「恋のバカンス/ザ・ピーナッツ」 - オリコン週間10位を記録した、ザ・ピーナッツの定番曲のひとつ!
- 名曲紹介
- 2014年12月11日
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写真はこちらからお借りしました。
ザ・ピーナッツ(The Peanuts)は、愛知県知多郡常滑町(現・常滑市)出身、同県名古屋市育ちの元女性歌手(デュオ)、俳優です。
略称は「ピーナッツ」。
メンバーは、姉の伊藤エミ(本名、澤田 日出代(さわだ ひでよ)(旧姓、伊藤)1941年4月1日 - 2012年6月15日)と妹の伊藤ユミ(本名、伊藤 月子(いとう つきこ)1941年4月1日 - )。
一卵性双生児なので、どちらが姉か妹か見分けるのが難しいですが、ほくろのある方が姉の伊藤エミで、ない方が妹の伊藤ユミです(最初は妹のユミもマジックでつけほくろをしていました)。
ザ・ピーナッツは、1958年に、同市内のレストランで渡辺プロダクション社長の渡邊晋にスカウトされて上京します。
そして、1959年2月11日に、「第2回 日劇コーラスパレード」で歌手デビュー。同年4月には「可愛い花」でレコードデビューをします。
1959年6月17日から1970年3月31日まで、フジテレビ系の歌謡番組「ザ・ヒットパレード」のレギュラーに抜擢され、その後1961年6月4日から1972年10月1日まで、日本テレビ系の人気バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」においてメインの司会を務めます。
また、女優活動も少ないながらも行なっており、映画などにも数作出演しています。
中でも、特撮映画モスラでの「小美人」役は現在もなお人気が根強くあります。
モスラ 小美人
写真は、こちらからお借りしました。
音楽の話に戻れば、当時ザ・ピーナッツが和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に、当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手と言えば即座に「ザ・ピーナッツ」が連想されるほどの活躍ぶりでした。
今日は、そんなザ・ピーナッツの、1963年4月に発表された定番曲のひとつである「恋のバカンス」をどうぞ。
恋のバカンス/ザ・ピーナッツ
この曲は、オリコンチャートにおいて、週間10位を記録しています。
[前年の1962年に発売された「ふりむかないで」に続くザ・ピーナッツのオリジナル曲で、ジャズの4ビートを生かした、歌謡曲としてはかつてなかったほどのスウィング感に満ちあふれた楽曲で、シングル発売直後より話題となりました。
「恋のバカンス」は、ドイツやイタリアばかりでなくロシアでも人気に
「恋のバカンス」が人気になったのは、当時の東西両ドイツやイタリアばかりではありません。ロシアでも人気になりました。
当時のソビエト連邦国家テレビラジオ委員会(ゴステレラジオ、国営放送局)のヴラジーミル・ツヴェートフ東京特派員がこの曲を気に入り、ソビエト連邦本国に持ち込んで積極的に展開を行ない、1965年、人気歌手ニーナ・パンテレーエワ(ロシア語版)がロシア語歌詞でこの曲を歌い大ヒットしました。
『恋のバカンス』からの直訳ロシア語タイトル「カニークルィ・リュブヴィー (Каникулы любви)」は、既にザ・ピーナッツの名とともに人口に膾炙(かいしゃ)していましたが、パンテレーエワのバージョンのタイトルは Песня о счастливой любви(ピェースニャ・ア・シスリーヴァイ・リュブヴィー=幸せな恋の歌)であした。
その後は、「カニークルィ・リュブヴィー (Каникулы любви)」のほうが世間に通用するタイトルの座に収まっています。
歌は、その後も度々リバイバルされ、ロシア人の中にはこの曲が日本で作られた曲であることを知らない人さえいるほどで、現在のロシアでも、世代を超えた有名曲となっています。
「恋のバカンス」は、多くのの歌手にカバー
また、この曲は後に、キャンディーズ(アルバム『Candy Label』)、甲斐よしひろ(アルバム『翼あるもの』)、竹中直人(アルバム『かわったかたちのいし』)、田中美奈子(シングル)、渡辺美里(アルバム『Cafe mocha~うたの木~』)などの、多くの歌手にカバーされています。ザ・ピーナッツは、当時非常に人気のあった姉妹デュオで、布施 明が歌手になろうと思ったのも、ザ・ピーナッツに憧れたためでした。
なお、ザ・ピーナッツは日本国外でも活躍し、「エド・サリヴァン・ショー」(アメリカ)、「カテリーナ・バレンテ・ショー」(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、「ダニー・ケイ・ショー」(アメリカ)にも出演したことがあります。