「さよならをするために/ビリー・バンバン」 - ドラマ「3丁目4番地」主題歌 約80万枚の大ヒット!
- 名曲紹介
- 2013年06月11日
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写真は、こちらからお借りしました。
ビリー・バンバン(Billy BanBan)は、東京都国立市出身の菅原孝、菅原進の兄弟二人によるフォークデュオです。
ビリー・バンバンは、1966年に当時青山学院大学の学生であった菅原進によって、友人達四人組のバンドとして結成されました。
翌年の1967年にメンバーチェンジが行なわれ、菅原孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなります。
ゆうちゃん
えっ? 「ビリーバンバン」にせんだみつおがいたの?
しんちゃん
うん
これ、けっこう有名な話だよ
「ビリーバンバン」もご多分に漏(も)れず、伴奏がフォーク・ギターとウッド・ベースという「カレッジ・フォークスタイル」となっており、これはブームが過ぎ去った今もずっと続いています。
「ビリーバンバン」はその後、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、菅原孝と菅原進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でメジャーデビューをすることとなり、この曲は売り上げ20万枚を超えるヒットとなります。
その後、人気は下火となってしまいますが、1972年、テレビドラマ「3丁目4番地」の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚の大ヒットとなり、この曲でその年の「第23回NHK紅白歌合戦」に出場します。
今日はその「さよならをするために」をどうぞ。
さよならをするために/ビリー・バンバン
哀愁のある素敵な曲です。(^J^)
イントロから、もうこの曲の世界にグイグイ引き込まれます。
アレンジがまたいいですね。
「さよならをするために」は、ドラマ『3丁目4番地』の主題歌として作られた
この曲は、浅丘ルリ子や石坂浩二、原田芳雄らが出演した、日本テレビのテレビドラマ『3丁目4番地』の主題歌として、石坂浩二が作詞、坂田晃一が作曲をしたものです。写真はこちらからお借りしました。
このドラマは、その後のトレンディ・ドラマにも通じる、豪華(ごうか)キャストによる人気番組でした。
「3丁目4番地」キャスト
木下かすみ:浅丘ルリ子マツの長女。ラジオ局の人気DJ。『かすみナイト』という番組のパーソナリティを務めている。
木下マツ:森光子(特別出演) - 『木下館』の主人。
木下徳次:嵐寛寿郎 - マツの父。
石上平吉:石坂浩二 - かすみと同僚のアナウンサー。
陽子:田村奈巳 - マツの次女で、健の妻。
木下雪子:岡崎友紀 - マツの三女。
健:岡田眞澄 - 映画会社「東日映画」の宣伝マン。
六助:原田芳雄
令子:大原麗子
金田俊吉:藤村俊二
亜子:水森亜土
高際:寺尾聰 - 木下館の下宿人
小川平太:黒沢久雄 - 木下館の下宿人
南公平:大滝秀治 - 平吉の姉の亭主(第12話から)
ナレーター:六代目三遊亭圓生
この曲の作詞は、ドラマに出演していた石坂浩二で、作曲は西田敏行の「もしもピアノが弾けたなら」やチェリッシュの「あの空へ帰ろう」、杉田かおるの「鳥の詩」などを手掛けた坂田晃一が担当。
坂田晃一は他にも、ダ・カーポの「突然の微笑がやフォー・クローバースの「冬物語」などを作曲しており、フォーク系に強いソングライターでした。
曲は大ヒットしたものの、……
当時人気が今一振るわなかったビリーバンバンにとって、この曲は「白いブランコ」以来の大ヒット曲となりました。しかしながら、当時のフォーク歌手には、他人の作品を歌うのは一種の恥であるという風潮があり、ビリーバンバンのメンバーである菅原進は、当初、この曲のレコーディングをすっぽかしたというエピソードがあります(のちに進は、本当はいい曲だったと語っています)。
また、ビリー・バンバンは、この曲で1972年の第23回NHK紅白歌合戦に初出場をしています。