「若いふたり/北原 謙二」- 「日暮れの小径」でデビューした北原 謙二の1962年のヒット曲
- 名曲紹介
- 2013年05月18日
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写真はこちらからお借りしました。
北原 謙二(きたはら けんじ、本名:北原 謙太郎(きたはら けんたろう)1939年10月8日 - 2005年1月26日)は、大阪府出身の歌手、俳優です。
北原 謙二は、ジャズ喫茶で歌っていた事が縁で、鈴木栄治とブルーカーボーイズのメンバーとして上京します。
そしてその後、コロムビアレコードのディレクターにスカウトされ、1961年に「日暮れの小径(ひぐれのこみち)」で歌手デビューをします。
代表曲には、「日暮れの小径」「忘れないさ」「若いふたり」「初恋は美しくまた悲し」「若い明日」「若い君若い僕」などがあります。
今日はその中から、1962年に発売された、作詞:杉本夜詩美、作曲:遠藤実による「若いふたり」をどうぞ。
若いふたり/北原謙二
この曲の歌詞はこちら。
北原譲二はこの曲で、1962年(昭和37年)に行なわれた第13回と、翌年に行なわれた第14回の「NHK紅白歌合戦」に出場しています。
北原謙二のその後
北原 謙二は、1991年(平成3年)3月に、高血圧症脳内出血で倒れ、左半身麻痺になります。
が、その後も病気と闘いなが懸命にリハビリを重ね、3年後に復帰します。
復帰後は、自身が左半身麻痺(ひだりはんしんまひ)で絶望の淵(ふち)に立たされた経験から、全国各地の福祉施設への慰問(いもん)活動などを積極的に行なっていました。
北原謙二のヒット曲「若いふたり」や「ふるさとのはなしをしよう」等は、青春歌謡の代表的な曲なので、昔を懐かしむ世代には、特に人気があります。
しかしながら、2005年(平成17)年1月26日午後10時1分に、都内の病院で亡くなります。
死因は虚血性心疾患(きょけつせいしんしっかん)で、享年65歳でした。
虚血性心疾患って、どんな病気?
虚血性心疾患(きょけつせいしんしっかん)というのは、動脈硬化(どうみゃくこうか)や血栓(けっせん)などで心臓の血管が狭くなり、心臓に酸素や栄養が行きわたらなくなってしまう状態をいいます。
1991年に最初に倒れた際の脳内出血も、この2度目の虚血性心疾患も、血管の病気であることは共通しています。
血管が詰まったり、流れが悪くなったりして引き起こされる病気です。
虚血性心疾患は、食生活なども関係するといわれていますが、もしかしたら北原謙二は血管が詰まりやすい体質だったのかもしれません。