「翼を下さい/赤い鳥」 - 「竹田の子守唄」のB面に収録されていた名曲 サッカー日本代表チームの応援歌
- 名曲紹介
- 2015年07月14日
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写真はこちらからお借りしました。
赤い鳥(あかいとり)は、1969年に結成された音楽グループです。
1970年代を中心に活動し、1974年に解散したフォークグループで、代表曲には「翼を下さい」と「竹田の子守唄」があります。
赤い鳥は、1970年4月に、イギリス、ロンドンでレコーディングを行ない、6月にシングル「人生」、アルバム『FLY WITH THE RED BIRDS』でメジャーデビュー。
赤い鳥というグループ名の由来は、鈴木三重吉主宰の児童雑誌『赤い鳥』からとられました。
メンバーは、後藤悦治郎(ギター)、平山泰代(ピアノ、1974年2月後藤悦治郎と結婚)、山本俊彦(ギター)、新居潤子(1973年4月に山本俊彦と結婚し、山本潤子)(ボーカル・ギター)、大川茂(ベース、1969年6月加入)の5人です。
後期には、大村憲司(ギター、1972年2月から解散まで)、村上秀一(ドラム、1972年6月から解散まで、村上“ポンタ”秀一)、渡辺俊幸(ドラム・キーボード、1973年4月から)が加わりました。
赤い鳥の特徴は、各人がボーカルを担当できることで、美しいハーモニーが魅力のグループです。
各地の子守唄や伝承されている歌などを、美しいハモリで聴かせるかたわら、トニー・マコーレイ(en:Tony_Macaulay)などの曲提供によりアルバムを発表するなど、ソフトロック的な音楽性も兼ね備えていました。
そのため、関西地区で結成されたグループでありながら、いわゆる関西フォークとは一線を画しています。
今日は、そんな赤い鳥の代表曲のひとつである「翼を下さい(つばさをください)」をどうぞ。
翼を下さい(つばさをください)/赤い鳥
この曲の歌詞はこちら。
「翼をください」は、もともと1971年に発売された「竹田の子守唄」のB面に収録されていた曲ですが、合唱曲として有名となり、既に1970年代後半からは、学校教育の場でもよく採り上げられるようになっていました。
1998年、サッカーワールドカップの際には、サッカー日本代表チームの応援歌としてこの曲を、山本潤子が歌いヒットしました。
また、曲をモチーフにしたドラマも制作・放映されました。
写真は、こちらからお借りしました。
赤い鳥のその後
赤い鳥は、前述したように1974年に解散しましたが、その後、後藤・平山夫妻は「紙ふうせん」を、山本夫妻と大川は「ハイ・ファイ・セット」を、渡辺は「ハミング・バード」を結成します。
そして、「紙ふうせん」はフォークのあり方を追求し、「ハイ・ファイ・セット」は荒井由実やジャズを取り上げるなど、ポップな演奏を繰り拡げます。
「ハミング・バード」は、後期の赤い鳥の流れをつぐ音楽性を展開しますが、アルバム1枚とシングル数枚で解散します。
また、渡辺俊幸は、1976年にさだまさしのバックボーンとなって、プロデュース・編曲・バックバンドのメンバーなどで活躍します。