「危険なふたり/沢田 研二」 - 沢田研二初のオリコン1位を獲得したヒット曲!
- 名曲紹介
- 2013年05月15日
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写真は、こちらからお借りしました。
沢田 研二(さわだ けんじ、本名:澤田 研二 1948年6月25日 -)は、鳥取県鳥取市生まれ、京都府京都市出身の歌手、俳優、作詞・作曲家です。ニックネームはジュリー。妻は女優の田中裕子。前妻は元ザ・ピーナッツの伊藤エミ。
沢田 研二は、1960年代後半のグループサウンズ(GS)全盛期から活躍する歌手です。ソロとしてのシングル総売上は1,239万枚で、ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚となります。
1967年2月5日、シングル「僕のマリー」でデビュー。セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」でブレイクし、「モナリザの微笑」、「君だけに愛を」で一気にグループサウンズ (GS) の頂点へと躍り出ます。
とりわけ、端整な美貌の持ち主である沢田研二は、当時の10代の少女を中心に熱狂的な人気を博し、一躍国民的アイドルとなります。
今日は、1973年4月21日に発売され、初のオリコン1位を獲得した「危険なふたり」をどうぞ。
危険なふたり/沢田 研二
この曲の英題は、「TWO IN THE FACE OF DANGER(ツー・イン・ザ・フェイス・オブ・デンジャー)」です。
ちなみに、沢田研二のニックネームである「ジュリー」の由来ですが、これは沢田研二本人が女優のジュリー・アンドリュースのファンだったため、そこから取られたものです。