「春なのに/柏原芳恵」 - 33.4万枚を売り上げた、「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒット曲!
- 名曲紹介
- 2013年09月10日
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写真は、こちらからお借りしました。
柏原 芳恵(かしわばら よしえ、本名:柏原 芳恵(かしはら よしえ) 1965年10月1日 -)は、大阪府大阪市出身の歌手です。
柏原 よしえは、1980年6月1日、シングル「No.1」で歌手デビューをします。
そして、1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。
1982年10月1日、シングル「花梨」を発売。
同時に、名前を“よしえ”から“芳恵”に改名します。
その後は、「春なのに」(1983年、TBS系「ザ・ベストテン」で最高2位まで上昇)、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲による作品を中心に、トップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出して行きます。
1980年代後半は、歌手としての活動よりも女優活動が目立つようになり、2時間ドラマに多数主演の他、映画にも出演します。
今日は、1983年2月10日に発売された通算枚6目のシングルである、「春なのに」をどうぞ。
春なのに/柏原芳恵
この曲の歌詞はこちら。
この曲は、オリコンチャートで最高位6位を機記録、33.4万枚を売り上げ、柏原芳恵にとって「ハロー・グッバイ」に次ぐ大ヒットシングルとなります。
公称シングル売上げは61万枚で、TBS系『ザ・ベストテン』での最高位は2位。
また、柏原芳恵はこの曲で「紅白歌合戦」へ初出場を果たします。
柏原芳恵は、自著『恋人模様』で、「芳恵が選んだシングルA面曲ベスト5」の第1位にこの曲を挙げています。
この曲は、現在でも卒業ソングの定番としてよく知られています。
ちなみに、当時柏原 芳恵は14歳という低年齢でデビューしたために、同時期のアイドル歌手の間では孤立しがちでした。
そんな中で、岩崎良美だけは話を聞いてくれたため、とてもうれしかったと、後年「徹子の部屋」で語っています。