「哀愁(わかれ)のワインディング・ロード/横浜銀蝿」 - 「ツッパリ」や暴走族たちの生態を曲にしてヒットさせた、横浜銀蝿のラストを飾るにふさわしい佳曲!
- 名曲紹介
- 2013年05月02日
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写真は、こちらからお借りしました。
横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)は、1979年に結成されたロックンロールバンドです。1983年に一度解散しましたが、1998年に活動を再開しています。
横浜銀蝿は、1979年9月21日に4人でバンドを結成し、1980年9月21日に、アルバム「ぶっちぎり」、シングル「横須賀Baby」の同時発売でデビューをします。
「横須賀baby(よこすかベイビー)/横浜銀蝿」 - 1980年に発売されたデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ
今日は、横浜銀蝿の「横須賀baby(よこすかベイビー)」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)は、1979年に結成されたロックンロールバンドです。19
メンバーは、以下の通りです。
翔(しょう、本名:田宮 将吉)- ボーカル、ギター
Johnny(ジョニー、本名:浅9沼 正人)- ギター、ボーカル
TAKU(タク、本名:秋葉 卓志)- ベース、ボーカル
嵐(らん、本名:田宮 淑行)- ドラム、ボーカル
リーゼントの髪形にサングラス、ライダー革ジャン、そして白いドカン(ズボン)という独特の服装で登場。「ツッパリ」、「暴走族」といった、当時の時代風潮に乗って、一気に若者の人気を獲得します。
楽曲としては、4人で演奏するシンプルなロックンロール、バラードなどから、笑いを誘うコミックソングまで幅広いものがあります。
今日は、1983年12月5日に発売されたシングル「哀愁(わかれ)のワインディングロード」をどうぞ。
哀愁(わかれ)のワインディング・ロード/横浜銀蝿
この曲の歌詞はこちら。
「哀愁のワインディング・ロード」は、横浜銀蝿のラストを飾るにふさわしい楽曲
横浜銀蝿は、音楽的には、3コードだけで全部の曲が弾けるとか、どの曲も同じなどと揶揄(やゆ)されたこともありました。
が、当時校内暴力が社会問題となっている中で、「ツッパリ」といわれた不良や、暴走族たちの生態を、ときにはコミカルに、ときには温かい目で曲にしてヒットさせた実績は、マーケット戦略としてはみごとに成功したといっていいでしょう。
さらに、楽曲を提供した嶋大輔や紅麗威甦の曲もヒットし、「男の勲章」などは、今でもツッパリ文化の代名詞的な作品として歌い継がれています。
調べたところ、横浜銀蝿は、あの西城秀樹に「セクシー・ガール」を提供しています。
また、三原順子にも「だって・フォーリンラブ・突然」を楽曲提供しています。
これらから鑑(かんが)みるに、横浜銀蝿には「ヒット曲メーカー」としてのセンスがあったのでしょう。
そんな横浜銀蝿の、最後に発売したシングルがこの『哀愁(わかれ)のワインディングロード』でした。
この曲は、音楽的にはこれまでとは雰囲気の異なるマイナー調の失恋ソングです。
「哀愁」と書いて「わかれ」と読ませるなど、男の哀愁が胸にグッとくる楽曲となっています。
当時、「ツッパリ」といわれた不良や、暴走族たちの生態を、ときにはコミカルに、ときには温かい目で曲にしてヒットさせてきた横浜銀蝿の、まさに幕引きにピッタリな楽曲ではなかったかと、管理人は思うのです。
PS. 横浜銀蝿は、1983年に一度解散しましたが、1998年に活動を再開しています。