「雨のハイスクール/芳本 美代子」 - 「白いバスケット・シューズ」で歌手デビューした芳本美代子の1985年のヒット曲
- 名曲紹介
- 2013年04月06日
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写真は、こちらからお借りしました。
芳本 美代子(よしもと みよこ、本名:金山 美代子(かなやま みよこ、旧姓:芳本 1969年3月18日 - ) は、山口県宇部市出身の女優、元アイドル歌手です。愛称はみっちょん。
芳本 美代子は、中学3年在学中の1983年に、KBC九州朝日放送主催のオーディション、第5回福岡音楽祭・新人登竜門ビッグコンテストに応募、本選に進むも無冠に終わります。
が、テレビ放送を見たテイチクレコードのスタッフにスカウトされ、山口から福岡に通う形で、歌のレッスンを始めます。
そして、1984年3月、芸映プロがマネジメントを引き受け、同年8月に上京。
翌年の1985年3月21日に「白いバスケット・シューズ(作詞:松本隆 作曲:井上大輔)」で歌手デビューを果たします。併せて、同年の各音楽祭で新人賞を獲得します。
「白いバスケット・シューズ/芳本 美代子」 - 石川秀美の妹分としてデビューした芳本美代子のデビュー曲|Super源さんの音楽ブログ
今日は、芳本 美代子の「白いバスケット・シューズ」のご紹介です。 写真は、こちらからお借りしました。芳本 美代子(よしもと みよこ、本名:金山 美代子(かなやま みよこ、旧姓:芳本 1969
今日は、そんな芳本 美代子の曲の中から、1985年9月11日に発売された、作詞:松本隆、作曲:財津和夫による「雨のハイスクール」をどうぞ。
雨のハイスクール/芳本 美代子
この曲の歌詞はこちら。
芳本 美代子のシングルは、1985年から1990年までの間に19タイトルが発売され、オリコンチャートでは内5枚がベスト10入りをします。
最高位は、「ヴァニティ・ナイト」で、この曲の週間売り上げは第5位。
アルバムは、1985年から1989年までの間にオリジナル盤が10枚、ライブ盤が1枚で、ベスト盤は1986年-1989年に3枚と、2003年に1枚がそれぞれ発売されています。
オリコンチャートでは、内1枚がベスト10入りし、最高位は「WING」で、この曲の週間売り上げは第10位。
また、テイチク所属の女性アイドルの中で、1970年 - 1980年代にオリコンチャートでシングルベスト10入りしたのは、高田みづえと芳本美代子の2人だけで、アルバムチャートでベスト10に到達したのは芳本美代子ただ1人です。
TBSの「ザ・ベストテン」には、1986年に2曲が計2週チャートイン。最高位は「Auroraの少女」の8位と、「青い靴」の10位。
芳本 美代子のエピソード
・風見しんごは、小学校時代の先輩。・デビュー当初憧れていた芸能人は石野真子、松田聖子、真田広之。
・若手時代にレコード会社対抗の運動会に出場したが、運動音痴であったため1回出場して以来期待されなくなった。
・芸能界で一番うれしかったことは、仕事で、何度も海外に連れて行ってもらったことだといいます。
・1980年代は。ジャニーズ系のアイドルと共演しただけで女性アイドルは異性のファンから嫉妬されてバッシングを受けることがありましたが、芳本美代子場合は同性のファンばかりだったので、そうした経験はありませんでした。
また、恋愛を疑われることとも、彼女の場合無縁だったといいます。