「初恋のメロディー/小林 麻美」 - オリコン18位を記録したデビュー曲にしてヒット曲!
- 名曲紹介
- 2013年04月20日
- Comment:0
- Edit
写真はこちらからお借りしました。
小林 麻美(こばやし あさみ、本名:田邉稔子(たなべ としこ・旧姓小林)1953年11月29日 -)は、東京都大田区生まれの元歌手・女優・モデルです。
小林 麻美は当初、ある芸能事務所関係者に一目ぼれされて強引にスカウトされた結果、俳優としてデビューすることになります。
が、この時テレビコマーシャルの撮影でスキーをした時に複雑骨折をしてしまい、長期休業状態となってしまいます。
そして、その後に所属した主な芸能事務所は、田辺エージェンシー。
「雨音はショパンの調べ」が大ヒットします。
小林麻美は、ゆるくウェーブのかかったワンレングスの長い髪、公称167cmと長身で細い身体、物静かで寡黙(かもく)、都会的でアンニュイな雰囲気が人気を得ます。
今日は、そんな小林麻美の、1972年8月5日に発売されたデビュー曲である「初恋のメロディー」をどうぞ。初恋のメロディー/小林 麻美
この曲の歌詞はこちら。
この曲の作詞は橋本淳、作曲は筒美京平です。
デビュー当時の小林麻美は暗く、売れなかった
小林麻美は、1972年、18歳の時、東芝レコードから「初恋のメロディー」で歌手デビューをします。この曲はオリコン18位を記録するヒットとなりましたが、当時のアイドルに求められていた、明るく無邪気に笑顔を見せる天真爛漫(てんしんらんまん)さとは正反対に、ほとんど笑顔を見せず、うつむき加減で気だるそうに歌う小林麻美の姿は異質にも映(うつ)り、暗い印象をもたれました。小林麻美は、1976年までに年に1枚程のペースでシングルを発売しますが、売り上げは伸びず、事務所にアイドル歌手には不向きとみなされ、小林麻美の歌手活動は自然消滅となりました。
資生堂、パルコなどのCMで小林麻美の名が浸透
小林麻美の名前が浸透したのは、1970年代後半のことです。その頃、小林麻美は資生堂、パルコなどのCMに起用されたのですが。特に1977年放送のパルコCM「淫靡と退廃」で、この細い体や暗さが大衆に受け入れられたのです。
8年ぶりに発売した「I Like Chopin」が放送禁止曲に
1984年、小林麻美は8年ぶりに歌手として、ガゼボの「I Like Chopin」のカバー「雨音はショパンの調べ」を発売。この曲は大ヒットとなりました。しかし、ここで問題が発生!
当時、NHKがこの曲の歌詞にある「気休めは麻薬」というフレーズを問題視し、放送禁止曲としたのです。
くわえて、所属事務所が、女優としてのテレビ出演の仕事のみを受けたこともあり、小林麻美が歌番組で歌うことは一度もありませんでした。