「愛は不死鳥/布施明」 - 布施明が若手から中堅へ入ろうとする時期の代表的なヒット曲 「第21回NHK紅白歌合戦」で着用した不死鳥をイメージする衣装は今でも語り草に
- 名曲紹介
- 2015年12月01日
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写真は、こちらからお借りしました。
布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の歌手、俳優です。妻は、歌手の森川由加里。横浜市立大学学長を務めた布施勉は実兄。
布施 明は、1965年に「君に涙とほほえみを」でデビューをします。
伸びやかな声の持ち主として知られる歌手で、「恋」「愛の園」「霧の摩周湖」「愛は不死鳥」「積木の部屋」「恋のサバイバル」「カルチェラタンの雪」などのヒット曲があります。
「霧の摩周湖(きりのましゅうこ)/布施 明」 - 「君に涙とほほえみを」でデビューした布施明の代表曲!|Super源さんの音楽ブログ
今日は、布施 明の「霧の摩周湖(きりのましゅうこ)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。布施 明(ふせ あきら、本名:布施晃、1947年12月18日 -)は、東京都三鷹市出身の
アイドルとして熱狂的な人気を集めながらも、歌唱力の評価は非常に高く、クラシック番組「オーケストラがやってきた」にメインゲスト出演し、シューベルトの歌曲に挑戦したこともあります。
1980年には、ハリウッド女優、オリヴィア・ハッセーと結婚して話題を呼びます。
同年、アメリカに渡り、歌手活動やミュージカルなどでも活躍します。1983年に2人の間に息子Maxが生まれ、1989年に離婚して日本に帰国しますが、当時の日本では考えられない額の慰謝料、養育費が話題となります。
また、俳優の仕事としては、1969年にはTBSテレビのドラマ「S・Hは恋のイニシャル」の主演をつとめるほか、映画「ラヂオの時間」、ミュージカル「オケピ!」、テレビドラマ「男の選びかた」「ウソコイ」「WATER BOYS」「仮面ライダー響鬼」(かめんライダーヒビキ)などに出演します。
今日は、そんな布施 明の、1970年4月20日に発売された通算20枚目のシングルである、「愛は不死鳥」をどうぞ。
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、デビュー6年目を迎え、布施明が若手から中堅へ入ろうとする時期の代表的なヒット曲の
ひとつです。
この曲の作詞は川内康範(かわうち こうはん)、作曲は平尾昌晃(ひらお まさあき)です。のびやかな声に、切なさが加わって、何ともいいようのない味を出していますね。(v_v)シンミリ。
サテー! ワタシハ コレカラ 音楽制作 ダーイ!(^o^)/
ドコガ シンミリ ダイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)
この「愛は不死鳥」は、デビュー6年目となった布施明が、若手歌手から中堅歌手へと変わりつつある時期の、代表的なヒット曲のひとつといわれています。
確かに、若々しさと落ち着きが同居したような曲づくりと歌い方になっていますね。
しかしながら、私は、どちらかといえば、デビュー間もなかった頃の、あまりクセのない、青くささはわずかに残るものの、若さとハリを合わせもった布施明の声の方が好きですね。
「若い明日」とか、「霧の摩周湖」を歌っていた頃です。(^^)
が、このあたりは好みの分かれるところでしょう。
布施明は、この曲で1970年の「第21回NHK紅白歌合戦」に4度目の出場を果たします。
そして、そのときに着用した不死鳥をイメージする衣装は、今でも語り草になっています。
写真は、こちらからお借りしました。
実はこれが、紅白歌合戦で、歌手が衣装で観客を魅せるきっかけをつくった出来事なのです。
布施明、偉大です。
あっ!(゚o゚)偉大なのは、これを考えた人か。
ソレヲ イッチャー、オシマイ ヨ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)寅サン カイ!
ちなみに、この曲の作詞者である川内康範は、1950年代から1960年代にかけて、多くの映画の原作脚本を手がけた人物でもあります。
1958年(昭和33年)に原作と脚本を手がけたテレビドラマ・『月光仮面』や、監修として携わったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』などは有名です。
作詞家としては、「誰よりも君を愛す」、「君こそわが命」、「骨まで愛して」、「恍惚(こうこつ)のブルース」、「花と蝶」、「伊勢佐木町(いせざきちょう)ブルース」、「おふくろさん」などの数多くのヒット曲を、世に送り出しています。
この曲は、デビュー6年目を迎え、布施明が若手から中堅へ入ろうとする時期の代表的なヒット曲の
ひとつです。
この曲の作詞は川内康範(かわうち こうはん)、作曲は平尾昌晃(ひらお まさあき)です。のびやかな声に、切なさが加わって、何ともいいようのない味を出していますね。(v_v)シンミリ。
サテー! ワタシハ コレカラ 音楽制作 ダーイ!(^o^)/
ドコガ シンミリ ダイ!(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)
この「愛は不死鳥」は、デビュー6年目となった布施明が、若手歌手から中堅歌手へと変わりつつある時期の、代表的なヒット曲のひとつといわれています。
確かに、若々しさと落ち着きが同居したような曲づくりと歌い方になっていますね。
しかしながら、私は、どちらかといえば、デビュー間もなかった頃の、あまりクセのない、青くささはわずかに残るものの、若さとハリを合わせもった布施明の声の方が好きですね。
「若い明日」とか、「霧の摩周湖」を歌っていた頃です。(^^)
が、このあたりは好みの分かれるところでしょう。
布施明は、この曲で1970年の「第21回NHK紅白歌合戦」に4度目の出場を果たします。
そして、そのときに着用した不死鳥をイメージする衣装は、今でも語り草になっています。
写真は、こちらからお借りしました。
実はこれが、紅白歌合戦で、歌手が衣装で観客を魅せるきっかけをつくった出来事なのです。
布施明、偉大です。
あっ!(゚o゚)偉大なのは、これを考えた人か。
ソレヲ イッチャー、オシマイ ヨ。(-_-メ)/~~~~~バシィ!!(T/O)寅サン カイ!
ちなみに、この曲の作詞者である川内康範は、1950年代から1960年代にかけて、多くの映画の原作脚本を手がけた人物でもあります。
1958年(昭和33年)に原作と脚本を手がけたテレビドラマ・『月光仮面』や、監修として携わったテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』などは有名です。
作詞家としては、「誰よりも君を愛す」、「君こそわが命」、「骨まで愛して」、「恍惚(こうこつ)のブルース」、「花と蝶」、「伊勢佐木町(いせざきちょう)ブルース」、「おふくろさん」などの数多くのヒット曲を、世に送り出しています。