「SEPTEMBER/竹内まりや」 - 10.3万枚の売上げを記録! 第21回日本レコード大賞新人賞獲得曲!
- 名曲紹介
- 2017年02月16日
- Comment:0
- Edit
写真は、こちらからお借りしました。
竹内 まりや(たけうち まりや、本名:山下まりや(旧姓:竹内) 1955年3月20日 -)は、島根県簸川郡大社町(現出雲市)出身のシンガーソングライター、ミュージシャンです。
自称「シンガーソング専業主婦」。夫は、山下達郎。
竹内 まりやは、1978年11月25日にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム「BEGINNING(ビギニング)」でデビューをします。
当時、アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまって、アイドル歌手のような役割を担います。
1979年に発売したシングル「SEPTEMBER(セプテンバー)」は、第21回日本レコード大賞新人賞を獲得。
1980年に発売したシングル「不思議なピーチパイ」は、資生堂化粧品CMソングとなり、ヒットします。
その後は、「もう一度/本気でオンリーユー(Let's Get Married)(1984年4月10日)」「マージービートで唄わせて(1984年8月25日)」「元気を出して(1988年11月28日)」「シングル・アゲイン(1989年9月12日)」「告白(1990年9月18日)」」と、ヒットを飛ばしていきます。
当初は、安井かずみ・加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていましたが、これに飽き足らず、自らも作詞・作曲を手がけるようになります。
今日は、そんな竹内まりやの、1979年8月21日に発売された通算3枚目のシングルである、「SEPTEMBER」をどうぞ。
この曲は、竹内まりやのつくった曲で、オリコンチャートでは10.3万枚の売上げを記録するスマッシュヒットとなり、1979年12月末の「第21回日本レコード大賞」では新人賞を獲得しました(ただし、最優秀新人賞受賞者は桑江知子の「私のハートはストップモーション」でした)。
ちなみに、B面に収録されていた「涙のワンサイデッド・ラヴ」は、作詞・作曲が竹内まりや本人で、編曲は後に竹内まりやの夫となる山下達郎が担当しました。
そうそう、山下達郎といえば、なんと、俳句の季語になっているのですが、ご存知でしたか?(^^)
「山下達郎」「ユーミン」「サザン」は、俳句の季語になっている?
「山下達郎」は夏と冬、「ユーミン」は冬、「サザン」は夏の季語として使えることをご存じですか?えっ! ウソ?と思えるような話ですが、これは本当です。句会「東京ヘップバーン」が「山下達郎」と「ユーミン」を季語に提案俳句の季語については、認定する特別の機関があるわけではなく、誰もが同じ季節を思い浮かべることができる言葉であれば問題ありません。「山下達郎」「ユーミン」「サザン」を季語とすることを提案したの...
写真は、こちらからお借りしました。
また、基本的に竹内まりやがライブをやらない理由は、「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下から制限を受けたり、遠慮・気遣いではない、と明言しています。
竹内まりやは、以前に受けたインタビューで、
「達郎が『ライブは、やるな』と言っているとか、『達郎に遠慮している』とか言われているけど、私がライブをやりたくなったら、達郎がなんと言おうと、私はやるって! 本当にやりたくないから、今はやらないだけ」
と答えています。
この件に関して、2013年のインタビューでは、ステージで歌うのはわりと苦手であり、スタジオで緻密に歌作りをするほうが好きだと述べています。