Super源さんの音楽ブログ

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「コーヒールンバ/西田佐知子」 - 原曲はホセ・マンソ・ペローニ作曲の「Moliendo Cafe」 1961年のメガヒット曲!

今日は、西田 佐知子の「コーヒールンバ」のご紹介です。

コーヒールンバ 西田佐知子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子。1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城東区出身の元歌手です。愛称は「さっちん」。
夫は俳優・テレビ司会者・タレントの関口宏。俳優・タレントの関口知宏は息子。

西田 佐知子は、1956年に、「伊那の恋唄」でマーキュリーから歌手デビューをします。

1960年に、「死ぬまで一緒に」を発売。

1961年に、ギリシャ映画「日曜はダメよ」同名主題歌がスマッシュヒット。
続けて、外国曲のカバー「コーヒールンバ」がメガヒット。
西田 佐知子は、これらの曲のヒットにより、一躍その名を知られるようになります。

1962年に、 「アカシアの雨がやむとき」で、村田英雄の「王将」とともに第4回日本レコード大賞特別賞を受賞。

1965年に、「赤坂の夜は更けて」がヒットし、50万枚の売上げを記録。
 
「赤坂の夜は更けtて/西田佐知子」 - 「コーヒールンバ」で知られる西田佐知子の、50万枚の売上げを記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ

「赤坂の夜は更けtて/西田佐知子」 - 「コーヒールンバ」で知られる西田佐知子の、50万枚の売上げを記録したヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


今日は、西田 佐知子の「赤坂の夜は更けて」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。西田 佐知子(にしだ さちこ、本名:関口 佐智子。1939年1月9日 - )は、大阪府大阪市城東区


1967年には、レコード売上1000万枚突破記念曲「たそがれの恋」を発売。
同年9月30日には、東京厚生年金会館で、レコード売上1000万枚突破記念チャリティ・リサイタルを開催します。

今日は、そんな西田佐知子の1961年のヒット曲である、「コーヒールンバ」をどうぞ。
 この曲の歌詞はこちら。原詞はこちら

「コーヒールンバ」の原曲はホセ・マンソ・ペローニ作曲の「Moliendo Cafe」

「コーヒールンバ」(Coffee rumba)は、ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)が1958年に作詞・作曲した「Moliendo Cafe」(モリエンド・カフェ、意味は「コーヒーを挽きながら」)が原曲で、アルパ奏者のウーゴ・ブランコ(Hugo Blanco)の演奏で世界的にヒットしました。

以下に、その動画を貼り付けておきます。
 
Moliendo Cafe/Hugo Blanco

ホセ・マンソ・ペローニは、ブランコの叔父にあたります。

また、原曲はルンバではなく、ウーゴ・ブランコが創り出した、「オルキデア」というハイテンポのリズム形式です。

ペローニの原詞は、おおよそ以下のような内容です。
 
コーヒー農場に黄昏(たそがれ)が迫り、静けさが広がると、聞こえてくる古いコーヒーミルの音。それは悲しい恋の歌のようだ。恋の痛みや悲しみ。それは、夜更けまで休みなくコーヒーを挽き続ける混血児(zambo)のマヌエルが出す響きだ。
 
zambo(サンボ)というのは、南米のスペイン語圏・ポルトガル語圏で、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人と、現地のインディオあるいはムラ-ト(白人と黒人の混血)との混血のことを指します。

「コーヒールンバー」は、西田佐知子版がより知られている

日本では、この曲は文化放送『ユア・ヒット・パレード』で1961年度の年間5位を記録し、1961年から1962年に、西田佐知子とザ・ピーナッツらによりカバー版が競作されました。
が、「昔アラブの偉いお坊さんが…」で始まる、原曲の詞とはまったく関係のない、エキゾチック趣味の歌詞で歌ったこの西田佐知子版が、より知られています。

西田佐知子盤は、当初「欲望のブルース」のB面曲となっていましたが、1969年の再発盤では「コーヒールンバ」がA面に入れ替えられてり、また、森山加代子も自身のアルバムで、中沢清二の日本語詞でカバーしました。

西田佐知子は、この曲のヒットにより、1961年に第12回NHK紅白歌合戦に初出場します。
後1992年(第43回)では、本作をリバイバル・ヒットさせた荻野目洋子により歌唱されています。

ちなみに、この曲がヒットした1960年代初頭は、日本で初めてインスタントコーヒーが国産化されたことで、コーヒーが喫茶店だけでなく、一般家庭でも広く飲まれるようになった時代でもありました。

「コーヒールンバ」のヒット当時、西田佐知子はコーヒーを飲む習慣はなかった

「コーヒールンバ」のヒット当時、西田佐知子本人はコーヒーを飲む習慣がなく、歌詞中の「モカ・マタリって何?」といった調子だったのが、結婚後は夫の影響で飲むようになったといいます。

高速道路のSA・PAや、鉄道駅の一部にも設置されている、トーヨーベンディングのコーヒー自動販売機のミル挽き珈琲アドマイヤは、コーヒーを抽出する際、「コーヒールンバ」のBGMが流れます。

2006年に、チロルチョコから、「コーヒールンバ」というチョコレート菓子が発売されましたが、そのパッケージには、この曲のレコードジャケットが印刷されていました。

「コーヒールンバ」をカバーしたのは誰? - カバーアーティスト一覧

「コーヒールンバ」は、その後ザ・ピーナッツ、荻野目洋子、井上陽水などにカバーされており、時代を超えて歌い継がれる名曲となっています。
以下が、そのカバーアーティスト一覧です。

発売年カバーアーティスト
1962年ザ・ピーナッツ
1991年国実百合(「國實唯理」名義)
1992年荻野目洋子(覆面歌手「YO-CO」名義、ダイドードリンコCM曲)
1992年ロジック・システム
1993年YO-CO(ユニット) コンセプトアルバム「CFみたいな恋したい」
2001年井上陽水:日本語版を再カバーしてリバイバルヒット
2002年工藤静香:日本語版を再カバーしてリバイバルヒット
2006年ピンクジャムプリンセス
2007年伴都美子(Do As Infinity):カバーアルバム「Voice~cover you with love」
2010年庄野真代:アルバム「Reminiscence2~月がとっても青いから」
2015年福山雅治:カバーアルバム「魂リク」
2019年西田あい:カバーアルバム「アイランド・ソングス~私の好きな愛の唄~」

西田佐知子の代表曲は?

なお、西田佐知子の代表曲には、今日ご紹介した「コーヒールンバ」、「アカシアの雨が止むとき」、「女の意地」があります。
特に「アカシアの雨が止むとき」は、60年安保当時の世相を表現するテーマ曲のように扱われており、その物憂げな歌声は、ニュース映像のBGMで使用されることが多く見受けられます。
In addition to "Coffee Rumba", "When the Rain Stops in Acacia" and "Onna no Ijichi" are among Sachiko Nishida's representative songs.
In particular, "When the Acacia Rain Stops" has been treated as a theme song that expresses the state of the world at the time of the 60th Security Treaty, and her languid voice is often used as background music for news footage.
 
そうそう、アラブといえば、物理学で「アラブの円板」というのがありましたね。(^^)

あっ!(゚o゚)違った。それは「アラゴの円板」でした。【><】

(゚゜)バキッ\(--;)アノナア。

「アラゴの円板」をご存知ない方は、こちらをどうぞ。(/_・)/
 

電力量計は、「アラゴの円板」の原理を利用している?


屋外に備えつけられている電力量計。良くみると、中で円板がクルクルと回っています。この円板には、どのような意味があるのでしょうか?答えを先に書けば、電力量計は、物理学で有名な「アラゴの円板」と呼ばれる現象を利用して、この円板をクルクル回し、使用電力量を算出しているのです。「アラゴの円板」とは?アラゴの円板とは、糸でつるされたアルミの円板の下で磁石を回転させると、円板がつられて回転し始める現象をいいま...


「アラゴの円板」というのは、一言でいえば、”磁石を回すとアルミの円板がつられてクルクル回り出す”という摩訶不思議な現象のことです。えぇっ!。w(゚゜)wウッソー。
面白いですよ。(^^)

「アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ」 - 浅野温子・浅野ゆう子W主演のテレビドラマ「抱きしめたい!」主題歌

今日は、オメガトライブの「アクアマリンのままでいて」のご紹介です。

アクアマリンのままでいて カルロス・トシキ&オメガトライブ ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

オメガトライブは、主に1980年代に日本で活躍したバンドです。
プロデューサー藤田浩一の指揮のもと、作曲家林哲司並びに和泉常寛、アレンジャー新川博などの制作陣を中心としたプロジェクトの総称で、ボーカルは杉山清貴、カルロス・トシキ、新井正人と変遷しました。

オメガトライブの音楽の特徴は、夏、海、リゾートをテーマとしたもので、「サザンオールスターズ」や「TUBE」などとともに、サマーソングのヒット曲バンドとして知られています。

今日は、そんな彼らの、1988年8月10日に発売されたヒット曲、「アクアマリンのままでいて」をどうぞ。
 
アクアマリンのままでいて/カルロス・トシキ&オメガトライブ

この曲の歌詞はこちら

この曲は、フジテレビ系列の「木曜劇場」で、1988年7月7日から9月22日まで放送された、浅野温子・浅野ゆう子W主演のテレビドラマ、「抱きしめたい!」の主題歌として使われました。

ちょっぴり哀愁を感じる夏の歌という感じですね。
メインボーカルのカルロス・トシキは、サザンオールスターズの桑田佳祐とはまたちょっと違った意味で、1度聴いたら忘れられない、独特の声と歌い方が特徴の歌手ですが、こちらの方が俄然聴きやすいですね。(^^;
It's like a summer song with a bit of melancholy.
The main vocalist, Carlos Toshiki, is a singer with a unique voice and singing style that is hard to forget once you hear it, in a different way from Keisuke Kuwata of Southern All Stars.
But this one is much easier to listen to. (^^;

ちょっとハスキーで優しい歌声と、たどたどしい日本語ながら一生懸命歌っている姿も好感がもてます。
His voice is a little husky and gentle, and he sings in a faltering Japanese, but I like the way he tries hard to sing.

2000年に放送された日本テレビ系のスペシャルバラエティ番組「あの人は今!?」に、カルロスが緊急来日し、12年ぶりにテレビ出演しました。
その際、大ヒットの「君は1000%」とこの「アクアマリンのままでいて」を、メドレーで歌唱しました。

カルロス・トシキのオフィシャルサイトはこちら。
https://www.carlostoshiki.com/

Twitterはこちら。
https://twitter.com/Chuckybaby1986

「夏のヒロイン/河合奈保子」 - オリコン週間7位を記録したヒット曲

今日は、河合奈保子の「夏のヒロイン」のご紹介です。

夏のヒロイン 河合奈保子 ジャケットイメージ
写真は、こちらからお借りしました。

河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は、大阪市住之江区出身の歌手、シンガーソングライター、女優です。
娘は、歌手のkaho

河合 奈保子は、1980年代に活躍した歌手・アイドルの一人です。
代表曲には、「エスカレーション」「スマイル・フォー・ミー」「夏のヒロイン」「けんかをやめて」(オリコンチャートシングル売上記録順)などがあります。
 

「エスカレーション/河合奈保子」 - 映画「居酒屋兆治」劇中歌 35万枚近くを売り上げた最大のヒット曲!|Super源さんの音楽ブログ


以前、河合奈保子の「ハーフムーン・セレナーデ」をご紹介しました。 「ハーフムーン・セレナーデ/河合奈保子」 - オリコン週間6位を記録したヒット曲|Super源さんの音楽ブログ以前、河



「スマイル・フォー・ミー/河合奈保子」 - 「第23回日本レコード大賞」ゴールデン・アイドル賞受賞曲|Super源さんの音楽ブログ


今日は、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。河合奈保子(かわい なおこ、出生名:河合 奈保子(かわい なほこ)1963年7月24日 -)は


河合 奈保子の、その明るい笑顔と、天真爛漫で素直な性格は、当時幅広い世代に愛され、またスタイル抜群な彼女は、雑誌のグラビアやアイドル水泳大会を度々飾り、写真集は2012年の現在もなお古書市場において根強い人気を保っています。

また、歌以外にも、ピアノ・ギター・マンドリン・シンセサイザーを演奏し、自作曲(作詞作曲)も発表しています。

くわえて、彼女は中西裕の漫画「あしたのナオコちゃん」のモデルにもなっています。

今日は、そんな彼女の曲の中から、1982年6月10日に発売された通算9枚目のシングルである「夏のヒロイン」をどうぞ。
 
夏のヒロイン/河合奈保子

この曲の歌詞はこちら

この曲は、オリコンで週間7位、1982年度年間60位を記録しました。
河合 奈保子はこの曲で、1982年年末に行なわれた「第33回NHK紅白歌合戦」へ、2年連続で2回目の出場を果たしました。
また、河合奈保子がアイドル歌手としてデビューしてからずっと、シングル(A面)を手掛けてきた作詞・竜真知子、作曲・馬飼野康二コンビの楽曲は、これが最後となりました。

この後は、シンガーソングライターの竹内まりや、作詞・来生えつこ 作曲・来生たかおコンビ、そして作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平コンビなどの作品に変わっていきます。

河合奈保子にまつわるエピソード

・小学生の頃の夢は、保母さんになることだった。
1984年9月20日のザ・ベストテンで、タイムカプセル用に録音された当時のテープが公開され、「近所の小さい子がお姉ちゃんと慕ってくれるのが嬉しい。だから保母さんになりたい。」と、将来の夢を語っている様子が放送されました。

・「オメガトライブ」のメンバーだった西原俊次も河合奈保子ファンの一人で、「ザ・ベストテン」では彼女と会えたことが一番印象に残ったと述べています(1985年12月26日放送分)。

・笑福亭鶴瓶が、サインをねだる熱心なファンの少女にサインをしたとき、「可愛い子だなあ」と思い、印象に残ったといいます。
実は、その少女がデビュー前の河合奈保子だったと後に語っています(『鶴瓶のぐるぐるぐるめ』1984年)。

・巨人の元斎藤雅樹投手が、高校時代から河合奈保子の熱烈なファンでした。
が、なかなかサインを手に入れることができず、日本橋三越のサイン会でようやく入手できたそうです。