のプリンセス」と呼ばれます。

今日は、そんな沢田聖子の、1982年01月25日に発売された通算7枚目のシングルである、「卒業」をどうぞ。
 
卒業/沢田聖子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、沢田聖子の発売したシングル曲の中で最高のヒット曲となり、オリコンチャートの最高ランキング50位を記録しました。

また、同じ”聖子”の名前をもつ、同時代にデビューした他の歌手に松田聖子がいますが、読み方の他、松田聖子は芸名、沢田聖子は本名という違いもあります。

沢田聖子は、かつて「ロート製薬」の胃腸薬「パンシロン」のTVコマーシャルに出ていた!

ちなみに、以下は1967年(昭和42年)に放送された、「ロート製薬」の胃腸薬「パンシロン」のTVコマーシャルです。
インターネットが今より普及する以前に、ロート製薬のホームページにアップされていた動画です。

主演は、愛称・寅さんの渥美 清(あつみきよし、1928年3月10日-1996年8月4日)で、子役として沢田聖子(当時5歳)が出演しています。

YouTubeで、偶然見つけた動画なのですが、これ、貴重な映像ですねー! おぉ~っ!。w(゚゜)w
 
【CF】パンシロン(1967年) 出演=渥美 清、 沢田聖子(当時5歳)



もう、聖子ちゃん、歌うまいし、可愛い杉ー。(*^o^*)