「あずさ2号/狩人」 - 累計80万枚を売上げた狩人のデビュー曲
- 名曲紹介
- 2014年01月30日
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写真は、こちらからお借りしました。
狩人(かりゅうど)は、愛知県岡崎市出身の兄・加藤久仁彦(かとうくにひこ)と弟・加藤高道(かとうたかみち)2人による兄弟デュオです。
狩人は、1977年3月25日に、「あずさ2号」でデビューをします。
この曲は、いきなり大ヒットとなり、また、同年暮れに行なわれた第19回日本レコード大賞など、数々の新人賞を受賞し、人気となります。
狩人は、「あずさ2号」でサンレモ音楽祭などにも出場。
その後も「コスモス街道」「若き旅人」「アメリカ橋」などのヒットにより、スター歌手の地位を築きます。
毎年年末に行なわれるNHKの紅白歌合戦には、1977年・第28回(あずさ2号)、1978年・第29回(国道ささめ雪)に2年連続で通算2回の出場を果たします。
それ以降は大きなヒットには恵まれませんでしたが、ドラマやCMに楽曲が採用され、特に1994年歌謡バラエティー番組「THE夜もヒッパレ」への出演で再ブレイク。
翌年、「あずさ2号(ニュー・ヴァージョン)」を発売し、その後二人は歌手以外に自らの才能の範囲を広げようという意図から、それぞれ歌手・舞台俳優としてのソロ活動も行うようになります。
今日は、そのデビュー曲である「あずさ2号」をどうぞ。
あずさ2号/狩人
この曲の歌詞はこちら。
「あずさ2号」ってどんな曲?
歌詞の内容は、都会での愛する人との暮らしに終止符を打ち、新しい恋人と新宿駅で特急「あずさ2号」に乗って信州へ旅立とうとするヒロインの、複雑な心の内が描かれています。そして、曲の前半部分は、しっとりとした曲調ですが、サビの部分では、それとは正反対の曲調となっています。
これが、「より効果的に、女心のアヤを際立たせ」ることになり、多くの人々の心を捉えたのです。
この曲は、累計80万枚(オリコンの集計では約50万枚)を売上げて1977年の大ヒット曲となり、新人歌手であった狩人を、一躍スターの座に押し上げます。
「狩人」という名前の由来は?
「狩人」という名前の由来は、二人の恩師である作曲家、都倉俊一から、「いつまでも大ヒットという獲物を狙い続けるハンター(狩人)であれ」と言われて名づけられたものです。狩人のその後
2012年7月に、狩人は再結成を発表。同年8月18日には、NHKテレビ「思い出のメロディー」で「あずさ2号」を歌唱。
同年11月6日の「NHK歌謡コンサート」では、『コスモス街道』を歌唱。
現在、兄弟2人は、狩人としての活動と同時に、ソロ活動も平行して行なっています。
2018年7月頃、加藤久仁彦の所属事務所である(株)トップカラーに移籍。