「駈けてきた処女(おとめ)/三田寛子」 - オリコン21位を記録したデビュー曲にしてヒット曲 1982年の「カルピスソーダ」のCMにも登場
- 名曲紹介
- 2016年05月06日
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写真は、こちらからお借りしました。
三田 寛子(みた ひろこ、本名:中村敦子(旧姓・稲垣) 1966年1月27日 -)は、京都市下京区の出身の女優、歌手、タレントです。
夫は、歌舞伎俳優・三代目中村橋之助(なかむら はしのすけ)。
写真は、こちらからお借りしました。
三田 寛子は、1980年に雑誌「セブンティーン」のモデルに応募し合格し、これがきっかけで上京。
1981年に、TBSのドラマ「2年B組仙八先生」の生徒・高坂ひとみ役でデビューをします。
そして、翌年の1982年3月21日に、CBS・ソニーから「駈けてきた処女(おとめ)」で歌手デビュー。
三田 寛子の同期には、小泉今日子、堀ちえみ、松本伊代、中森明菜、早見優、石川秀美、シブがき隊など「花の82年組」と呼ばれた面々がいます。
その後「笑っていいとも!」の「寛子のおかし大好き」のコーナーでのいわゆる「天然ボケ」キャラクターでブレイクします。
また、NHK教育「YOU」の司会などを務めたほか、当時は女優としても多くのドラマに出演しました。
今日は、そんな三田寛子のデビュー曲である、「駈けてきた処女(おとめ)」をどうぞ。
駈けてきた処女(おとめ)/三田寛子
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、オリコンチャートにおいて、最高順位21位を記録しています。
私は、当時三田寛子の曲はあまり聴かなかったのですが、このデビュー曲だけは強く印象に残っています。
また、歌唱中は分からないのですが、バラエティー番組等でのトークとなると、流暢で品のいい京都弁が特徴的な女性だったと記憶しています。(^^)
また、この曲は「カルピスソーダ」のCMに三田寛子が起用され、同時にイメージソングとして使使われました。
その後、1989年に中山忍がカバーしています(ただし、歌詞とフレーズの一部が異なります)。
なお、三田寛子と仲がよかった同期には、中森明菜、川田あつ子、新井薫子、早見優、松本伊代、石川秀美がいます。
三田寛子のその後
三田寛子は、その後1991年に中村橋之助と結婚。第一子を流産した後、将来の歌舞伎役者となる男児を3人もうけます。
そして、「4人の歌舞伎役者」を抱える“梨園(りえん)の妻業”が生活の中心となりましたが、「主婦タレント」「元アイドル」としてメディアに登場。
2016年には、夫・中村橋之助が八代目中村芝翫を襲名。
三田寛子は、同時襲名した3人の子どもたち(長男・四代目中村橋之助、二男・三代目中村福之助、三男・四代目中村歌之助)を支えながら、「ひるおび!」、「痛快TV スカッとジャパン」等、各メディアで活躍中です。
2022年7月7日には、自身のインスタグラムにて、40年前に撮影した16歳の時のセーラー服姿の写真を公開。
1919年7月7日の七夕の日に、乳酸菌飲料「カルピス」が発売されたことから、この日は「カルピスの日」と定められ、三田寛子は、
「今日はカルピスの日 40年前にカルピスソーダのCMをやらせて頂いておりました。その時デビュー曲『駈けてきた処女(おとめ)』が流れていました」
と当時を振り返り、セーラー服姿の懐かしい1枚(今日ご紹介した曲のジャケット写真と同じ物)をアップしました。'82 三田寛子 CM カルピスソーダ
これを見たフォロワーからは、
「本当に変わらない可愛さです」「今も昔もお変わりありませんね。可愛いです」「懐かしいぃ」
などのコメントが寄せられました。